2010年9月26日日曜日

公園遊具:がらくた公園がなくなってしまった。


| haginaka | sep. 2010 |

京急空港線大鳥居駅近く、萩中公園の中にある「がらくた公園」がなくなってしまいました。

がらくた公園を廃園します。
萩中集会所の建替えおよび公園改修のため、平成22年7月1日からがらくた公園の撤去工事を始めます。新しい公園の整備計画は策定中です。

大田区ホームページ:がらくた公園(2010年7月16日取得)

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在りし日のがらくた公園。


| haginaka | jun. 2005 |

基礎工事が進む現在と、ストリートビューを比較してみる。


| haginaka | sep. 2010 |

| google street view | sep. 2010 |


| haginaka | sep. 2010 |

| google street view | sep. 2010 |


| haginaka | sep. 2010 |

| google street view | sep. 2010 |

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がらくた公園が設置されたのは1968年(昭和43年)。ちょうど神明児童遊園にタコ滑り台が設置されたのと同じ頃です。




乗物ならなんでも…
子どもに人気のガラクタ公園

『朝日新聞』1969年1月24日、朝刊16頁。

羽田空港に近い大田区萩中三丁目、区立児童交通公園の一角。二千平方メートルの敷地内に並べられた『施設』は——。
蒸気汽関車、バス、タンクローリー、消防車、小型ダンプ、ロードローラー、ブルドーザー(五トン車、十二トン車)乗用車(三台)トラック、モーターボート、巡視船、レース用ボート、釣船、コンクリートミキサー、ガソリン給油機、レール(約二十メートル)、信号機、テトラポット(同三個)、ドラム缶(若干)、自動車座席(六組)、古タイヤ(数十本)……。
名づけて「ガラクタ公園」という。ジェット機のごう音と産業道路を行列するトラック、大小の工場からはき出されるばい煙といった最低に近い環境の子どもたちにせめてもの夢を、と作られたのが一昨年の秋。いま国電蒲田駅付近から自転車に乗ってくる子どもたちまで含め、終日、歓声がこだましている。
エンジンをおろし、ドアをはずし、バックミラーやワイパーまで除いた上、がん丈なすべり止めをかまされた乗用車——わがもの顔で町を走っていた時より、かえっていきいきしている。

私の記憶するかぎり、がらくた公園にはすでに乗用車やガソリン給油機はありませんでした。
また、記事にはありませんが、都電、都バスがありました。ただ両者とも廃園前の2007年には撤去されてしまったようです。

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がらくた公園の跡地には萩中集会所が新築され、その後ふるい集会所が取り壊される予定になっています。

このふるい集会所もなかなか趣があります。

| haginaka | sep. 2010 |

コンクリートが剥がれ落ちてくるのか、建物の周囲にはネットが張られたり、鉄板のひさしが仮設されています。1階は食堂。地下は児童館。


| haginaka | sep. 2010 |

建物の内部へ。

| haginaka | sep. 2010 |

1階受付前。


| haginaka | sep. 2010 |

階段室から2階ロビーを見る。


| haginaka | sep. 2010 |

階段室。


| haginaka | sep. 2010 |

2階ロビー入口。外階段から入れるつくりです。


| haginaka | sep. 2010 |

ロビーの受付コーナー。


| haginaka | sep. 2010 |

3階は体育室。このときは卓球が行われていました。


| haginaka | sep. 2010 |

取り壊される前に、もういちどじっくりと探索に行きたいと思います。

2010年9月25日土曜日

公園遊具:ふたたびタコ山足立区起源説


| shimo shinmei | jun. 2010 |

読売新聞の記事を見逃していました。タコ滑り台誕生の経緯について、かなり詳しく書かれています。

取材先は前田屋外美術(前田環境美術)で遊具制作にたずさわっていた工藤健氏と長久保明氏。両氏の写真も掲載されています。そしてだれが「石の山」に頭をつけさせたのかといえば、やはり足立区役所のお偉いさんということになっています。

記事のきっかけは神明児童遊園のタコの取り壊し。その神明児童遊園のタコについては「全国に約200基あると言われるタコ滑り台の中でも、最も古いもののひとつ」と曖昧な表現。




[東京の記憶]タコ滑り台 頭付けたら引っ張りだこ
抽象芸術変えた思わぬ一言

『読売新聞』2008年4月7日、朝刊27頁。

品川区の「神明児童遊園」。だが、子供たちはだれも本当の名前で呼ばなかった。「タコ公園」。公園の中央に幅10メートル、高さ4・5メートルの真っ赤なタコの滑り台があったからだ。
てっぺんにある赤く丸い頭から、地面に根を張るようにくねくねした長い足が伸びる。つるつるしたその足で時折、滑りそうになりながら、子供たちがきゃっきゃっとはしゃぎ声を上げてよじ登る。1968年にこの公園に現れたタコは、広末涼子さんが出演したCMにも登場した子供たちのアイドル。今や全国に約200基あると言われるタコ滑り台の中でも、最も古いもののひとつだ。
でも、いったいなぜ滑り台がタコなのか。緑あふれる公園の真ん中で、海の生き物形の遊具がどんと構えているのも変な話なのに。
渋谷区にある建設会社「前田環境美術」。この会社は、全国にあるタコ滑り台の生まれ故郷だ。
東京五輪を前に日本中がわいていた60年代初頭。都内では緑のある公園が次々と造られていた。そんなころ、同社の前身の会社も新規事業として遊具製作に乗り出す。
ところが同社には遊具のデザインや製作をする人がいなかった。「そこで当時の社長が東京芸大彫刻科で学ぶ芸術家の卵を何人かスカウトしてきたんです」。同社の参事で、卵たちのひとりだった長久保明さん(67)は話す。
「子供たちの想像力を刺激してやろうじゃないか」。粘土をこね続けたあげく、長久保さんらは、複数の曲線が組み合わさった、一見、何だか分からない形の滑り台を作り上げた。そう、まるで箱根の「彫刻の森美術館」に並ぶヘンリー・ムーア作品のような。
「当時の彫刻界では抽象形が大きな潮流だったので、どこか影響されていたのかも」。学生のリーダーだった彫刻家の工藤健さん(70)は振り返る。
「石の山」と名付けたこの滑り台の模型を手に、学生らは区役所などを営業して回り、いくつかの公園で採用されて、自信満々だった。
ところが、その鼻がポキリと折られてしまう。足立区役所を訪ねた時のことだ。若い職員は「ぜひ作りましょう」と乗り気。さあ正式に図面を、という段階になって、ひとりの幹部が口をはさんだ。「これじゃあ何だか分からんなあ。そうだ、頭を付けてタコにするか」
「なんてこった」。それでもせっかく取れた契約。工藤さんらは渋々、頭を付けた「石の山」を作った。だが、そんな思いに反して「ぜひうちにも」と、他の役所からも注文が次々と寄せられる。当の足立区には、結局10基も作られた。
「なんで、と思いながら公園に行ってみると、子供たちが大喜びしている。やっぱり子供たちが楽しんでくれるものを素直に作らなければ、と思いました」(工藤さん)。
40年間にわたり愛されてきた「神明児童遊園」のタコは今、もういない。公園移設の際、老朽化を理由に取り壊されてしまった。壊される直前の昨年7月20日、品川区は近くの子供たちを招き「お別れ会」を開いた。「タコさん、思い出をありがとう」。子供たちの声に、関係者として立ち会った長久保さんの胸は熱くなった。
その一方で、こんなこともふと、思った。
「頭が付いていないままだったら、こんなに愛されることはなかったかもなあ」

前田屋外美術側の証言では「足立区役所」で一致しているようですね。ただこの記事ではそれが「いつ」なのか、明示されていません。なので、神明児童遊園との前後関係は不明です。品川区に再取材する記者さんはいないのでしょうか。

* * *

「40年間にわたり愛されてきた「神明児童遊園」のタコは今、もういない。」と記者は感傷的になっていますが、公園移設後に復元されることは決まっていたはず。「神明児童遊園のタコ滑り台は、道路整備にあわせて新設される公園に、来春にも復元される予定だ」という東京新聞(2007年9月8日夕刊)の乾いた筆致と対照的。ちなみに、読売新聞の感傷的な記事は男性記者、東京新聞の乾いた記事は女性記者の執筆です。

2010年9月24日金曜日

公園遊具:タコ山のお値段


| ebisu | aug. 2010 |

タコのお値段はイカほどなのか。

以前にも少し記しましたが、もう少しデータがありましたので、メモランダム。

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1. 初期のタコ山

6月29日のエントリに、全国のすべり台などをスポッティングされている酉さんから価格についてコメントをいただきました(→こちら)。再掲します。

タコの山の価格のお値段の話題がありますが、以前気になって調べたことがありましたので、コメントさせていただきます。

昭和43年(1968年)、東京の都営野塩住宅にタコの山が設置されました。この時の記録が、団地自治会が出版した「25年の歩み」という冊子に残っています。
これによると、タコの山設置工事に、当時の価格で80万円かかったとありました。
この金額は、昭和40年代前半の、新入社員の年間所得とだいたい同じくらいではないかと思います。

昭和43年といえば、品川区神明児童遊園に親子のタコが設置されたころです。前回のエントリで、「タコの生みの親は品川区の職員」という東京新聞の記事を引用しましたが、その職員菅野善典さんの名前をググってみたところ、「品川経済新聞」に今年(2010年)3月、神明児童遊園にタコが再建されたときの記事がヒットしました。ここに最初のタコの価格が出ています。

新公園を設置したのは東京都。「公園が閉鎖されたのに遊具を再現することはあまりないのでは」と話すのは、旧公園のタコ滑り台で設計を担当した菅野善典さん。「当時は予算120万円ほど使って怒られたもの。今でもこうして子どもたちに愛されているならそれでも安いもの。設計冥利(みょうり)に尽きる」と顔をほころばす。

品川・二葉で「タコ滑り台」引っ越し祝う-道路整備に伴う公園移転で - 品川経済新聞

野塩住宅のタコは単体。これに対して神明児童遊園のタコは親子でかつ両者が雲梯でつなげられていましたから、80万円と120万円の差は説明できるかもしれません。

2. 最近のタコ山

2009年4月、北九州市小倉南区の志井公園にタコ滑り台が設置されました。このときの価格は約1千万円。

四月初旬、桜の花が舞うなか、北九州市小倉南区の志井公園に子供たちの笑い声が響いた。歓声の中心にあるのはピンク色のオブジェ。ゆるやかなカーブで形作られた彫刻のような遊具、通称「タコのすべり台」だ。公園のリニューアルにともない、同市が約一千万円の費用をかけて設置した。

『日経マガジン』2009年5月17日、22~23頁。

このタコは単体です。40年前のお値段の10倍以上ですね。

さらに、今年(2010年)3月、北九州市門司区の「和布刈公園」に設置されたタコの建設費は約4千万円!

関門海峡そばの門司区・和布刈(めかり)公園で、巨大なタコ形滑り台(高さ約6 メートル、幅約20メートル)の建設が進んでいる。近くに関門海峡めかり駅がある。観光トロッコ列車・潮風号に乗る親子連れらに楽しんでもらおうと、市が特産「関門海峡たこ」にちなんで建設しており、今シーズンの運行開始日の3月13日から供用を始める。関門海峡のタコをイメージした滑り台はピンク色のセメント製で、吸盤に見立てた突起物が並ぶ足部分が滑る台や階段になっている。施工は全国でタコ形滑り台を造っている前田環境美術(東京)で、同社が手がけた中では最大級という。 近くには地元の特産物を販売したり食事を提供したりする市場や、列車形の休憩所、あずま屋を備える芝生広場も市が整備し、滑り台と同時に開所する。総事業費は滑り台建設費約4000万円を含め約1億7500万円。

『読売新聞』2010年2月25日、西部朝刊5頁。

前田環境美術が手掛けた中でも最大級とのことですが、価格は志井公園の4倍! 画像検索してみていただければ分かると思いますが、ほんとうに大きい。またタコの足の水飲み場があったりして具象的。石の山の思想からはずいぶん遠くに行ってしまった印象です。

参考画像

『朝日新聞』2010年8月12日、北九州版朝刊19頁。


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新聞記事データベースをあたっていたら次のコラムがヒット。

(目の冒険)風景ザンマイ:11 変革か暇つぶしか 宮田珠己
街角の、他の人が気にもとめないようなモノを探し集める路上観察が、根強い人気である。
顔ハメ(穴に顔を入れる観光地の記念撮影用パネル)、オジギビト(工事現場の看板のおじぎをする人)、飛び出し坊や(道路に飛び出す子供が描かれた看板)などなど、多くのネタが本として出版されているし、それ以外にもインターネットを覗(のぞ)いてみれば、思いつく限りのありとあらゆる路上のモノがコレクションされている。私も、児童公園にあるタコのすべり台なんて見て回ったら面白いんじゃないか、と思ったら、とっくにやってる人がいた。
(以下略)

『朝日新聞』2007年6月10日、日曜版7頁。

「とっくにやっている人」とは価格についてコメントをいただいた酉さん(滑り台保存館主宰)のことを指しているに違いない。ちなみにコンクリート製公園遊具が好きにも関わらず私がここであまり取り上げないのは、酉さんをはじめとする偉大な先達を超える見込みがないからであり、水飲み場をスポッティングしているのはそれをやっている人がほとんどいないからという理由である。隙間が好きなのである(笑)。

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引用したコラムの日付は2007年。同時期に『散歩の達人』や『BRUTUS』でもタコ山が取り上げられている。神明児童遊園の大ダコの取り壊しに前後して、タコ山、タコ公園がさまざまなメディアに取り上げられていたようだ。

2010年9月14日火曜日

公園遊具:石の山はイカにしてタコとなりしか



公園遊具「タコ山」(あるいはタコすべり台)の原型は、プレイスカルプチャー「石の山」。「石の山」の作者は、彫刻家の工藤健氏。抽象的な形態のすべり台「石の山」に頭がついて「タコ」になったという。

では「石の山」にどうして頭がついたのかといえば、『散歩の達人』の記事によれば足立区役所のお偉方の指示であったという。ところが、東京新聞の記事によれば、この指示をしたのは品川区役所の担当者との証言。なるほど関係者の記憶違いであったのか、で終わりになると思いきや、『日経マガジン』に再び足立区役所であったとの証言が載っているのを見つけてしまい……

分からないことは調べてみよう、という訳だったのですが、調べてみてむしろ謎が深まってしまったというのが、今回のお話です。




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このウェブログの先のエントリでは、『散歩の達人』(2007年9月号、88〜91頁)の記事から「石の山」に頭がついた経緯を引用しました。それによれば、

「私[工藤健氏]が前田屋外に在籍中、営業マンと石の山を足立区役所へ売り込みに行ったら、お偉方に“これじゃ何がなんだかわからん。頭をつけてタコにしろ”と言われたんですよ」。
『散歩の達人』2007年9月号、91頁。

ところが、ほぼ同時期の東京新聞の記事では、経緯はほぼ同じものの、異なる関係者が記されていたのです。頭をつけるように指示したのは足立区役所のお偉方ではなく、品川区役所の職員だったというのです。


上の記事には、東京新聞のウェブサイトのキャプチャが引用されています。念のため確認しようと思いましたが、当該記事はとうにリンク切れ。図書館でマイクロフィルムから記事をコピーしてきましたよ。

登場人物は、品川区公園整備係長菅野善典さん(2007年当時)。


『東京新聞』2007年9月8日夕刊、11頁。

誕生40年 全国に”子孫190匹”
大タコ滑り台 「元祖」は品川
生みの親は区職員、来春まで一時休眠


赤くて大きな丸い頭、そこから伸びた長い足を滑って降りる「タコ滑り台」。……約四十年前に誕生したきっかけは、同区[品川区]職員の、ちょっとした思いつきだった。
……
品川区に公式記録はないが、菅野さんによると、同社[前田屋外美術。現前田環境美術]のデザイナーと、神明児童遊園に設置する滑り台について打ち合わせたという。
同社が提案したのは、複数の曲がりくねった滑り台を組み合わせたデザイン。菅野さんは「抽象的だ」とあまり気に入らなかった。ふと同社のカタログを見て「タコの滑り台にしたらどうか」と思いついた。そこには、子ダコの形をした別の遊具が掲載されていた。
元のデザインは、よく見るとタコの足に似ており、丸い頭を載せるとタコになる。デザイナーは図面を描き直し、大ダコの滑り台と、そこから子ダコの遊具に雲梯(うんてい)でつながったタコ滑り台が完成した。
……
通算約二十年、公園造りに従事した菅野さんは、ほかに「貝形滑り台」なども発案したという。しかしタコ滑り台が全国に広まったことを知ったのは、つい最近のこと。前田環境美術が全国各地の公園に設置したのだ。「子どもは抽象的なものより動物の方が喜びますからね」

Wikipediaにも品川区元祖説が記されています(→タコの山 - Wikipedia)。出典は示されていませんが、この東京新聞の記事がソースでしょうか。

品川区のお役人がこれだけはっきりと証言しているわけなので、元祖は足立区ではなく品川区で決定なのかといえば、じつはそうとも言い切れないのです。東京新聞の記事から2年後。『日経マガジン』(2009年5月17日、22-23頁)に、再び足立区起源説が掲げられています。取材先は前田環境美術株式会社参事の長久保明氏。



彼ら[前田環境美術社員であった東京芸大彫刻科卒の社員たち]がコンクリート造形のおもしろさを追求して完成させたのが「石の山」というすべり台のシリーズだ。ぐにゃぐにゃとした曲線で形作られた遊具は、上から見るとナメクジのような奇妙な形。今でも東京都調布市と狛江市にまたがる公社多摩川住宅の公園などに残る。
この彫刻作品ともいえる石の山が、タコをモチーフとした親しみやすいパブリックデザインへ大きく変貌するきっかけが、六五年に行われた新西新井公園(東京・足立)の建設工事だった。同区の担当者が石の山に「タコ頭」を付けることを提案、 長久保さんらも半信半疑ながら、そのアイデアに賛同した。
こうして誕生したのが第一号のタコのすべり台。作り手の不安に反して子ども受けは上々。タコは増え続け、足立区内には現在十カ所の「タコのいる公園」が残る。
長久保さんはこの遊具が広く受け入れられた要因として、抽象芸術の潮流を踏まえた、とらえどころのないデザインだったこと、そして足の部分のすべり台や頭部の踊り場など複数の遊び場が組み合わされているため、独自の遊び方を子供自身が生み出せたこと――を挙げる。基本の図面にはタコの目鼻はない。「正直に言えば、タコに見えなくてもいい。何に見えるか、どう遊ぶかは子供たちの想像力と創造力に任せます」

「子供遺産 タコのすべり台 」『日経マガジン』(2009年5月17日、22-23頁)

長久保明氏の名前は、下に引用した別記事にも見られます。取り上げられているタコは品川区神明児童遊園のもの。頭をつけるよういったのは得意先の担当者ですが、記事に提案者の所属は記されていません。

タコ滑り台は1968年ごろに、渋谷区の前田屋外美術(現・前田環境美術)が制作。考案者の一人が、当時、東京芸術大学で彫刻を学びながら同社でアルバイトをしていた、長久保明さん。今もアトリエ・エヌ技術部長として遊具開発にたずさわり、2代目の親ダコも作った人だ。
そもそものきっかけは、アルバイトの美大生仲間で考えた「石の山」という遊具彫刻。子供たちが自分で遊び方を工夫できるよう、さまざまな傾斜に穴や突起を盛り込んだ、不定形オブジェのような遊具だった。これを営業担当者が得意先に売り込んで、「頭をつけたらタコにならんか?」といわれたところから、タコ滑り台が生まれたという。
「動物の形にしてさえおけば子供は喜ぶ」といった安易な発想では、あのフォルムは作れない。理想に燃える若い芸術家たちが、子供向けだからと手を抜かずに知恵を絞った、造形的にも美しい遊具。タコ滑り台が愛されてきたワケは、ここにあるのではないだろうか。

「山田五郎のワケあり! タコ滑り台(品川区)」2010年05月29日
asahi.com:タコ滑り台(品川区)-マイタウン東京

さてさて、発案者は足立区なのか品川区なのか。分からなくなってきましたよ(笑)。
品川区の担当者の証言 VS 前田屋外美術の担当者ふたりの証言。
区役所の担当者が石の山にタコの頭を付けることを発案したことは間違いなさそうです。しかし、どちらの区役所であったのかによって、周辺のストーリーに違いが出ます。足立区役所説は、「足立区起源」説の根拠であり「足立区になぜタコすべり台が多いのか」の理由として語られています。他方で品川区役所説は「神明児童遊園のタコが全国のタコすべり台の元祖」説を語るものです。

設置の年代を比較してみましょう。

品川区神明児童遊園については、記事中に年代が記されていませんが、品川区のホームページには、「1968年(昭和43年)ごろに作られた」とあります。(→タコ滑り台とお別れ会 | 品川区

他方『日経マガジン』の記事では、「彫刻作品ともいえる石の山が、タコをモチーフとした親しみやすいパブリックデザインへ大きく変貌するきっかけが、六五年[昭和40年]に行われた新西新井公園(東京・足立)の建設工事だった」とあります。

というわけで、記事に記された年代による限り、足立区のタコすべり台のほうが古いことになります。

となりますと、品川区公園整備係長菅野善典さんの証言はいったいどうなるのでしょうか。まだあります。前田屋外美術の長久保明氏が登場するasahi.comの記事には、神明児童遊園と同じ「1968年[昭和43年]ごろ」という年代が記されています(神明児童遊園の記事なので、オリジナルではなく神明での設置年という意味の可能性もありますが……)。

ますます分からなくなってきました。

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ちなみにタコ山をつくっている前田環境美術のサイトには、「誰が」も「どこに」も書かれていません。

実はオリジナルデザインは『プレイスカルプチャー。石の山』だったのです。ちょうど「タコの頭」だけを外した姿を想像してください。創業時にこれをデザインした若い彫刻家は、ある人が気づいた『頭をのせたらタコになる』という発見とその注文に考えてしまいました。なにか自分の作品が価値を落としているような気がして・・・造形を志す若者が誰しも共通する悩みにぶつかったのです。・・・

しかしこの発見と注文こそがその後の遊具の運命を決定付けたのです。
……
オリジナルデザインの「石の山」だったら、果たして全国にこれだけの数が生まれたでしょうか。さてどうでしょう。答えはわかりませんが、皆に愛されるデザインとは、という課題を投げかけているのかも知れません。

タコの山のすべり台:前田環境美術株式会社

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教訓一

当事者の言うことが正しいとは限らない。記憶違いは大いに有り得る。さらにいえば、雑誌はもとより新聞ですらも内容が正しいかどうか、常に批判的に読む必要がある。

教訓二

デザイン史家ジョン・ヘスケットはデザインの決定過程について「あるデザイナーに言わせると、専務の奥さんの好みによって決まってしまうデザインもある」と記している(『インダストリアルデザインの歴史』)。ヘスケットの筆致はこのようなプロセスに否定的であるように思われる。しかしながら——もちろん専務の奥さんと区役所の公園担当者とはいっしょにできないかもしれないが——デザインというものは、往々にしてこのようなデザイナーではない人の「ちょっとした思いつき」でできてしまうものだ。しかも、それがロングセラー商品になってしまうという一例。
まさに、「皆に愛されるデザインとは、という課題を投げかけているのかも知れません。」

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菅野さんの「子どもは抽象的なものより動物の方が喜びますからね」という言葉。長久保さんの「正直に言えば、タコに見えなくてもいい。何に見えるか、どう遊ぶかは子供たちの想像力と創造力に任せます」という言葉。そしてasahi.comの「『動物の形にしてさえおけば子供は喜ぶ』といった安易な発想では、あのフォルムは作れない。」というコメント。これらの対比も面白いですね。土木系と美術系の思想の違い、あるいは創り手と受け手の意識の差なのでしょうか。

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「東京公園」?

2010年9月1日水曜日

公園遊具:恵比寿東公園のタコ山

こう毎日暑い日が続きますと、なかなか出先で寄り道する気にもなりませんが、恵比寿東公園のタコ山(タコすべり台)、見てきました。


| ebisu | aug. 2010 |

反対側から。


| ebisu | aug. 2010 |

タコの背中側、公園の裏には渋谷川が流れていて、明治通りに抜ける小さな橋がかかっています。


| ebisu | aug. 2010 |

残暑+夕暮れなのでタコ山で遊ぶ子はいませんでしたが、恵比寿駅に向かってタコ山の側を通り過ぎる人は結構います(写真は人のいないタイミングを狙って撮っています)。

周囲がオフィス街ということもあり、このタコは親子連ればかりではなく、大人たちにも知られた存在ではないでしょうか。


| ebisu | aug. 2010 |

訪れたとき、公園の半分は柵がされて工事中でした。渋谷川の護岸工事だそうです。
10月から来年春までは全面的に立ち入りできなくなるようです。


| ebisu | aug. 2010 |

涼しくなるのを待たずに訪れてよかった。


| ebisu | aug. 2010 |

現在工事中のエリアは更地になっています。護岸工事が終わったあともタコ山は残るのでしょうか。