2010年4月1日木曜日

パン屋の1ダース

1ダースとは、通常12個を一組とする単位だが、英語で「パン屋の1ダース baker’s dozen」と言えば13個。どうして13個なのか。調べてみると「量目不足の罰を恐れて」という説と、「小売商の余得」説という、ふたつの解釈がある。しかし日本語のWEBサイトにもしばしば引用されている「罰を恐れて」説は(おそらく)間違いだ。以下、メモランダム。

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「パン屋の1ダース」という言葉をご存じだろうか。英語で「baker’s dozen」。リーダーズ英和辞典(第2版)には、

baker’s dozen
パン屋の1ダース、13個
量目不足の罰を恐れて追加したことに基づく慣習から〕

とある。

1ダースとは、通常12個を一組とする単位だが、パン屋の1ダースは13個なのだ。1個多い理由を、リーダーズは「量目不足の罰を恐れて追加した」としている。ところが、NOAD(New Oxford American Dictionary, 2005)には異なる説明がある。

baker’s dozen
a group or set of thirteen
- ORIGIN
late 16th cent. from the former bakers’ custom of adding an extra loaf to a dozen sold, this constituting the retailer’s profit.
(16世紀後期、1ダースのパンを売るときに1つ追加したかつてのパン屋の慣習から。これは小売商の余得となった。

ついでなので、OGBAC(Oxford Guide to British and Amerian Culture, 2005)。こちらはリーダーズと同様、「罰を恐れて」説。

baker’s dozen
a phrase meaning 13. It comes from the fact that in the past people who sold bread always added an extra loaf when somebody ordered a dozen (=12)
loaves, in case they might be punished for supplying too few.
(13を意味する成句。過去、パンを売る人びとは、量目不足の罰を受けないように、1ダース(12個)のパンを注文されたときにはいつでも1つおまけを付けたことから。)

罰を恐れてのことなのか、それとも小売商の余得なのか。解釈がふたつあるとなると、なにが違うのか調べてみたくなる。なので調べてみた。なお、日本語で「パン屋の1ダース」を検索すると、Wikipedia日本語版を含め、おおむね前者の解釈(=罰を恐れて説)が引用されているようだ。

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まずは「量目不足の罰」。罰があるということは、そこに法律がある。イギリスでパンの量目を規定していた法律が、「パンの基準法 assize of bread」である。主食であるパンの価格が不安定であったり、パン屋が不当な利益をむさぼっているとされると社会不安を招く恐れがあり、為政者にとってパンの価格維持は重要な関心事であった。


assize of bread, 1615.

その起源は13世紀に遡る。この法律は第1にパンの価格を一定に定める(通常、1個あたり4分の1ペニー、または2分の1ペニー)。他方で、原材料である穀物価格は変動する。もしも穀物の価格が高騰したらパン屋は大損するし、低下したら不当な利益を手にすることになる。そこで穀物価格の変動に合わせてパンの重量が定められていた。なぜパンの価格ではなく、重量を変化させるのかといえば、とくに貧しい人びとは毎日一定の金額しか食費として支出できない、という前提があった。高値でパンが買えなくなるよりも、量が増減したとしても常に一定の価格で購入できるべきだ、というのが当時の為政者の考えであった。

同じ金額のパンの重量が、原材料価格の変動によって変化する。重量が減ったとしても、顧客には、それが原材料費の騰貴によるものなのか、パン屋が誤魔化しを行っているためなのか分からない。そこで各地域には検査官がおり、定期的にパンの重量を検査し、定められた量目よりも少ない場合にはパン屋に罰金を科し、悪質な場合にはさらし台(→pillory:画像)にかけることで、公正さを保証していた。


assize of bread, 1615.

とはいえ、中世~近世の技術では一個々々のパンを均質に焼き上げることは難しい。このためにある程度の誤差が認められていた。R・C・コナーの計算によれば、重量不足が9%以内であれば、パン屋はさらし台にかけられずに済んだという。しかしながら、許容される誤差はそれほど大きくはない。そこで、パン屋が自衛的に始めたものが、1ダースのパンに1個おまけを付ける行為であったとコナーは言う。これが、「罰を恐れて」説である。1ダースに付加されるパン1個の割合は8パーセント強になるので、パン屋がぎりぎり最小限の重量のパンを焼いたとしても、1個おまけを付けることでさらし台を逃れることができたのだ(Connor 1987: 198-9)。

この法律は、1836年になってようやく廃止され、パンの価格は市場に委ねられるようになった。

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で、異論である「小売商の余得」説。

J・デイヴィスは、ふたつの点でコナーの主張に疑問を呈している。

(1)パンの重量の検査はダース単位ではなく1個単位で行われていた。
重量の検査がパン1個単位で行われていたのならば、1ダースに1つ付加しても罰を逃れることができない。

(2)「パン屋の1ダース」単位の取引は一般消費者ではなく、専ら行商人に対して行われていたことが記録されている。
この方法ならば、パン1個の重さも価格も変えることなしに、パン屋は自分のパンを扱う行商人に利益(インセンティブといってよいか)を与え、固定店舗で可能な以上に売り上げを上昇させられる。

このような事実から、そこには法律による価格と重量の統制は直接関係していないとするのである。(Davis 2004: 491)

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どちらの説が正しいのだろうか。私としては、NOAD=デイヴィス説を支持したい。

コナーの「罰を恐れて」説は、ふたつの事象、すなわち法律による罰則の存在と1個おまけを付ける行為を結びつけているが、あくまで状況証拠からの推測であって、両者を結びつける具体的な証憑は示されていない。ほんとうに罰を恐れてのことなのか、論拠が薄弱なのだ。また、デイヴィスがいうように、重量の検査がパン1個単位で行われていたのならば、1ダースに1つ付加する意味がない。

じつは1ダースが12個ではない事例は、パン以外にもある。Oxford English Dictionary(OED)には、13個をあらわす言葉として「パン屋の1ダースbaker’s dozen」の他に、「悪魔の1ダースdevil’s dozen」、「大ダースlong dozen」「印刷屋の1ダースprinter’s dozen」が挙げられている(OED、電子版、’dozen: 1c’)。

ポーランドの経済史家クーラは、魚の取引について顧客がその品質に満足しなかった場合、1ダースの価格で13ないし14匹を提供する事例を挙げている(Kula 1986: 84)。また、私の知る限り、イギリス陶器の卸売取引においてもlong dozen(13個)を12個の価格で行っている事例がある。パン屋以外にも1ダース13個の事例があるということは、パン屋のみが罰を恐れてこれを行っていたという解釈に疑問を呈するのだ。

他にもクーラは17世紀において「thousand」が実際の取引では1200個で行われていた(long thousandといわれる)と述べ、これらの単位が商取引の交渉過程で品質に対する一種の補償として本来の数よりも増量されていたと結論づけている(Kura 1986: 84)。

「罰を恐れて」説の論拠の薄弱さと合わせて考えると、「余得」説も含め「パン屋の1ダース」あるいは13個で1ダースという単位は、法律の有無とは直接には関係なく、品質が不安定な時代の卸売取引における一般的な慣行であったと考えることが妥当であると思われるが、いかがであろうか。

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ちなみに、1ダース=12個が商取引に用いられていたのはなぜなのかといえば、それは分割のし易さにある。10個であれば2と5でしか分割できないが、12は2、3、4、6の四つの数字で割ることができる。これが取引の際に便利だったのである(Kula 1986: chap. 10)。また、貨幣の単位も12進法であったので*、3分の1ダース(4個)や4分の1ダース(3個)という取引があっても、取引額の計算に困ることはなく、むしろ好都合であった。

*イギリスでは1971年まで。

文献:
Connor, R. D. (1987), The weights and measures of England, London.
Davis, J. (2004), ‘Baking for the common good: a reassessment of the assize of bread in Medieval England’, Economic History Review, 57 (3): 465-502.
Kula, W. (1986), Measures and men, Princeton.

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asahi.comの記事に次のような解釈が書かれている。

13個のパンときれいな手と
2005年10月24日14時19分

英語の慣用句にベイカーズ・ダズン(パン屋の1ダース)という表現がある。13を意味する言葉である。パン職人が12個のパンを焼くための原料で13個のパンを焼き、それを商人に卸し、商人にもうけさせ、結果としてパン職人にも多くの注文がくる。そのような誘惑に対するパン職人の自戒の言葉であり、職業倫理を説く警句である。パン職人のみならず、医師、会計士、弁護士といった専門家には強い職業的倫理観が要求されていることはいうまでもない。職業倫理にもとるような行為については、言い訳の余地はない。
(以下略)

asahi.com: 13個のパンときれいな手と - 経済気象台 - ビジネス(2010年4月1日取得)

これは「小売商の余得」説の亜種のようだが、ここでは「職業倫理を説く警句」とされている。そんな説があるのか。出典はなんだろう? ただ、量目不足はパン屋にとっては法による処罰の対象である。歴史的事実に鑑みれば、職業倫理の問題に帰着するような警句は成立しないはずである。


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