2010年4月26日月曜日

芝4丁目あたり

本芝公園
| ① shiba 4 | apr. 2010 |

田町駅の北側、そばを通る京浜東北線の車窓からもよく見える本芝公園。かつては線路をくぐってこのあたりまで東京湾からの運河が続いていたそうです。



線路の向こう側の運河はまだ残っていますが、こちら側はとっくに埋め立てられ(昭和45年とか)、公園になっていたようです。2003年頃に再開発が始まり、周囲に取り残されていた古い街並みが取り壊されて、現在は高層マンションが建ち、往時の面影はほとんど残っていません。

芝浦3丁目から本芝公園を望む
| ② 芝浦3丁目から本芝公園方面を望む(正面のマンションの下) | apr. 2010 |

古い家の取り壊しがほぼ終わった頃、2003年6月に撮影したこの場所の写真が出てきましたので、少しばかり現在の風景と対比してみましょう。といっても、残っているものがほとんどないので、この街を知らない方には面白くも何ともないかも知れません。末尾に撮影地点の地図を載せておきます。写真下の丸数字と対応しています。

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| ③ shiba 4 | june 2003 / apr. 2010 |

上は、現在マンション(カテリーナ三田)が建っているあたりから、国道15号の側のビルを望んだ風景です。まだ取り壊し途中の建物が少し残っています。向こうのビルはほとんど変化がありません。KSBやDHCの看板がなくなりましたが、マンションが建って電車からの視界が完全に遮られてしまったからでしょう。2010年の写真の撮影場所は、おそらく重機が置かれているあたりです。背後はマンションの壁なので、これ以上さがることはできませんでした。

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| ④ shiba 4 | june 2003 / apr. 2010 |

取り壊された家屋と家財道具の瓦礫が積まれていました。ここも撮影地はマンションのど真ん中で、立ち入ることができません。少し離れたフェンス越しに、それらしき方向を撮影。ちなみにフェンスの手前はこんな感じ(↓)。


| shiba 4 | apr. 2010 |

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| ⑤ shiba 4 | june 2003 / apr. 2010 |

正面の東海道線をくぐる隧道と右側の白い家は変わりませんが、周囲はすっかり整備されました。路地の真ん中辺には幅の狭い線路がありました。向こう側から振り返ってみた写真が↓です。


| ⑥ shiba 4 | june 2003 / apr. 2010 |

かつて船を引き上げるために使われていたものではないかと推測したのですが、どうでしょう?

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再開発地域の南端には御穂鹿嶋神社があります。この神社も2006年に建て替えられています。社殿の写真は撮っていなかったのですが、狛犬の写真がありました。由緒正しいらしいですよ。


| ⑦ shiba 4 | june 2003 / apr. 2010 |

遠景の写真がないのではっきりしませんが、2003年の写真では阿形が左側に置かれている?

| ⑧ shiba 4 | june 2003 / apr. 2010 |

こちらは、神社の裏手、国道15号から入ったところに置かれていた狛犬です。前足はコンクリートで継ぎが当てられ、後ろ足には包帯が巻かれ、可哀想な状態でした。しかし、社殿が建て替えられた2006年にはこの狛犬もほぼそのままの姿で新造されて、元の場所でにらみをきかせています。背景に見える進入禁止の看板などは現存しています。


| shiba 4 | apr. 2010 |

これらの狛犬の由来については、やっとかめさんのウェブログに詳しく書かれています。


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冒頭のビルのように、変わった場所もあれば、ほとんど変化しない場所もあるわけで。


| ⑨ shiba 4 | june 2003 / apr. 2010 |

旧海岸通り方面に細い道を歩いていったあたりは、店こそ入れ替わっているところもありますが、街並み自体にはそれほど変化はなさそうです。


| ⑩ shiba 4 | june 2003 / apr. 2010 |

おでんと焼き鳥の店はインド料理店に変わっていました。

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街の風景は簡単には変わらないと思いこんでいて、でも実際に変わり始めるとあっというまに見知った姿が失われてしまうわけです。今回写真を整理していて、もっと早くから撮っておけばとか、もっといろんな角度で撮っておけば、と思ったりするわけですが、なかなか難しいですね。



2010年4月17日土曜日

水飲み場:邦西第二児童公園

q型水飲み場。ペイントされて、鮮やかなペパーミントグリーン。

水飲み場:邦西第二児童公園
| omori | apr. 2010 |

ペイントだけではない。改造もされている。

水飲み場:邦西第二児童公園
| omori | apr. 2010 |

ふつうのq型水飲み場のばあい、踏み台は後付で設置されているが、ここでは本体と一体になっているのだ。


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邦西第二児童公園は低層の都営アパートメントを挟んで二箇所に分かれているのだが、もう一箇所の水飲み場も同様にペイントされ、踏み台が設置されている。こちらは、サーモンピンク。

水飲み場:邦西第二児童公園
| omori | apr. 2010 |

踏み台は塗り分けられて別の色。

水飲み場:邦西第二児童公園
| omori | apr. 2010 |

ひょっとして、改造ではなく踏み台附きタイプがもともと存在するのだろうか。

ペパーミントのほうをよくみると、かつてはもう一箇所と同様に人造石のうえにピンクの塗装がされていたようだ。

水飲み場:邦西第二児童公園
| omori | apr. 2010 |

2010年4月14日水曜日

水飲み場:神楽坂あたり(再訪)

公衆便所の手洗い。明るい時間に再訪。

水飲み場:神楽坂あたり
| kagurazaka | mar. 2010 |

水飲み場:神楽坂あたり
| kagurazaka | mar. 2010 |

水飲み場:神楽坂あたり
| kagurazaka | mar. 2010 |

ほんとうに不思議な構造物。

2010年4月12日月曜日

公園遊具:大森・西三児童公園の象と馬

ふたりとも目が小さすぎ(笑)。

公園遊具:西三児童公園の象と馬
| omori | apr. 2010 |

FRP製の動物遊具といったら、ふつうそのあたりが相当デフォルメされているものだが。


ここの住人のほうが、よっぽど目が大きい。

西三児童公園のねこ
| omori | apr. 2010 |

しかも、馬がモヒカン刈!

公園遊具:西三児童公園の象と馬
| omori | apr. 2010 |

※たてがみです。分かっているって?

2010年4月11日日曜日

「パリに咲いた古伊万里の華」展:陶磁器における史料研究

昨年末に東京都庭園美術館で開催されていた「パリに咲いた古伊万里の華」展を再訪しようと考えていたのだけれども、結局のところ出かけずに終わってしまった。


九州国立博物館での巡回展が始まったようだ。


九州国立博物館 | 日本磁器ヨーロッパ輸出350周年記念 特別展『パリに咲いた古伊万里の華』
2010年4月6日~6月13日
福岡:九州国立博物館
http://www.kyuhaku.jp/exhibition/exhibition_s19.html

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もう一度行こうと思った理由は、展覧会関連の講演会に行きたかったから。講演会は有料なのだけれども、そのかわり同額の展覧会チケットが付いてくるということだった。で、行かなかった理由は、講演会の抽選申込みに外れてしまったから。残念。

聞きたかったのは、武蔵野美術大学講師である櫻庭美咲(さくらばみき)氏の講演、「ヨーロッパ王侯貴族の宮殿を飾る古伊万里」。レポートが庭園美術館実習生氏のウェブログに掲載されている。


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櫻庭氏の専門は日本製磁器輸出の研究。現在は医療製品に焦点を絞って研究をされている。文献をいくつか調べてみた。

櫻庭美咲「オランダ東インド会社文書における肥前磁器貿易史料の基礎的研究-1650年代の史料にみる医療製品取引とヨーロッパ陶磁器の影響」『武蔵野美術大学研究紀要』33号、2002年、91~103頁。

櫻庭美咲/藤原友子「日蘭貿易における陶磁史料の研究―肥前磁器製医療製品を中心に―」『鹿島美術研究年報』第19号、別冊、2002年、371~387頁。

櫻庭美咲「オランダ東インド会社日本商館文書における肥前磁器貿易史料 : 一六五〇~七〇年代の医療製品取引に関する史料研究の再考」『東京大学史料編纂所研究紀要』第16号、2006年、36~49頁。

櫻庭美咲「オランダ東インド会社文書にみる17世紀肥前磁器輸出の史料分析―バタヴィア=アジア域内の流通を中心に」『九州産業大学柿右衛門様式陶芸研究センター論集』2007年3月、173~190頁。

その方法は、櫻庭氏によれば次の通りである。

現在、わが国における輸出向け肥前磁器研究は、作品を考古学的方法論で歴史的に位置づけてゆく編年研究に重点がおかれている。国内のみならずヨーロッパや中近東、アジアなどに点在する数多くの製品の所在が把握され、次いで有田を中心とする生産地や、ヨーロッパの年や東インド会社の支部の跡地など消費地における発掘調査の成果に基づく制作年代の検討がおこなわれてきた。なお、こうした編年研究には、その実証性を側面から裏づけるため「東インド会社文書」の活用が不可欠であり、その重要性が周知されている。しかし、同文書はオランダ語の古語により量も膨大であるため埋蔵史料の宝庫となり、多くが未発表のままのこされていた。
(櫻庭美咲「オランダ東インド会社文書における肥前磁器貿易史料の基礎的研究-1650年代の史料にみる医療製品取引とヨーロッパ陶磁器の影響」『武蔵野美術大学研究紀要』33号、2002年、92頁。)

このような研究状況に対して、櫻庭氏は東京大学史料編纂所所蔵のオランダ東インド会社日本商館文書のマイクロフィルムを史料として、製品や制作年代の同定を試みている。このような方法による陶磁器研究はこれまで日本の陶磁器研究者によっては行われていなかったことゆえ、非常に貴重であり、その成果が期待される。

ただし、文書史料に現れる製品の名称をじっさいの製品と一致させるのはなかなか困難な作業と思われる。器形、絵付のヴァリエーションまで製品送状に詳細に記入されるとは考えにくいからである。そのような問題もあるゆえ、今後この文書研究が既存の考古学的方法による成果とどのように結びつけられるのか非常に興味深い。

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マイセンやセーヴルなどヨーロッパ名窯の華麗なやきもの。これらは、実は17世紀にもたらされて、宝石にも譬えられ、王侯貴族から熱狂的に迎えられた中国や日本からの輸入磁器への強い憧れから生まれたものだった。ロココ芸術の爛熟期にあった18世紀のヨーロッパ宮廷文化で、大きく花開いたこれらの宮廷陶磁を一堂に会し、名窯ごとの秘められた物語と名品の数々を紹介。その美の魅力と歴史を説く初の入門書。

ヨーロッパの名窯を紹介する本は他にも多くあるが、本書の特に第I部「東洋磁器への憧れと宮廷文化」は、ヨーロッパにおける磁器誕生の前史を分かりやすくまとめていて、すばらしい。ヨーロッパ陶磁の権威前田正明先生が共著者。武蔵美出身の櫻庭氏は前田先生のお弟子さんなのだ。入門書には珍しく文献目録も付いていて、とても参考になります。

2010年4月10日土曜日

はたらくくるま:UPSとCIの歴史

ウォーリー・オリンズの『コーポレート・パーソナリティ』を読んで以来、観察してみたいと思っていたんです。UPSのバン。

UPSとCIの歴史
| shinjuku | apr. 2010 |

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CIの歴史に関するよいテキストはないでしょうか。CIの理論、実践に関する書籍はいろいろとあるのですが、過去の事例を歴史的な文脈に置いたテキストをご存じの方があれば是非教えてください。

A・フォーティの『欲望のオブジェ』(邦訳1992年)第10章は「デザインとCI(コーポレート・アイデンティティ)」というタイトルであるが、じっさいにはロンドン市交通局とフランク・ピックの事例が取り上げられているだけである。CIの歴史的展開そのものについて、フォーティはウォーリー・オリンズの『コーポレート・アイデンティティ』(1978年)*を挙げ、「この本はひじょうに教えられるところが多いので、私はここでは彼の主張をまとめる以上のことをする必要はない」と述べている。というわけで、CIの歴史を扱った私の知っている唯一の文献はオリンズである。

Wally Olins, The corporate personality: an inquiry into the nature of corporate identity, London, 1978.
本書のタイトルは『コーポレート・パーソナリティ』。オリンズは1990年に『コーポレート・アイデンティティ』という別書を出版している。『欲望のオブジェ』邦訳中のタイトルはおそらく意訳で、結果的に誤解を招くものになってしまっているのか。

オリンズはCIのコンサルタントWolff Olinsの共同経営者(1997年まで)であり、本書も本来は理論と実践を主眼とした内容なのだが、刊行から30年以上を経過してその事例はすでにCI史の文献といってもよいかも知れない。オリンズ自身「ビジネスの世界ではものごとの変化は非常に早く、現在の出来事について私が記したことも読者の目に触れるときにはすでに歴史になっているかも知れない」(10頁)と述べているのは慧眼である。(オリンズはオクスフォードで歴史を専攻しているのだ。)

本書の第1章と第2章はCIの起源と歴史を考察しているが、これについてはまたの機会にまとめてみたい。しばらく前に、ナチスドイツとCIとの関係についてつぶやいている若者を見かけたが、そんなことも30年以上前に本書で論じられている。

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『コーポレート・パーソナリティ』で取り上げられている事例のひとつに、アメリカの宅配業者UPS(United Parcel Service)がある。大規模な配達システムを効率的に運営するために、UPSはいわゆるCIによって内部的な規律と顧客イメージの向上を果たしてきた。その実例の一つが配送車のデザインなのである。

UPSは社員のモティベーションを高め、その水準を上げ続けるために複雑なプログラムを開発しなければならなかった。彼らは独自の用語と複雑なシンボルを通じて精鋭主義を実践していった。たとえば、配送トラックやバンはパッケージ・カーと呼ばれている。個々のパッケージ・カー、じっさいには全車両がUPSの要望に合わせて特別に誂えられている。すべての車両が茶色の標準色で塗装されており、自動車メーカーの名前は外され、もともとのモデルが分からないようにボディの大部分に変更がなされている。UPSの車両には、Mack、GMC、Chevrolet、Dodge、Fordのバッジは付いていない。すべてのUPSのパッケージ・カーは毎日洗車される。『アメリカン・コマーシャル・カー・ジャーナル』によれば、あらゆる点が標準化され、コード化されているという。たとえば、パンクした場合は471、ロードサービスの呼び出しは386といった具合である。輸送業界の大部分の人びとが荷下ろしターミナルとか主要配送センターと呼んでいる場所を、UPSの世界ではハブと呼んでいる。パッケージ・カーを運転し、荷物を配送する人物はパーセルマンである。(オリンズ『コーポレート・パーソナリティ』27頁)

で、日本のUPSの「パッケージ・カー」。トヨタ・ハイエース。黒くてぴっかぴか(ちょっと焦げ茶色が入っているかも知れない。車に疎いので、カスタマイズされているかどうかは分からない)。トヨタのエンブレムは外されこそしていないものの、前後とも車体と同色で塗りつぶされている。ドアの把手もバンパーもホイールもみんな黒。全体にシンプルでありながら、印象的。

UPSとCIの歴史
| shinjuku | apr. 2010 |

なお、言うまでもなくオリンズの叙述は1978年ごろのUPSに関するもの。UPSは2003年に新CIを導入している。1961年から2003年まで使用されていたシンボルはポール・ランドによるものだ。また、日本への進出は2004年だそうだ。とはいえ、周囲の風景が映るほどに磨かれたボディと塗りつぶされたエンブレムに、彼らのCIポリシーの連続性を見ることができると思う。

2010年4月9日金曜日

水飲み場:戸山公園 06

水飲み三兄弟。

水飲み場:戸山公園 06
| toyama park | apr. 2010 |

水飲みが撤去されて手洗い水栓のみになった場所を先日紹介したが、同じ公園内の別の場所にオリジナルの状態を留める水飲み場を発見。


水飲み場:戸山公園 06
| toyama park | apr. 2010 |

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三兄弟といえば、こんなの(↓)もあった。

2010年4月8日木曜日

水飲み場:雑司が谷二丁目四っ家児童遊園

しばらく水飲み場ネタはいいや、と思っていたのですが、掘り出し物(?)がありましたものですから。

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「四つ家」なのか「四っ家」なのか。公園の入り口の銘板をみると「つ」が小さいようにも思われます。

で、ここの水飲み場。わたくし的に水飲み場ベスト3に入る神奈川県立近代美術館鎌倉本館(坂倉準三設計)の水飲み場と同じ(!)。

水飲み場:雑司が谷二丁目四っ家児童遊園
| zoushigaya | apr. 2010 |


色が違う(屋外に置かれたことによる腐食か)とか、排水路の切り込みが片側にしかないとか、水受けが浅いとか、手洗い水栓が新しくなっているとか、違いがないわけではありませんが、同一といってよいでしょう。

水飲み場:雑司が谷二丁目四っ家児童遊園
| zoushigaya | apr. 2010 |

こちら(↑)の側面には補修跡が見えますので、ひょっとするともうひとつの排水路は塞がれたのかも知れません。

水飲み場:雑司が谷二丁目四っ家児童遊園
| zoushigaya | apr. 2010 |

じつは、水道橋の元町公園に同型と思われる水飲み場があることを知り、先日わざわざ寄り道してみたのですが、すでに味気のない最新型に交換されていてがっかりということがありました。なので、今回出先で偶然見つけてとても興奮している、というわけなのです。


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20110114:同じ型でずっと状態のよいものがありました。



passerby/ 水飲み場:桐畑公園

2010年4月7日水曜日

あまり色味のないウェブログなので、少しばかり春らしい色を。


| mejiro | apr. 2010 |


| mejiro | apr. 2010 |

2010年4月5日月曜日

美しい文字の美しい看板:すみれや

大森の「すみれや」さん。

どうやら営業しているらしい。でもお客はあるのか知らん。手前が店舗で、台の上の商品(?)には布が掛かっている。奥に硝子の引き戸があり、向こうは畳の部屋。人の気配がある。

すみれやさんの看板
| omori | apr. 2010 |

「すみれや」という名前の響きも文字も美しいので、トレスしてみる。

すみれやさんの看板

「す」のみベースラインからはみ出している。バランスが悪いところもあるが、「洋品」「肌着」のいわゆる看板文字に比べて味わい深い。いや、脇役が「すみれや」を引き立てているのかも。

最近は既製の書体が簡単に使えるので、こうした描き文字が姿を消しつつある。残念に思うのはただの懐古趣味か。

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1時間後にふたたび前を通ったとき、上品な老婦人が戸を閉めて出て行った。

すみれやさんの看板
| omori | apr. 2010 |

閉店時間?


2012.01.09追記

看板が外されてしまっていました。