東京都庭園美術館は改修工事のために、これから3年間休館します。
休館前最後の企画は、「東京都庭園美術館建物公開 アール・デコの館」。最後の週末は入館に並ぶほどの混雑だったようです。私は最終日、10月31日月曜日に訪問しました。
平日の午後ですが、老若男女多数。でも、若い人が多い。
ふだん展覧会のときは、窓には遮光カーテンが掛けられ、壁面もパネルで覆われ、天井や照明器具などでかろうじてオリジナルの姿がイメージできていましたが、それらが全て取り払われた姿はまた別のものですね。
そもそも、この建物に中庭があるとは知りませんでしたし、
正面バルコニーも中から見たことはありませんでした。
建物公開では撮影自由なので、みなカメラやらケータイを掲げています。
人が多くて絵にならない構図もあるけれども、人びとの賑わいを残しておくのも良いし、
さもなければデテールに集中するのも良いかと思うわけで。
まあ、個人的にはデテール派です。
最上階、ウィンター・ガーデンの真鍮製の水栓が美しい。
そして排水孔も。
東京都庭園美術館が開館したのは、1983年。
私、開館記念展の「グッゲンハイム美術館展」に行きました。
あれから28年ですか。
私もそろそろ改修工事に入ろうか知らん。
2011年10月31日月曜日
2011年10月30日日曜日
公園遊具:小平・上水公園の砂虫
砂場で遊んでいた子供たちが行方不明
サンドワームのしわざか!?
という、砂の惑星をテーマにした遊具です(嘘……いや、ホントかも)。
なかなか、すばらしい造形ですね。
飲み込まれたくありませんが。
サンドワームのしわざか!?
という、砂の惑星をテーマにした遊具です(嘘……いや、ホントかも)。
なかなか、すばらしい造形ですね。
飲み込まれたくありませんが。
関連エントリ
水飲み場:小平・上水公園
水飲み場:小平・上水公園
2011年10月29日土曜日
芋はいらんかえ
南瓜もいらんかえ。
大根、白菜もいらんかえ?
ここはさいたま市浦和区。
なぜ野菜売りのおばさんがいるかというと、
初めて見るとびっくりしますよね。
そうこうしているうちに、雨が降ってきました。
大根、白菜もいらんかえ?
ここはさいたま市浦和区。
なぜ野菜売りのおばさんがいるかというと、
市場通り
この通りの北側にある慈恵稲荷の社頭で、戦国時代以来、昭和の初めまで、毎月二・七の日に市が開かれました。そこでは、農産物や各種の生活必需品が取引されました。現在もそのなごりとして、市神様と市場定杭があります。
これにちなみ、昭和55年9月に当時の歴史をしのぶため「市場通り」の愛称がつけられました。
浦和市 平成6年3月
初めて見るとびっくりしますよね。
そうこうしているうちに、雨が降ってきました。
2011年10月25日火曜日
山下恒雄:寿人遊星
竹橋の「コガネムシ」と同じ作者の「寿人遊星」。
竹橋の隣、九段下駅近くの公園に設置されています。
銘板によると……
竹橋の隣、九段下駅近くの公園に設置されています。
平成三年のコガネムシより前、昭和六十一年の建立。
寿老人を模ったという像は、コガネムシほどではないけれどもインパクトがあります。
銘板によると……
寿人遊星
この彫刻は、一九八六年 ハレー彗星の地球接近を記念し、人びとの幸福を望み、星と縁(ゆかり)の深い”寿老人”を模して製作されたものであり、「彫刻のあるまち・千代田」として、潤いと個性のある歴史と文化を重視した新しいまちづくりを願う久保金司氏より、神田の魅力を記録した絵本「かんだ彷徨」の浄財をもとに本区に寄贈されたものです。
昭和六十一年七月
千代田区
”開・銘板 二〇六一年 ハレー彗星接近の年”
2011年10月24日月曜日
山下恒雄:金鋼鎚起 豊展観守像
東京メトロ竹橋駅近く、神田橋公園の入口に鎮座するコガネムシ。
コガネムシだけれども、手足は人間。
彫刻の銘板によれば……
インパクトありますね。
コガネムシだけれども、手足は人間。
彫刻の銘板によれば……
金鋼鎚起
豊展観守像
山下恒雄作
この彫刻は、活気とやすらぎ・教育と文化の町として知られる千代田区に住む人びとの豊かさと発展する町を観守する姿を、こがね虫と人間の擬人化により、造形表現をして製作されたものであり、「彫刻のある町・千代田」として潤いと個性のある歴史と文化を重視した新しいまちづくりを願う久保金司氏より、神田の魅力を記録した写真集、神田つ子の昭和史「粋と絆」の浄財をもとに本区に寄贈されたものです。
平成三年九月
千代田区
神田橋公園
インパクトありますね。
2011年10月23日日曜日
工藤健:集いの詩
下丸子のマンション街「パークハウス多摩川」の周囲にはいくつもの彫刻が設置されています。
そのひとつが、彫刻家工藤健の「集いの詩」。
トロンボーンを吹く人、と思われますが、手に持った玉はなんでしょう。
工藤健氏は、タコ滑り台の原型、石の山を作った人。
背面にサイン。
1980年の作品のようです。
そのひとつが、彫刻家工藤健の「集いの詩」。
トロンボーンを吹く人、と思われますが、手に持った玉はなんでしょう。
* * *
工藤健氏は、タコ滑り台の原型、石の山を作った人。
背面にサイン。
1980年の作品のようです。
2011年10月17日月曜日
聖蹟公園の石井鐵太郎像と新聞少年像
品川区立聖蹟公園と、世田谷区立八幡小学校に新聞少年の銅像を寄贈したのが、石井鐵太郎氏。その鐵太郎氏の銅像が、聖蹟公園にあります。
石井鐵太郎氏(明治26(1893)年〜昭和53(1978)年)は、東京産業信用金庫(現さわやか信用金庫)の会長を務め、また長らく地元の社会福祉活動にも尽力してきた人物。
品川区の名誉区民第1号でもあります。
調べもののついでに、東京産業信用金庫の新聞広告。
日も暮れかかっていたのですが、改めて新聞少年像(夜明けの像)を鑑賞。
写真ではスケール感が分からない思うのですが、八幡小学校の新聞少年像と比べるとずいぶんと小さい。
じっさいの少年の7〜8割ぐらいのスケールではないでしょうか。
八幡小学校の新聞少年像はほぼ実物大という印象でした。
作者名が記されていないか、探してみましたが周囲に植え込みがあることもあり、分かりませんでした。
石井鐵太郎氏(明治26(1893)年〜昭和53(1978)年)は、東京産業信用金庫(現さわやか信用金庫)の会長を務め、また長らく地元の社会福祉活動にも尽力してきた人物。
品川区の名誉区民第1号でもあります。
品川で名誉区民制度
第一号に石井さん
(前略)
石井さんは戦前から民生委員として、多方面の福祉活動に努力。戦後の混乱期には、都民生委員協議会に呼びかけて要生活保護世帯の実態調査をおこない、この調査資料が米進駐軍司令部の厚生部長、福祉課長の状況調査と物資の救援を促した、といわれる。
27年以来、品川区社会福祉協議会の会長。41、2年度に私費百万円で「寝たきり老人の実態調査」をおこない、行政の寝たきり老人対策の端緒になったという。現在、都社会福祉協議会の名誉会長でもある。
都内で最初の児童会館を品川区内に誘致するなど、児童福祉の分野でも活躍。さらに長らくと共同募金会副会長、都同胞援護会会長などもつとめている。
調べもののついでに、東京産業信用金庫の新聞広告。
* * *
日も暮れかかっていたのですが、改めて新聞少年像(夜明けの像)を鑑賞。
写真ではスケール感が分からない思うのですが、八幡小学校の新聞少年像と比べるとずいぶんと小さい。
じっさいの少年の7〜8割ぐらいのスケールではないでしょうか。
八幡小学校の新聞少年像はほぼ実物大という印象でした。
作者名が記されていないか、探してみましたが周囲に植え込みがあることもあり、分かりませんでした。
登録:
投稿 (Atom)