2011年12月27日火曜日

杉浦康平・脈動する本 デザインの手法と哲学


杉浦康平・脈動する本 デザインの手法と哲学
2011/10/21〜2011/12/17
武蔵野美術大学 美術館

展覧会の内容については、きっと誰かが書いていると思いますので、図録について。



赤丸部分を拡大すると……



高さ 32 mm、幅 42 mm に縮小された見開き頁。



さらに拡大。
本文を読むことができます。



虫眼鏡必須。

全ページにわたり、高精細な印刷で作品が紹介されています。
見開きのノドの部分も含め、影はあとから付加したもの。
「そこまでやるか」。

2011年12月26日月曜日

大田区立郷土博物館:
冬のぬくもり、エコ暖房 湯たんぽ


冬のぬくもり、エコ暖房 湯たんぽ
2011/10/30〜2011/12/18
大田区立郷土博物館

みなさん、湯たんぽ、使っていますか?
私ですか? 子供の頃は愛用していました。でもこの展覧会を見るまで、湯たんぽというものの存在をすっかり忘れていました。そもそも、いまどきどこで売っているの?


| ushigome | dec. 2011 |

と思っていたのですが、ホームセンターや金物屋さん……


| ushigome | dec. 2011 |

ドラッグストアの店頭で……


| sugamo | dec. 2011 |

この時期にはカイロなどと一緒に並べられているのですね。
まったく知りませんでした。


| sugamo | dec. 2011 |

以来、商店街を歩いていると、ついつい湯たんぽを探してしまいます。


| sakurashinmachi | dec. 2011 |

人には見たいものしか見えていない、ということを痛感。

2011年12月25日日曜日

目黒区美術館:秋岡芳夫展



DOMA秋岡芳夫展 -モノへの思想と関係のデザイン
2011/10/29〜2011/12/25
目黒区美術館

開催前から評判の高かった展覧会。そして開催中も、デザイナー、それもデザインと工芸のはざまで仕事をしている人びと間で話題になっていたようです。私はその名前、仕事を知らなかったことが恥ずかしい。とても良い展覧会でしたし、秋岡芳夫関連資料の調査も途上のようなので、続編を期待したい。


| meguro | nov. 2011 |

まず最初は、秋岡が晩年に作り続けていた竹とんぼ、そして彼の仕事場の家具が出迎えてくれる。2階に上がると、1950年代から始まる工業デザインの仕事。そして学研『科学』の実験セット等。1970年代にそれまでの工業デザインから、クラフトを中心とするプロジェクトの提案活動へと転換。そして「道具」の蒐集。最後の展示室は時間を遡り、童画や銅版画作品等の仕事。

展覧会図録は秋岡の仕事をクロノロジカルに掲載しているのだが、展示はそれにこだわらない。とても良い構成で、図録もそれに従っても良かったのではないかと思われる。いや、資料としては時系列が正しいのか。

* * *

いろいろと分からないことがある。

分からないことの最大のものは、1970年代に入ってからの転換。「消費者から愛用者へ」とか、「立ち止まったデザイナー」とか、「関係のデザイン」とか。展覧会を見た人びとは、おそらく彼のこの思想に共感しているのだと思われるし、私もそうなのだが、彼はいったいどのようにしてそのような思想へと至ったのか、それがよく分からない。分からないから、11月のはじめに展覧会を見てから、ずっと考えている。

* * *

分からないことのもう一つは、秋岡は生涯にデザインとその周辺でいろいろな仕事を手掛けているのだが、それらが同時並行的ではなく、時代々々で関心が移り変わっているように見えること。「立ち止まったデザイナー」秋岡芳夫は、しばしば立ち止まり、デザインと自分の来し方行く末を見つめ直していたのだろうか。

戦後初期、秋岡は1946年から日本童画会に所属し、1954年頃まで積極的に関わっていたという。今回の展覧会に出品されていた作品のうちでも、〈水族館〉(1950年)がとても楽しい。大きな水槽の中で泳いでいるのは人間の子供たち。それを周囲で眺めているのは動物たち。カンガルー、鹿、犬、猿、熊、キリン、馬……。水族館の入口の窓口嬢は鶏だ。入場料は10円と掲げられている。壁に貼られたポスターは人間の男女の図解か。とてもとてもシュール。


『秋岡芳夫展図録』目黒区美術館、2011年10月、34頁。

秋岡は初山滋に私淑していたと図録に書かれていたが、なるほど。内容も表現スタイルもすばらしいので、個人的にはこの仕事をもっと続けていて欲しかったとも思う。他にも作品があるならば、ぜひ、「秋岡芳夫の童画」という展覧会も企画して欲しい。


| meguro | nov. 2011 |

分かった気にさせるよりも、分からないことがあるということを知ることができる企画のほうがよい。それは人に考える機会を与えてくれるから。

* * *

図録やチラシ、バナーなどのデザインは「中野デザイン事務所」。「世界を変えるデザイン」展(DESIGN HUB:2010/05/15〜06/13、AXIS GALLERY:2010/05/28〜06/13)のために、すばらしいグラフィックを作った事務所。今回の仕事も、今後の仕事も注目。

2011年12月24日土曜日

神奈川県立近代美術館鎌倉:
シャルロット・ペリアンと日本



開館60周年 シャルロット・ぺリアンと日本
2011/10/22〜2012/1/9
神奈川県立近代美術館 鎌倉

『BRUTUS』とか、『PEN』とかの雑誌に特集されやすいデザイナーっていますね。どのような傾向があるのでしょう。私の印象としては、建築系と椅子系。ル・コルビュジエと働き、建築のみならず多数の家具デザインも手掛けたペリアン最強、ということでしょうか。

来年4月には目黒区美術館に巡回するそうなので(2012/04/14〜06/10)、急いで見に行く必要はなかったかも。

* * *

シャルロット・ペリアン(1903-1999)は商工省の招聘により1940年8月に初来日しています。目的は、外貨獲得のための輸出品開発。1941年12月に離日するまで1年以上日本に滞在し、各所で見学、調査、講演等を行なっています。

今回の展覧会は、ペリアンが日本で何を見て、何を学んで、それが彼女の作品にどのような影響を与えたのか、という視点から構成されています。逆に言うと、ペリアンが日本に与えた影響という点はあまりありません。これは今回の展覧会を企画・監修の中心がフランス人研究者——ボルドー第三大学のアンヌ・ゴッソ女史——であったためもあるでしょう。その代わり(?)、シャルロット・ペリアン・アーカイヴからの豊富な資料を見ることができます。図録は市販されていますので、予習してから訪ねたほうがよいかもしれません。


* * *

以下、メモランダム。


『読売新聞』1941年3月28日朝刊。

ペリアンは、日本滞在の成果を「選擇・傳統・創造」という展覧会に結実させます。しかし、坂倉準三や、柳宗理、民藝関係の人びとなどの彼女の周囲、招聘に尽力した人びとは除き、日本のデザイン工芸関係者の印象はあまり肯定的なものではなかったようです。

「選擇 傳統 創造」展直後に開かれた座談会では、山脇[山脇巌(1898-1987)]は日本のモダニズムが達成したものをペリアンが十分認識できていないことに不満を示し、勝見[勝見勝(1909-1983)]は自然物をそのまま室内に持ち込むことには抵抗感があると強く表明している。また、剣持勇(1912-1971)は展示作品が量産家具としては実験段階であることを確認している。

『シャルロット・ペリアンと日本』鹿島出版会、2011年11月、128頁。

私はこの話を以前東京国立近代美術館の学芸員の方からうかがっていたのですが、今回の展覧会ではややオブラードに包んだ表現をしています。

このあたりの批判は、「輸出工芸」という視点から外国人の見た日本の工芸と、諸外国に学びそれを目指した日本のデザイン運動との温度差を感じます。つまり、日本の工芸関係者が目指していたものと、諸外国—ここでは欧米—の市場が求めていたであろう日本のイメージとの間には大きな落差があったのではないか。ペリアンはフランス人として、アジアからの輸入品に求められるものを指摘したが、日本の関係者は欧米への接近を求めていた。欧米は自分たちにないものを求めているのに、日本は欧米的なものづくりを目指している。そんなギャップがあったのではないかと思うのですが、これは要検証です。

また実際的な批判の他に、彼女が女性であったことに対する偏見のようなものもあったのではないか、という印象もあります。

……ペリアン女史はまだ若い。いたづらっぽい目と、ピチピチした肢体とを持つ少女のような感じの人である。……

水澤澄夫「ペリアン女史作品展の示唆するもの 日本の傳統について」『造形藝術』第3巻第5号、1941年5月、32頁。

このとき、彼女は30代後半だったのですけれどもね。


| kamakura | dec. 2011 |

2011年12月22日木曜日

汐留ミュージアム:ウィーン工房1903-1932

入場券よりも、街で配布されていた割引券のほうがデザインがよい。
(書くまでもないと思いますが、手前が割引券、奥が入場券)



型押しまでされているし。



* * *

図録に寄せられた文章のうち、エルンスト・プロイル「ウィーン工房の経営史—波乱の末のアンハッピーエンド—」が興味深い(図録11-15頁)。ウィーン工房は、途中紆余曲折はあるものの、30年ほど経営を続けることができた。これはけっして短い期間ではない。しかし、質の高い職人によるものづくりに対して、30年に渡ってその経営を成り立たせるほどの需要があったかというと、決してそうではない。それどころか、最初からビジネスになるような需要は存在しなかったとも言える、お金持ちたちの道楽。

思想的な側面で後のデザインに影響を与えたといえるのでしょうけれども、本来、そのようなデザインを提供しようとしていた相手に影響を与えられなかった現実とのはざまを、どのように評価したら良いのか。


ウィーン工房1903-1932 ─モダニズムの装飾的精神
2011/10/8〜2011/12/20
汐留ミュージアム

2011年12月21日水曜日

たばこと塩の博物館:エンゼルからの贈り物



森永のお菓子箱 エンゼルからの贈り物
2011/11/03〜2012/01/09
たばこと塩の博物館

お菓子のパッケージを中心に、ポスターやTV CMなどにより森永の歴史を辿る展覧会。


| shibuya | nov. 2011 |

とても楽しい展覧会です。
入場料は100円と格安ですし。

「大きいことはいいことだ」。コピーは知っていましたが、CMは初めて見ました。
youtubeでも見られるのね。



* * *

森永製菓はこれまでに『森永五十五年史』を1954年(昭和29年)に、『森永製菓一○○年史 : はばたくエンゼル、一世紀』を2000年(平成12年)に刊行しています。また、ウェブサイト「森永ミュージアム」もなかなか充実しています。その点、今回の展覧会を「社史」という視点から見ると、やや物足りなく感じないでもありません。しかし、やはり実物を見ることができるというのはスバラシイ。スケール感、質感は写真では知ることができない情報です。

森永製菓について、このウェブログではこれまでにミルクキャラメル、エンゼルの性別、サビニャックによるチョコレートのポスターについて取り上げています。以下、リンク。



2011年12月20日火曜日

川越市のマンホール

川越市のマンホール。


| kasumigaseki | dec. 2011 |

川越市の紋章入り。


| kasumigaseki | dec. 2011 |

「川」+「コエ」が円形にデザインされています。



【市紋章】
川越市の紋章(市章)は、明治45年5月11日に制定されました。この紋章は、中央に川越の「川」を、周囲にカタカナの「コ」と「エ」を配置して「川越」を象徴しています。



| kasumigaseki | dec. 2011 |

川越市の住民にとっては、いまさらなにをかいわんや、でしょうけれども、こういうシンボルマークのデザイン、好きです。


| kasumigaseki | dec. 2011 |

いまどき、こういうプランを持っていったら即却下でしょうね。


| kasumigaseki | dec. 2011 |

2011年12月19日月曜日

小平市ふれあい下水道館

小平市にある「ふれあい下水道館」に行ってきました。
下水道普及率100%達成を記念してつくられた施設なのだそうです。
じつは訪れるのは二回目なのですが、とても印象に残る施設でした。前回来たときはあまり時間がなく、写真もほとんどとれなかったので、今回はそのリベンジです。



地上二階建ての建物ですが、地下は5階(!!)まであります。
地上から25mの深さだそうですよ。
なぜこんなに深いのでしょう?


| kodaira | dec. 2011 |

私は地下2階の展示「くらしと下水道」が好き。
見てください。
お風呂で遊ぶ赤ん坊とか……


| kodaira | dec. 2011 |

トイレで新聞を読むおじさんとか……
なかなか強烈でしょう?
丹青社のお仕事だそうです。


| kodaira | dec. 2011 |

そして地下5階。
この施設の目玉はこのフロアにあります。


| kodaira | dec. 2011 |

いや、カラーマンホールのことではありません。


| kodaira | dec. 2011 |

体験コーナーです。
なにを体験するのか。


| kodaira | dec. 2011 |

階段を下りてみると……


| kodaira | dec. 2011 |

鋼鉄の扉が閉まっていました。
あれ、12時から13時までは閉鎖?


| kodaira | dec. 2011 |

鉄扉の丸窓から向こうを覗くと、橋が見えます。


| kodaira | dec. 2011 |

* * *

改めて1階の受付で尋ねてみると、扉を開けてくださるとのこと。
よかった、訪れた甲斐があった。

地下5階、鉄扉の向こう側にあるのは、小平市の地下を通る本物の下水道幹線。
体験コーナーとは、下水道の中を見学する施設なのです。


| kodaira | dec. 2011 |

係の方が扉を開けてくださいましたので、中に入ります。

下水道です。大きい。内径4.5mです。
たしか、こちら側が川上。


| kodaira | dec. 2011 |

そしてこちら側が川下。


| kodaira | dec. 2011 |

汚水の量は少ないのですが、轟音が響いています。
この上流には落差16メートルの滝(?)があり、その音が響いてくるのだそうです。
流れの中に、固形物はほとんど見られません。係の方に尋ねてみると、滝もあるので、だいたい水に溶けてしまうとか。たまに見られる白い物は煙草の吸い殻。

この日は天気も良かったので流量は少ないのですが、大雨が降ると足下の橋を越えて水が流れてくるそうです。3年前にはこの管の上部まで達したと。増水が始まると鉄扉は閉鎖されます。また、流れの妨げにならないように、鉄柵も取り外すのだそうです。


| kodaira | dec. 2011 |

万が一にも、ここに取り残されたくはありません。


| kodaira | dec. 2011 |

意外と匂いは弱めでしたが、これも日によって違うとか。
地下5階入口には下水の匂いが館内に拡がらないように「防臭扉」が設置してあります。


| kodaira | dec. 2011 |

たいして匂わない、と思っていたのですが、ふと下水管内部を照らすライトに目をやると、汚水が霧になって漂っている(!)。マスクしていった方が良かったかもしれません。


| kodaira | dec. 2011 |