上水道や下水道は自治体の管轄だから、地方によってその意匠は異なっている。そこではじめて、自分の街のマンホールのことを思い出すのだ。相対化されることによって、自らの街のアイデンティティを確認するのである。
マンホール観察趣味というのか、多くのばあい路上観察も兼ねているのだが、WEBで検索すると写真を掲載しているサイトが多く見つかる。しばしばマンホールに興味を持ったきっかけが管理人によって記されているのだが、地方に出かけたときに変わった意匠のマンホールを見かけて以来、という言葉が見られる。事物はこうして意識の上に現れるのだ。
正直なところ、私はマンホール自体にはそれほど興味はないのだが、少なくとも私の住む東京23区に関しては、東京都の紋章に触れる機会がもっとも多いのが、マンホールの蓋ではないだろうか。下水道マンホールの蓋は次第に「桜と銀杏」の意匠に取って代わられつつあるが、それでもまだまだ「亀の子マーク」はいたるところに健在である。水道局に関していうと、どうも亀の子マークを廃する気はないらしい。都の紋章やシンボルについて考えていると、どうしてもマンホールに目がいくことになる。
マンホール観察趣味というものがいつごろから存在するものなのかは知らないが、書物としては、林丈二 『マンホールのふた―写真集(日本篇)』(サイエンティスト社、1984年03月)がその端緒ではないだろうか。多くのサイト、ブログでも取りあげられている。東京を中心に日本各地のマンホールの写真を収録した力作である。「はじめに」によると、著者がマンホールに興味を持ったのは、1970年(昭和45年)で、同年には既にいくつかの写真を撮っていたようだ。
著者の漠然とした関心が具体化するのは、やはり他所、異質なものとの比較においてである。
……その後思い出したように撮ってきたが、勤めていた会社の旅行で熱海に行った時、温泉マークのついた蓋を見つけてマークに興味を持ち、また「荒玉水道」と書いた蓋を見つけては文字に興味を持ち、さらに昭和55年にヨーロッパに行った時には、多種多様の蓋を見てあらためてデザインのおもしろさを知らされた。(『マンホールのふた』、3頁)
マンホールの意匠から始まる著者の関心は、「まったくの素人が一夜漬けに等しいやっつけ勉強をし、独断と偏見でまとめたもの」(「おわりに」)であるとはいえ、各地の上水道、下水道の歴史にまで及ぶ。巻末にあげられた参考文献のヴォリュームや、本文から窺われる数々の実地踏査の行程には敬意を表したい。残されたオブジェから辿る歴史の旅は、アナール的とも言えようか。
同書は著者の居住地である東京のマンホールに関して多くの頁を割いており、当メモランダムでも何度か触れてきた亀の子マークのマンホールについても有用な知識が記載されているので、その部分を引用しておく。
なるほど、あの手足の短い亀の子は、昭和40年代まで用いられていたパターンであったか。本書が刊行されたのが1984年。東京都の新しいシンボル「緑のイチョウ」が制定されたのは1989年なので、とうぜんイチョウマークも、現在の「桜と銀杏」も収録されていない。著者はこれらの年代を下水道局の仕様書から調査している。その後のマンホールの意匠についても、同様に調べることが可能に違いない。
相手を知ると相手の造作の違いにも気づくようになる。マンホール自体に興味はないとはいえ、本書でマンホールの見方が変わった。下ばかりを見て歩いて車に撥ねられたり、電信柱にぶつからないよう、気をつけよう。
著者は、ヨーロッパまで取材に行ってしまった。
マンホールについては他に、次のような本もある。
マンホール(だけ)を共通の題材に、下水道、マンホール製造の現場、鋳物技術、都市の安全など、さまざまなテーマの小論、対談、コラムが収録されているちょっと変わった本。しかもフルカラー。
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