2016年8月14日日曜日

公園遊具:相模原・鹿沼公園のカメ

相模原・鹿沼公園の生き物たちの続き。
カメです。


| sagamihara | aug. 2016 |

顔がないなと思ったのですが、そうか、目はヨコに付いているのですね。

甲羅のペイントは凝ってます。


| sagamihara | aug. 2016 |

それにしても鼻の穴を黒く塗ってあげればよかったのに。


| sagamihara | aug. 2016 |


となりのお魚にはなぜか鼻の穴があるというのに。



公園遊具:相模原・鹿沼公園のお魚



続きます。

2016年8月13日土曜日

公園遊具:相模原・鹿沼公園のお魚

相模原・鹿沼公園の生き物たちの続き。
お魚です。

なにか違和感。


| sagamihara | aug. 2016 |

違和感の要因は……


| sagamihara | aug. 2016 |

黒々と塗られた鼻の穴。


| sagamihara | aug. 2016 |

なんで塗っちゃったんだろう。


| sagamihara | aug. 2016 |

胸びれも塗らなくてもよかったのに。


| sagamihara | aug. 2016 |

もとからの造形も違和感あるのですけどね。

❖ ❖ ❖

お隣には、カメ。


| sagamihara | aug. 2016 |

カメで間違いないと思うのですが、手足がない。
手足がないとカタツムリっぽいですね。

続きます。

2016年8月12日金曜日

公園遊具:相模原・鹿沼公園のタコ

JR横浜線淵野辺駅の近く。
鹿沼公園にはいろいろとすばらしい造形物が散在しています。

なかでも衝撃的だったのがこちらのタコ。


| sagamihara | aug. 2016 |

これがまったくかわいくない!


| sagamihara | aug. 2016 |

頭のかたちがヘン!


| sagamihara | aug. 2016 |

抱えている壺が蛸壺だとすると口が小さすぎてヘン!


| sagamihara | aug. 2016 |

「絵が苦手な大人が何も見ないで描いたタコ」みたいな造形ですね……。


| sagamihara | aug. 2016 |

他にも楽しい生物がおりましたので、追ってご紹介しましょう。
お楽しみに(笑)


| sagamihara | aug. 2016 |


世の中にはかわいいタコもいるというのに……。



公園遊具:飛鳥山公園のタコ




タコ滑り台建設現場の写真も載っています。



西山貞子『私のタコ』文芸社、2011年。


2016年4月20日水曜日

「デジタル版画」とは(仮)



「『デジタル版画』の現在」(『版画芸術』171号、2016年春)を読んで、版画とはなんだろうかと考えた。デジタルで制作し、インクジェットで出力しても版画なのだろうか。尤も、ジクレーのように、オリジナル作品をスキャンしてインクジェット出力した(だけの)ものも「版画」と呼ばれていたりするのだけど。某印刷系博物館の某学芸員さんは、版のないものを印刷とは呼びたくないと言っていたが、同様に版がないものを版画と呼ぶことには抵抗がある。

PCでつくってインクジェットプリントした年賀状を版画の年賀状と呼べるかとか、スキャンしたイラストをプリントしたらそれは版画なのかとか。加工した写真のプリントも版画なのかとか。

版画芸術の記事では「デジタル版画」の「定義」を「作者が版画を創作する意図を持ち」としている。たしかに、リトグラフでもそれがカラー印刷の手段なのか、版画なのかは、作者の意図次第であるから、それはオフセットでもインクジェットでも同様なのかも知れない。PCでデータをつくり、シルクスクリーンで刷っている村上隆の五百羅漢等々は「版画」なのだろうか、と言う話である。版を使っているからといって、それを版画と呼ぶわけではない。

さらに記事では「デジタル版画」を次の4つのタイプに分類している。


  1. デジタルデータをコンピューターで制作し、オフセット印刷やリトグラフでプリントした作品。
  2. デジタルデータをコンピューターで制作し、インクジェットプリンターでプリントアウトしたものに、従来の版画手法であるリトグラフ、シルクスクリーンなどを後刷りして重ねた作品。
  3. デジタルデータをコンピューターで制作し、インクジェットプリンターでプリントアウトした作品。
  4. 現実を切り取ったデジタル写真を主体とし、そのデジタルデータにコンピューター上で何らかの加工をし、「版画」として発表された作品。

どんどん分からなくなってきました。

紙面で最初に紹介されている遠藤亨氏の作品を「版画」と呼ぶことには抵抗はない。Macを使って制作する作品のパイオニアであるが、オフセットで「刷っている」から。2も理解できる。しかし、3、4はどうだろう。けっきょくのところ、「作者が版画を創作する意図を持ち」ということなのか。

定義することに意味はあるのか、という話でもある。

複製技術が創作に用いられた場合、オリジナルとは何か、オリジナルのが持っているだろうアウラはどうなるのか、という話でもある。

そもそもオリジナルにアウラが存在すると言ってしまっていいのかどうか。ベンヤミンがそう言っているだけじゃないの(乱暴)。

先日の「機械学習したAIが出力したレンブラントの新作」の話とも関連してくる。AIが創り出した画像はアートで有り得るのか(それはサルが描いた絵はアートかという話でもある)。

ますます分からなくなってきました。

「複製技術が高度に進化した社会では、オリジナルであることの意義はアートマーケットにおける問題でしかない」と言ってみよう。


 



2016年4月18日月曜日

水飲み場:千葉神社ちかく

上部は御影石(風)、下部は人造石洗い出し。珍しい組み合わせの水飲み場です。千葉神社そば。調べてみましたが公園の名前が分かりません。


| chiba | feb. 2016 |

胴部分がテープで巻かれているので、割れないように箍(たが)をはめているのかと思ったのですが……


| chiba | feb. 2016 |

注意書きの貼り紙を固定するためのようですね。


| chiba | feb. 2016 |

なんだろう。
素材感など、凝っているわりには面白みがない残念なデザインです。


| chiba | feb. 2016 |


手洗い部分がえぐられた構造は、
駅のステンレス水飲みで見たことがあります。



たぶん、西武池袋線・中村橋駅。

2016年4月17日日曜日

水飲み場:板橋・都立赤塚公園

人造石の土台に、ステンレスの水飲み。
都営三田線・高島平駅の近く、都立赤塚公園の水飲み場です。


| takashimadaira 3 | mar. 2016 |

右側面にあるボタンを押し下げると水が出る(らしい。試していない)。


| takashimadaira 3 | mar. 2016 |

素材もボタンも、冷水器に似た構造です。


| takashimadaira 3 | mar. 2016 |

裏側は手洗い。
水飲みの排水は穴を通ってこちら側に。


| takashimadaira 3 | mar. 2016 |

2016年4月16日土曜日

水飲み場:品川・五反田公園

五反田駅の東側、坂を上った途中にある公園の、人造石の手洗い場です。


| higashi gotanda 5 | oct. 2013 |

ずいぶん前に撮影した水飲み場なのですが、なぜかウェブログにはアップしていなかったのです。


| higashi gotanda 5 | oct. 2013 |

[水]って書く必要はあるのでしょうか。


| higashi gotanda 5 | oct. 2013 |



品川でしばしば見かける手洗い場。


水飲み場:品川・小関公園


2016年4月15日金曜日

水飲み場:品川・仙台坂公園

人造石の手洗い場。


| minami-shinagawa 5 | apl. 2016 |

上の部分のみ、灰色のコンクリートです。
補修の跡でしょうか。


| minami-shinagawa 5 | apl. 2016 |

それにしてはきれいに直されていますね。


| minami-shinagawa 5 | apl. 2016 |

排水溝の周囲には雑草。


| minami-shinagawa 5 | apl. 2016 |



品川でしばしば見かける手洗い場の色違い。


水飲み場:品川・小関公園


2016年4月7日木曜日

葦原邦子『夫 中原淳一』


葦原邦子『夫 中原淳一』平凡社ライブラリー、2000年。

これまで中原淳一(1913-1983)の仕事を紹介する展覧会をいくつか見てきましたが、どうもその人物像がはっきりしない。

彼の仕事はすばらしい。
彼の言葉もすばらしい。

では、彼は人間的にはどのような人物だったのか。
彼の作品のような、彼の言葉のような人物だったのか。

しかしながら、展覧会での解説を読んでも、いまひとつ彼の人間性が見えきません。図録を読んでも曖昧で、その生涯がはっきりしません。

それならばと、しばらく前に中原淳一関係の本をいくつか読みました。

印象に残った本は、淳一の家族が書いた2つ。

ひとつは、息子・中原洲一(1944-2004)の『父 中原淳一』中央公論社、1987年。もうひとつは、妻・葦原邦子(1912-1997)の『夫 中原淳一』中央公論社、1984年/平凡社ライブラリー、2000年。

なかでも、淳一の妻、元・宝塚の男役スター、葦原邦子の『夫 中原淳一』には、淳一が家族、とくに妻に対してどのようなスタンスでいたのかが書かれていて、興味深く読みました。以下に、印象に残った言葉を引用します。括弧の数字は中央公論社版のページ/平凡社版のページです。

「披露宴で白井先生が嬶天下になりなさい。その方が家庭はうまくいくものだ、と言ったけど、僕はいやだよ。僕は女があんまりハッキリとものを言ったり、口出しをするのは好きじゃない。僕のうちは父がいちばん偉くて、食事も父だけは一段上で、母も子供たちも一段下で食事をしていた。ただ僕だけは父のお気に入りで、傍へ来て食べなさいとよく呼ばれたんだよ」(42/57)

或る朝、廊下の片隅に、その頃は贅沢とされた外国製のコンパクトが転がっているのを見つけた淳一が、「あんまり貰いすぎて物を大切にする気持ちと感謝の気持ちを忘れたんだね。僕はこれから一切何も買ってあげないよ、それが直るまで」。(64/87)

「女はお喋りだから嫌だ」「僕は秘密主義だよ」(65/89)

「女は何ごとにも甘えがあるんだよ。その辺のことを知っておかないと、男と同等に仕事はできないね」(66/91)

のどの弱い私は、扁桃腺の熱が出ると一週間ほどは起きられないこともあり、そんなときは奥の部屋のすみっこでひっそりと寝るのです。
いろいろな人と接するので、全快をまってから、又例の如く食事を運びはじめる。
「病気だったんだって? 弱いんだね。僕なんか風邪をひいても一晩寝れば治るよ」とも言われると、一言もない気がするのでした。(78/104)

編集部の女の人からでも、奥さま大変ですねえ、などと言われると、淳一はあとでよく言いました。
「他人に大変ですねなどと言われるのは、いかにも大変そうにするからなんだ」と。さすがにそんなあとは自分の部屋でシュンとなる私でした……(78-9/106)

何分、淳一からは「女が男の仕事に口を出すのは間違いのもと」と、ノウ・タッチを言い渡された……(79/106)

女は選ばれた人間以外は、やはり家庭に在るべきだとの考えには変わりはないけれども……(82/111)

何分私は、淳一と二人だけになると、たとえば頼みごとなどどういうわけか上手に言えなくて、ステージ用の衣装を相談する場合は、いつも高さんに傍に居て貰ったものです。
変に自意識過剰になるのでしょうか、金縛りの状態みたいで、どうでもいいような気分になるのです。(89/120-121)

[淳一がパリでバッグを買って、高峯秀子が預かってきた]
昔、パパさんに物を大切にしないと叱られたこと、そしてそういうくせが直るまでは何も買ってあげないと言われたこと、それが今解除になったのかしらと、私の胸がジーンとするような喜びでした。(95/128)

「いつ迄もボロを引きずるように歌いたがるんじゃない」(99/133-134)

その頃私はよく他の人から言われました。「葦原さんは幸せですね、あんなにおやさしそうなご主人の理解がおありになるから、家庭と仕事の両立がお出来になって」(104/140)

[淳一の運転手の佐藤さんが、告別式のときに]
「先生は本当に心の綺麗な神様みたいな人でしたね。……奥さんもしかしいろいろと大変でしたよねえ。先生は身内には厳しかったから……」(105/142)

[ある婦人雑誌の懸賞小説に応募して、次点で掲載されたときのこと。]
私は面白がって新しいものにアタックしようという気持ちにかられて書いた小説が、誰かの口からパパさんの耳に入ったらしく、安原さんの前ですごく叱られたのでした。
「いいかげんにしなさいッ、恥さらしなことを平気でやる。女は下等動物だよッ」。そのパパの怖い顔を私はポカンと眺めていました。
深い意味もなくただ書いてみたかったから書いただけだったのですが、どうパパに告げられたかわからないけれど、なぜ女は下等動物と言われるのか、ポカンとしたゆえんでもありました。
でもやはり、何かが淳一の気持ちを傷つけたのは確かだと、しばらくはほんとうに謹慎するつもりでした。やっぱりパパさんに叱られるのはこたえたからです。(108/146-147)

[淳一]「これで死んでしまうとしたら、あと子供たちはどうなるのかな、と思った」そこで私はすかさず気分を和らげるつもりできいてみたのです。
「やっぱりパパさんね、じゃ私のことは?」淳一はニヤリとして言いました。
「別に思い出しもしなかったよ」(110/150)

[長女の芙蓉に、葦原が絵やインテリアを専門にすればという提案をしたとき]
パパはそれも反対でした。
「そんな仕事は男と肩を並べる場合、女の方が優秀であるわけはまずない」(126/170)

新宿の小田急百貨店がオープンした日から、買い物コンサルタントを引き受けたときも、淳一は呆れ顔で言いました。
「商品知識の勉強もせずに、よく買い物客の相談に応じますなんて言えるね。僕なんか、知らない人から何がいいでしょうかなんて相談されても、すぐに返事なんて出来ないよ。そんないい加減なことで仕事が出来ると思うのは、女の単純さと浅はかさだね」(135/182)

[『女の部屋』創刊と、マンション建設のトラブル]
知り合って間もないその人が、訪ねて来るたびに、挨拶をしても眼を反らす陰気なニコリともしない顔つきがどうも気になって、ある日一寸それを言ったとたんに、一喝されたのです。
「僕の所に来る客の批評なんかするんじゃない! だから女は嫌なんだ!」。そんなときの淳一は、本当に恐ろしかった。(/205-206)

こうした淳一の言葉を、葦原邦子は、夫との懐かしい思い出として、あるいは妻として至らなかったという後悔と自責の念としてして、記しているのです。

葦原邦子の言葉をどう読むべきなのか。きわめて部分的な抜粋ですが、中原淳一の人物像を描くことの難しさを感じました。

中原洲一『父 中原淳一』については、アマゾンのレビューをお読みになるとよいと思います。

 

 

2016年3月24日木曜日

世田谷美術館:
ファッション史の愉しみ
―石山彰ブック・コレクションより―



ファッション史の愉しみ―石山彰ブック・コレクションより―
2016年2月13日〜2016年4月10日
世田谷美術館

西洋服飾史研究家・石山彰氏(1918-2011)のコレクションを中心に、16世紀から20世紀初頭にかけてのファッション・ブックとファッション・プレート、および服飾史研究書や明治時代の錦絵をご紹介します。神戸ファッション美術館が所蔵する同時代の衣装も合わせて展示することで、ファッション・プレートやファッション・ブックが持っている、ファッションであり画家の作品であり版画であるという、さまざまな要素が複合する魅力に迫ります。

今年は、(東京近郊の)あちらこちらの美術館でファッション関連の展覧会が目白押しです。

すでに始まっている展覧会を挙げただけでも、これだけあります。


この後にも、ルイ・ヴィトン、ポール・スミス、マリメッコなど、ブランドの展覧会なども含めて非常に多くのファッション系展覧会が予定されています。

そのなかでも、世田谷美術館の「ファッション史の愉しみ ―石山彰ブック・コレクションより―」はファッション・イグジビション・イヤーの先陣を切って始まった展覧会です。

❖ ❖ ❖

先陣を切って、といっても、この展覧会の自体は神戸ファッション美術館で開催された展覧会(2014.10.18〜2015.1.6 ☞ こちら)の巡回展です。

さらにいえば、この企画は石山彰氏が亡くなられた2011年から始まっていたと言ってよいので、2016年に東京で開催されることになったのは偶然。偶然ではあるけれども、これだけ重なるのは、やはりなにか時代のトレンドなのでしょうね。

展覧会の趣旨としては、西洋服飾史研究家・石山彰氏(前お茶の水女子大学教授、文化学園大学名誉教授)の約70年にわたる研究生活によって遺されたファッション史関係のブック・コレクションを展示するもの。石山氏の没後に、お弟子さんである能澤慧子氏(東京家政大学教授)と東京家政大学の院生によって行われたコレクション調査の成果です。

しかし、見どころはそれにとどまりません。会場には神戸ファッション美術館が所蔵する西洋衣装の実物が合わせて展示されているのです。

まずは、会場の展示風景を見てください。
※ 世田谷美術館の許可を得て撮影・掲載しています。

壁面には石山彰コレクションのファッション・プレート。


展示ケースにはファッション・ブック。


そして展示室中央の台には、神戸ファッション美術館の実物史料。


ご覧の通り、マネキンにはメイクが施されています。


メイクは、衣装と同時代のファッション・プレートを参考にしているそう。


もちろん、盛り盛りのヘアスタイルも!


いやいやいや、この髪型で馬車に乗れたのだろうかとか、邸宅の入口や部屋の扉から入ることができたのだろうかと、いろいろな心配が頭をよぎります。じっさい、同時代にも過剰なファッションを皮肉る風潮はあったようですが。


《クリノリンの幸不幸》と題する画。1858年頃。


《クリノリンの天下》。1858年頃。


クリノリンとは、スカートを張らせるためのアンダースカートおよびその材料。丸い輪の形をしたかごのように作った枠に布などを張ったもの。

「6スー? いいえマダム。24スーです。あなたは4倍の場所をとるのですから。」

こちらは、胴着を試着させる仕立屋の再現。18世紀後半。
胴着のウエストの細いこと!


横には同様の場面が描かれたファッションプレート。

Gallerie des Modes et Costumes Français. 15e. Cahier des Costumes Français, 9e Suite d'Habillemens à la mode en 1778. P.85 "Tailleur costumier essayant un cor à la mode ..."

これらに対して、20世紀ファションを着せたマネキンはシンプルですね。
手前の水着は、ジャンセン社(Jantzen, 1923)。ウールです。


ファッション・プレートに現れた衣装とまったく同じものがあるわけではありませんが、時代のスタイルを立体的に見ることができる展示構成になっています。壁のファッション・プレートと、中央の衣装との間を行ったり来たり。

❖ ❖ ❖

タイトルは「ファッション史の愉しみ」。石山彰コレクションが見せるのは「ファッションの歴史(変遷)」にとどまらず、「ファッション史研究の歴史」でもあります。

また、「ファッション史研究」がなにを目的として成立してきたかを考えると、それは古今東西のファッションに学び新しいファッションを生み出すための素材であったわけで、「ファッション史」自体がファッションの歴史でもあるのです。

マネキンを使った再現から分かるのは、ファッションはそれを着る人間がいて成立するものだということ(あたりまえですが)。ファッションはそれを着ていた人々の身分、職業、生活等々を語る歴史史料でもあります。

また、ファッション・ブック、ファッション・プレートの同時代的な役割を考えれば、それは「ファッション・メディアの変遷」を見る展覧会でもあります。もちろん、そこには印刷技法の歴史も含まれます。また、ファッション・メディアを誰が需要していたのかという歴史でもあります。

それゆえに展覧会の構成は多層的。
さまざまな関心、視点から見ることができます。
一筋縄ではいきません。
ファッションの歴史は人間の歴史でもあると聞きましたが、まさにその通りです。

❖ ❖ ❖

三菱一号館美術館「PARIS オートクチュール」と比較してみるとどうでしょう。


三菱一号館美術館:PARIS オートクチュール展会場(※撮影可の展示室)

「PARIS オートクチュール」展は、1868年に始まるパリのオートクチュールの歴史に焦点を当てた展覧会です。ギルドと言ってもよい規律を持つ組織と、そこに所属して世界のモードを牽引してきたファッション・デザイナーたちの作品が並んでいます。時代は19世紀末から20世紀。ファッション・プレートもありますが、展示物の点では、実物が主で、資料が従。

「ファッション史の愉しみ」展は、16世紀末から始まり20世紀前半までのヨーロッパのファッションの文献と実物。さらには、揚州周延らによる明治期の錦絵に描かれた日本人の洋装も紹介されています。これらの錦絵も石山彰氏のコレクション。これもある種のファッション・プレートですね。鹿鳴館時代の洋装の実物展示もあります。展示物の点では、資料が主で、実物が従。

「PARIS オートクチュール」はファッションのつくり手の歴史、「ファッション史の愉しみ」は社会におけるファッションに目を向けた歴史展示ということもできます。なので、前者ではデザイナーの名前が強調されますが、後者では必ずしもそうではありません。

❖ ❖ ❖

会場を出たところ、ロビーで上映されている映像は必見です。映画やテレビドラマの映像をまとめたもののように見えますが、こちらは神戸ファッション美術館が制作したこのオリジナル映像。18世紀後半から19世紀末までの衣装を役者に着せてヨーロッパで撮影したものだそうです。お金掛かってますねえ(笑)。

展示総数は約500点! 素敵な表紙の展覧会図録(1,500円)には、展示作品すべてが掲載されているわけではないので、お気に入りの作品はしっかり目に焼き付けるか、タイトルを控えておいてネットで検索するとよいでしょう。ファッション・ブック、ファッション・プレートには著作権が切れていてネット上で公開されているものも多いようです。


石山彰氏の未公刊テキストも収録された論考集(500円)もありました。


❖ ❖ ❖

個人的にとても気に入ったファッション・プレートはこちら。
A.E. Marty, La Rythmique(リズム体操)。
白い衣装を着てダンスする子供たちがかわいい。


これは1912年から1923年までに7巻が刊行された『Modes et manières d'aujourd'hui』というファッション誌の1枚。1巻ごと1名のイラストレーターに作品が依頼され、各巻300部のみが刊行された。彩色はポショワール。

※ ポショワール (pochoir):ポショワールとは、亜鉛や銅版を切り抜いた型を用いて刷毛やスプレーで彩色する西洋版画の一種です。写真製版によって作家の原画から複製品を作る技術が無かった20世紀初頭に、このポショワール技法が多く用いられました。(出典:大村美術館ウェブサイト

❖ ❖ ❖

なお、石山彰ブック・コレクションが今後どこに引き取られることになるのかは決まっていないそうです。まとまった形で継承されるといいのですが。