公園遊具「タコ山」(あるいはタコすべり台)の原型は、プレイスカルプチャー「石の山」。「石の山」の作者は、彫刻家の工藤健氏。抽象的な形態のすべり台「石の山」に頭がついて「タコ」になったという。
では「石の山」にどうして頭がついたのかといえば、『散歩の達人』の記事によれば足立区役所のお偉方の指示であったという。ところが、東京新聞の記事によれば、この指示をしたのは品川区役所の担当者との証言。なるほど関係者の記憶違いであったのか、で終わりになると思いきや、『日経マガジン』に再び足立区役所であったとの証言が載っているのを見つけてしまい……
分からないことは調べてみよう、という訳だったのですが、調べてみてむしろ謎が深まってしまったというのが、今回のお話です。
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このウェブログの先のエントリでは、『散歩の達人』(2007年9月号、88〜91頁)の記事から「石の山」に頭がついた経緯を引用しました。それによれば、
「私[工藤健氏]が前田屋外に在籍中、営業マンと石の山を足立区役所へ売り込みに行ったら、お偉方に“これじゃ何がなんだかわからん。頭をつけてタコにしろ”と言われたんですよ」。
『散歩の達人』2007年9月号、91頁。
ところが、ほぼ同時期の東京新聞の記事では、経緯はほぼ同じものの、異なる関係者が記されていたのです。頭をつけるように指示したのは足立区役所のお偉方ではなく、品川区役所の職員だったというのです。
上の記事には、東京新聞のウェブサイトのキャプチャが引用されています。念のため確認しようと思いましたが、当該記事はとうにリンク切れ。図書館でマイクロフィルムから記事をコピーしてきましたよ。
登場人物は、品川区公園整備係長菅野善典さん(2007年当時)。
『東京新聞』2007年9月8日夕刊、11頁。
誕生40年 全国に”子孫190匹”
大タコ滑り台 「元祖」は品川
生みの親は区職員、来春まで一時休眠
赤くて大きな丸い頭、そこから伸びた長い足を滑って降りる「タコ滑り台」。……約四十年前に誕生したきっかけは、同区[品川区]職員の、ちょっとした思いつきだった。
……
品川区に公式記録はないが、菅野さんによると、同社[前田屋外美術。現前田環境美術]のデザイナーと、神明児童遊園に設置する滑り台について打ち合わせたという。
同社が提案したのは、複数の曲がりくねった滑り台を組み合わせたデザイン。菅野さんは「抽象的だ」とあまり気に入らなかった。ふと同社のカタログを見て「タコの滑り台にしたらどうか」と思いついた。そこには、子ダコの形をした別の遊具が掲載されていた。
元のデザインは、よく見るとタコの足に似ており、丸い頭を載せるとタコになる。デザイナーは図面を描き直し、大ダコの滑り台と、そこから子ダコの遊具に雲梯(うんてい)でつながったタコ滑り台が完成した。
……
通算約二十年、公園造りに従事した菅野さんは、ほかに「貝形滑り台」なども発案したという。しかしタコ滑り台が全国に広まったことを知ったのは、つい最近のこと。前田環境美術が全国各地の公園に設置したのだ。「子どもは抽象的なものより動物の方が喜びますからね」
Wikipediaにも品川区元祖説が記されています(→タコの山 - Wikipedia)。出典は示されていませんが、この東京新聞の記事がソースでしょうか。
品川区のお役人がこれだけはっきりと証言しているわけなので、元祖は足立区ではなく品川区で決定なのかといえば、じつはそうとも言い切れないのです。東京新聞の記事から2年後。『日経マガジン』(2009年5月17日、22-23頁)に、再び足立区起源説が掲げられています。取材先は前田環境美術株式会社参事の長久保明氏。
彼ら[前田環境美術社員であった東京芸大彫刻科卒の社員たち]がコンクリート造形のおもしろさを追求して完成させたのが「石の山」というすべり台のシリーズだ。ぐにゃぐにゃとした曲線で形作られた遊具は、上から見るとナメクジのような奇妙な形。今でも東京都調布市と狛江市にまたがる公社多摩川住宅の公園などに残る。
この彫刻作品ともいえる石の山が、タコをモチーフとした親しみやすいパブリックデザインへ大きく変貌するきっかけが、六五年に行われた新西新井公園(東京・足立)の建設工事だった。同区の担当者が石の山に「タコ頭」を付けることを提案、 長久保さんらも半信半疑ながら、そのアイデアに賛同した。
こうして誕生したのが第一号のタコのすべり台。作り手の不安に反して子ども受けは上々。タコは増え続け、足立区内には現在十カ所の「タコのいる公園」が残る。
長久保さんはこの遊具が広く受け入れられた要因として、抽象芸術の潮流を踏まえた、とらえどころのないデザインだったこと、そして足の部分のすべり台や頭部の踊り場など複数の遊び場が組み合わされているため、独自の遊び方を子供自身が生み出せたこと――を挙げる。基本の図面にはタコの目鼻はない。「正直に言えば、タコに見えなくてもいい。何に見えるか、どう遊ぶかは子供たちの想像力と創造力に任せます」
「子供遺産 タコのすべり台 」『日経マガジン』(2009年5月17日、22-23頁)
長久保明氏の名前は、下に引用した別記事にも見られます。取り上げられているタコは品川区神明児童遊園のもの。頭をつけるよういったのは得意先の担当者ですが、記事に提案者の所属は記されていません。
タコ滑り台は1968年ごろに、渋谷区の前田屋外美術(現・前田環境美術)が制作。考案者の一人が、当時、東京芸術大学で彫刻を学びながら同社でアルバイトをしていた、長久保明さん。今もアトリエ・エヌ技術部長として遊具開発にたずさわり、2代目の親ダコも作った人だ。
そもそものきっかけは、アルバイトの美大生仲間で考えた「石の山」という遊具彫刻。子供たちが自分で遊び方を工夫できるよう、さまざまな傾斜に穴や突起を盛り込んだ、不定形オブジェのような遊具だった。これを営業担当者が得意先に売り込んで、「頭をつけたらタコにならんか?」といわれたところから、タコ滑り台が生まれたという。
「動物の形にしてさえおけば子供は喜ぶ」といった安易な発想では、あのフォルムは作れない。理想に燃える若い芸術家たちが、子供向けだからと手を抜かずに知恵を絞った、造形的にも美しい遊具。タコ滑り台が愛されてきたワケは、ここにあるのではないだろうか。
「山田五郎のワケあり! タコ滑り台(品川区)」2010年05月29日
asahi.com:タコ滑り台(品川区)-マイタウン東京
さてさて、発案者は足立区なのか品川区なのか。分からなくなってきましたよ(笑)。
品川区の担当者の証言 VS 前田屋外美術の担当者ふたりの証言。
区役所の担当者が石の山にタコの頭を付けることを発案したことは間違いなさそうです。しかし、どちらの区役所であったのかによって、周辺のストーリーに違いが出ます。足立区役所説は、「足立区起源」説の根拠であり「足立区になぜタコすべり台が多いのか」の理由として語られています。他方で品川区役所説は「神明児童遊園のタコが全国のタコすべり台の元祖」説を語るものです。
設置の年代を比較してみましょう。
品川区神明児童遊園については、記事中に年代が記されていませんが、品川区のホームページには、「1968年(昭和43年)ごろに作られた」とあります。(→タコ滑り台とお別れ会 | 品川区)
他方『日経マガジン』の記事では、「彫刻作品ともいえる石の山が、タコをモチーフとした親しみやすいパブリックデザインへ大きく変貌するきっかけが、六五年[昭和40年]に行われた新西新井公園(東京・足立)の建設工事だった」とあります。
というわけで、記事に記された年代による限り、足立区のタコすべり台のほうが古いことになります。
となりますと、品川区公園整備係長菅野善典さんの証言はいったいどうなるのでしょうか。まだあります。前田屋外美術の長久保明氏が登場するasahi.comの記事には、神明児童遊園と同じ「1968年[昭和43年]ごろ」という年代が記されています(神明児童遊園の記事なので、オリジナルではなく神明での設置年という意味の可能性もありますが……)。
ますます分からなくなってきました。
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ちなみにタコ山をつくっている前田環境美術のサイトには、「誰が」も「どこに」も書かれていません。
実はオリジナルデザインは『プレイスカルプチャー。石の山』だったのです。ちょうど「タコの頭」だけを外した姿を想像してください。創業時にこれをデザインした若い彫刻家は、ある人が気づいた『頭をのせたらタコになる』という発見とその注文に考えてしまいました。なにか自分の作品が価値を落としているような気がして・・・造形を志す若者が誰しも共通する悩みにぶつかったのです。・・・
しかしこの発見と注文こそがその後の遊具の運命を決定付けたのです。
……
オリジナルデザインの「石の山」だったら、果たして全国にこれだけの数が生まれたでしょうか。さてどうでしょう。答えはわかりませんが、皆に愛されるデザインとは、という課題を投げかけているのかも知れません。
タコの山のすべり台:前田環境美術株式会社
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教訓一
当事者の言うことが正しいとは限らない。記憶違いは大いに有り得る。さらにいえば、雑誌はもとより新聞ですらも内容が正しいかどうか、常に批判的に読む必要がある。
教訓二
デザイン史家ジョン・ヘスケットはデザインの決定過程について「あるデザイナーに言わせると、専務の奥さんの好みによって決まってしまうデザインもある」と記している(『インダストリアルデザインの歴史』)。ヘスケットの筆致はこのようなプロセスに否定的であるように思われる。しかしながら——もちろん専務の奥さんと区役所の公園担当者とはいっしょにできないかもしれないが——デザインというものは、往々にしてこのようなデザイナーではない人の「ちょっとした思いつき」でできてしまうものだ。しかも、それがロングセラー商品になってしまうという一例。
まさに、「皆に愛されるデザインとは、という課題を投げかけているのかも知れません。」
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菅野さんの「子どもは抽象的なものより動物の方が喜びますからね」という言葉。長久保さんの「正直に言えば、タコに見えなくてもいい。何に見えるか、どう遊ぶかは子供たちの想像力と創造力に任せます」という言葉。そしてasahi.comの「『動物の形にしてさえおけば子供は喜ぶ』といった安易な発想では、あのフォルムは作れない。」というコメント。これらの対比も面白いですね。土木系と美術系の思想の違い、あるいは創り手と受け手の意識の差なのでしょうか。
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