やっとかめ どっとこむ / モナリザもアッと驚く
→ http://yattokame.exblog.jp/12728387/
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なるほど、目がパッチリ、真っ赤な口紅まで! 世界堂さんにはずいぶんとご無沙汰なので知りませんでした。参考までに本物も掲げておきます。

『カラー版西洋美術史』美術出版社、1990年、87頁から。
* * *
昔はこんなんじゃなかったよ。というわけで、世界堂の新聞広告をすこしばかりクリップ。まずは、1984年のモナリザ。怖いですよ。

『朝日新聞』、1984年12月01日朝刊23頁。
「アッと驚く」というよりも、口もとには「あ゛〜」というおどろおどろしい書き文字が似合いそうです。
続いて、1993年。ちょっと顔が違うようにも見えるのは、印刷の工合か、版がへたってきたのか。

『朝日新聞』、1993年12月01日朝刊31頁。
「本店仮店舗」とあるのは、1990年2月24日早朝に本店が火事で燃えてしまったからなのですね。1994年に現在の本店ビルが完成しています。★下に追記★
そして、1995年。ずいぶんと可愛くなっている。

『朝日新聞』、1995年12月01日朝刊39頁。
「あらまっ、びっくり」って感じですね。
意外なことに、いずれも広告の中で「モナリザ」を謳っていないのです。しかも決してオリジナルに似ていない(笑)。だけれども、誰もがモナリザと認識する。ダ・ヴィンチはすごいですね。
いずれの広告も原画と違って右を向いているのには訳があります(といっても推測ですが)。世界堂の広告は、常に新聞の見開き左端に掲出されているのです。だから、読者に対して目線で訴えるには右を向く必要があるのですね。(でも現在の世界堂版モナリザは左向きですが……)
* * *
さて、世界堂さんは有史以来ずっとこのモナリザの広告を出していたのだと思っていましたが、どうもそうではなさそうです。
1974年の朝日新聞の広告では謎の美女が用いられています。

『朝日新聞』、1974年12月03日朝刊23頁。
読売新聞データベースでは1986年までの新聞画像を広告まで検索できるのですが、そのいずれもモナリザではなく、朝日と同様の謎の美女。

『読売新聞』、1979年01月01日朝刊23頁。

『読売新聞』、1986年11月01日朝刊23頁。
ちなみに、女性のイラスト入り広告と、下のような文字だけの広告が交互に出されていたようです。

『読売新聞』、1979年04月01日朝刊23頁。
朝日新聞には1984年にはモナリザが登場しているわけですが、読売新聞では1986年でも謎の美女。というわけで次の課題は、
いつから世界堂の広告にモナリザが登場したのか
です。乞うご期待(笑)。
調べてみました。
そこにはもっと恐ろしいモナリザが!!
世界堂の創業は昭和15年、「世界堂」の名称になったのは昭和22年という老舗。広告も、そして新宿という場所柄から、ちょっと野暮ったいというか、泥臭い雰囲気を感じていたのですが、池袋パルコ店の広告はヌーボー調のなかなか格調高い雰囲気のデザインと洒落たコピーで、これはとても意外でした。

『読売新聞』、1970年07月20日夕刊08頁。
* * *
2011年5月11日追記
新宿世界堂本店の火事、覚えていますか。
たまに、「世界堂 火事」というキーワードでこのウェブログに来る方がいらっしゃるようなので、ここにメモランダム。せっかく(?)ですので、新聞各社の写真を撮影された時間別に並べてみます。
『朝日新聞』。写真は朝7時4分。
朝の新宿 道路マヒ
画材店1120平方メートル焼ける
二十四日午前四時四十分ごろ、東京都新宿区新宿三丁目、画材店「世界堂」付近から出火、鉄骨五階建ての店舗一棟と木造二階建ての倉庫二棟、計約千百二十平方メートルが焼けた。けが人はいなかった。
四谷署でくわしい出火場所や原因を調べているが、出火当時世界堂は無人だった。
…(略)…
同社によると、本店内には、売り物や額縁を直すために顧客から預かっている油絵、掛け軸など四、五千点があったという。この中には、米ロサンゼルス在住の版画家で、八四年五輪の時の同市公式ポスターなどで有名な山形博導(ひろみち)氏の作品数点も含まれていた。四谷消防署は、一点が二、三百万円の作品もあり、損害は作品や画材だけで約三億円にのぼるとみている。
…(略)…
『朝日新聞』1990年2月24日、夕刊19頁。
そう、額装するために預けられていた作品が燃えてしまったのでした。

『朝日新聞』1990年2月24日、夕刊19頁。
『読売新聞』の写真は午前8時撮影。

『読売新聞』1990年2月24日、夕刊15頁。
『毎日新聞』は午前8時30分すぎ。他社とは異なる角度からの写真です。窓の内側に炎が見えて生々しい。
…(略)…
建物は増築を繰り返して老朽化していたため火の回りが速く、店内には絵の具などの可燃物が多かったことから、出荷から七時間以上たった正午ごろまでくすぶった。
…(略)…
『毎日新聞』1990年2月24日、夕刊11頁。

『毎日新聞』1990年2月24日、夕刊11頁。
『日経新聞』は路面からの撮影。撮影時間は不明です。

『日本経済新聞』1990年2月24日、夕刊11頁。
ここまで違っていたとは。僕がアッと驚いています。
返信削除僕の女性の好みの許容範囲が広くなったのか?
と思う程度の違いだと思っていたんですよ(笑)。
それにこの突出しの絵ではモナリザかどうかも…。
なのになぜモナリザだとわかっていたんだろう。
別のバージョンの広告もあったんでしょうか。
ちょっと前のことなのに、記憶はあてになりませんが
それ以前の広告は、見ても記憶に残るかどうか。
そういう意味で、広告としてモナリザ版は正しいです。
やっとかめさん
返信削除新聞の縮刷版からコピーしたものをスキャンしていますので、網点が潰れてより恐ろしくなっている部分はあるかと思いますが……
>別のバージョンの広告もあったんでしょうか。
ネタの提供ありがとうございます。これもおいおい調べてみます(笑)。
たしかに半身像も見たような記憶があります。
謎の美女広告も絶対に目にしているはずですが、まったく印象に残っていませんでした。モナリザのインパクトは強烈ですね。
世界堂は幼き頃の新宿の幸せな思い出がつまった場所。
削除家事が起こったときの話や状況を写真で見るにつけ 火が怖かったのを思い出しいます。池袋には大変お世話になり
恥ずかしながら今でも恩返しをしていきたいとレビューをかいています。
それよりも 私は子供の頃より
モナリザという曲が大好きで
ナットキングコールやナタリーコールのレコードをよくDJの際にかけていました。
モナリザの絵も好きですが、レオナルドダビンチに憧れ 飛行機や医者であったことに憧れを抱いていました。
モナリザというあだなを頂いたこともあります。なぜモナリザなのですか?
油彩画家になる夢は諦めましたが
未だ美術美学教育家になる夢はもっていていて勉強と仕事をしています。
いつまでもすてきな世界堂でいてください
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