* * *
経済学の領域には、現実の経済現象を把握するための理論的枠組みを考察する分野と、現実経済を運用するための手段を構築する分野とがある。その歴史領域もまた、ふたつに分かれる。ひとつは経済学史/学説史で、もうひとつは経済史である。前者は経済思想、経済理論変遷の歴史を扱う。後者は過去の実体経済を発掘・考察し、そこに現れるさまざまな因果関係をさぐるもの。ときおり両者を混同する人がいるが、扱う対象も、その意味・目的もまったく異なる。
* * *
デザインの歴史研究に関しても、このアナロジーで「デザイン史」と「デザイン思想史」とを明確に区分すべきではないだろうか。「デザイン史」をタイトルとするテキスト、大学の講義のシラバスを見ていると、「デザインの歴史」ではなく、まったくの「デザイン思想の歴史」であるものが多い。ウィリアム・モリスやバウハウスが登場するものは、基本的に思想史である。思想はその形成に同時代の現実を反映しているかもしれないが、その目的は我々デザイナーはどのようにデザインすべきかというヴィジョンを示すものであり、決して現実に存在する/存在したデザインを合理的に説明するためのツールではない。
デザイン思想の歴史をトレスするテキストに登場する事例は、基本的にその思想に基づく模範作品である。もちろん、それが思想史ならばよい。モリスとその影響、バウハウスの思想とその影響を描くならば何の問題もない。しかし、それが「デザイン史」を名乗るとなるといささか問題がある。なぜならば、同時代のオブジェクトがすべて同じ思想の下につくられているとは考えられないからである。いや、むしろそのような思想の下につくられたオブジェクトは、現実世界ではきわめて少数派である。彼らの考えるユートピアとはそもそもnowhere、どこにもない仮想の世界を対置することによる現実批判であり、当然のことながら批判対象となる現実は多数派である。その多数派をまるで存在しなかったかのように扱う歴史とはなんなのか。
* * *
こうした「デザイン史」の状況の理由として、神戸大学の中山修一先生は、イギリスのデザイン史の例としてデザイン史が主にポリテクを中心とするデザイナー養成の場において発展してきたことをあげている。「つまり英国のデザイン史研究は、純粋に学術的な地平から発生してきたのではなく、より有能なデザイナーを養成するための教育的観点から要請されたものなのである」*。
* 中山修一(1995)「デザイン史の再構築へ向けて」『神戸大学発達科学部研究紀要』第2巻第2号、371頁。
→http://www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/81000196.pdf
こうした背景ゆえ、デザイン史の視点はつねに作り手の側にあり、その目的はよいデザインのための思想と方法論の構築にある。よいデザイン以外を知ることは、批判対象としての役割を除けば彼らにとってまったく無用の作業であり、デザイン史に求められてきたのもグッドデザイン思想の系譜であったということになる。だがそれでよいのだろうか。
* * *
Yahoo!知恵袋にこんな質問がありました。
大学のデザイン史の課題です。表現主義と機能主義の対立する事例を一つ選び、今日の問題と比較し考察せよ。
……
近代から現代に至るデザイン史の底流に対立理念として表現主義と機能主義とがある。前者は美術・工芸の世界を背景として個性に関連するものであり、後者は近代産業と社会の世界を背景とし没個性を目指すものである。この対立する事例を一つ選び、今日の問題と比較し考察せよ。
表現主義と機能主義についての調べはついたのですが、対立している事例がわかりません。
→http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1333555748
デザイン思想史の典型的な例です。
0 件のコメント:
コメントを投稿