2011年9月22日木曜日

八幡小学校:新聞少年像

石井鐵太郎氏が世田谷区立八幡小学校に寄贈した新聞少年像を見てきました。タイトルは「錬磨」。同じく鐵太郎氏が寄贈した品川区立聖蹟公園の新聞少年像(後述)とは別物でした。


| tamagawa-den-en-chofu | sep. 2011 |

世田谷は広いですのが、八幡小学校はどこにあるのかと思って調べてみれば、うちから自転車で20分の距離。


| tamagawa-den-en-chofu | sep. 2011 |

東急東横線の自由が丘と田園調布の間の車窓から見える小学校がそれでした。これまでに何度か前を通ったことがあるぞ。


| tamagawa-den-en-chofu | sep. 2011 |

ただし、新聞少年像があるのは東横線と反対側にある正門を入ったところでした。


| tamagawa-den-en-chofu | sep. 2011 |

校庭開放の日、PTAの係の人に声をかけて像を撮影させてもらいました。

この像の寄贈の経緯について、再掲します。



金次郎より新聞少年像
世田谷・八幡小の校庭に建つ


二宮金次郎は古い。いまの理想像は新聞少年だ——東京都社会福祉協議会会長の石井鉄太郎さん(七八)が、母校の……区立八幡小……に、ブロンズの新聞少年像を寄贈、十九日朝、同校校庭で除幕式が行なわれた。
像は高さ一・三メートル、半そでシャツに半ズボンの元気のいい少年が新聞をかかえて走っている姿で、東大講師の小金丸幾久氏の制作。石井さんは「朝早く散歩するとき、よく新聞少年に出会って、感激する。私も小さいとき、魚屋の小僧をした。みなさんもこの少年のように健やかに、たくましく生きて、りっぱなおとなになってほしい」と、参列した小さな後輩たちに語った。

『読売新聞』、1971年7月20日、朝刊13頁。


| tamagawa-den-en-chofu | sep. 2011 |

PTAの人に聞いたところ、八幡小学校には二宮金次郎像はないとのこと。


| tamagawa-den-en-chofu | sep. 2011 |

金次郎は元から存在しなかったのか。


| tamagawa-den-en-chofu | sep. 2011 |

それとも鐵太郎氏によって置き換えられてしまったのか。

* * *

石井鐵太郎氏は、八幡小学校よりも4年前、昭和42年(1967年)に、品川宿本陣跡にある「聖蹟公園」にも新聞少年像を建てていることは、すでに触れました。


こちらのタイトルは「夜明け」。


| kitashinagawa 2 | jan. 2011 |

聖蹟公園に掲示されていた解説には、次のように書かれています。

夜明けの像 昭和二十四年に二宮尊徳像が建立さられたが、昭和四十二年に石井鐵太郎によって、現在の子ども達が親しみやすい像ということで改めて新聞少年の像が贈られた


| kitashinagawa 2 | jan. 2011 |

こちらの少年は野球帽。八幡小学校の少年は無帽。
聖蹟公園の像の作者は分からないのですが、八幡小学校の像は彫刻家の小金丸幾久氏。
八幡小学校の新聞少年のほうが、顔も姿も整っているように思います。

2011年9月20日火曜日

公園遊具:東嶺公園のカップル

ここにもいました、例のカップル。
やはり高いところが好きなようです。


| higashi-minemachi | sep. 2011 |

ベージュ色に塗り込められてしまって、裸度が増しています。
髪の毛を黒で塗るとよりリアルになってしまうでしょうね。


| higashi-minemachi | sep. 2011 |

左側の女の子、腕に何を抱えているのでしょう。
男の子の視線もそちらに向いている。


| higashi-minemachi | sep. 2011 |

まさか、ふたりの愛の結晶!?

2011年9月18日日曜日

新宿中央公園の制水弇

そういえば、高層ビル街〜新宿中央公園あたりは淀橋浄水場の跡地でした。

こちらは立小便禁止の注意書きのそばにある「制水弇」です。


| shinjuku | sep. 2011 |

「せいすいえん」と読むらしい。
検索するといろいろ出てきます。
意味としては「制水弁」と同じよう。


| shinjuku | sep. 2011 |

こちらは「空氣弇」
「くうきえん」と読むのでしょう。

* * *

ところで本題は漢字の読みではなくて、マンホールの柄。
東京都の紋章、通称「亀の子マーク」のデザインです。


これが繰り返しパターンになっている。
なかなか良くできていますね。
東京都の紋章が様々に応用可能な優れた意匠だということがよくわかります。ただし、現在のCIテキストではNGになりそうですが。


| shinjuku | sep. 2011 |

上は「制水弁」。
書体が丸ゴシックで、旧字体楷書の上記ふたつよりも新しそうですが、やはり亀の子文様です。

2011年9月14日水曜日

注意書き:神楽坂あたり

なかなか気が利いている。


| kagurazaka | aug. 2011 |

この貼り紙の周囲に自転車はなかった。
すでに被災地に送られてしまったようだ(笑)。

2011年9月13日火曜日

注意書き:新宿中央公園あたり

そりゃあ、立小便はいけないけれども、この理由にはたいへん抵抗を感じる(笑)。


| shinjuku | sep. 2011 |

イヌやネコは看板読めないし。

* * *

この注意書きの支柱、無駄に立派な構造をしています。


| shinjuku | sep. 2011 |

もともとは何か別の用途に使われていたのでしょうか。


| shinjuku | sep. 2011 |

公園の銘板か知らん。

2011年9月12日月曜日

日本新聞博物館:新聞少年の像

日本新聞博物館の前にある「新聞少年の像」。
有栖川公園の新聞少年像を見たときに調べたので、その存在は知っていましたが、近くにでかけたので、見てきました。


| yokohama | sep. 2011 |

2004年の設置ですので、まだ新しい。

「新聞少年の像」の除幕式 日本新聞博物館

横浜市中区日本大通の日本新聞博物館で5日、日本新聞販売協会(寺内誠一会長)が創立50周年を記念して寄贈した「新聞少年の像」の除幕式があった。
像は彫刻家・故翁朝盛氏の作品で、新聞を小脇に抱えて元気に配達をする少年の姿を表している。台座を含め高さ約2・3メートル。

『朝日新聞』、2004年6月5日夕刊14頁。

翁朝盛氏の作品の複製とのことなのですが、オリジナルの制作年は分かりません。台座の碑文にも書かれていません。


| yokohama | sep. 2011 |

詰め襟、長ズボン、学帽の新聞少年です。

日本新聞販売協会のホームページにも紹介があります。



こちらは半袖半ズボン野球帽。



公園遊具:新聞少年二題



* * *

古新聞を調べてみると、品川宿、聖蹟公園の新聞少年像を寄付した「石井鉄太郎」氏について、次のような記事がありました。

金次郎より新聞少年像
世田谷・八幡小の校庭に建つ


二宮金次郎は古い。いまの理想像は新聞少年だ——東京都社会福祉協議会会長の石井鉄太郎さん(七八)が、母校の……区立八幡小……に、ブロンズの新聞少年像を寄贈、十九日朝、同校校庭で除幕式が行なわれた。
像は高さ一・三メートル、半そでシャツに半ズボンの元気のいい少年が新聞をかかえて走っている姿で、東大講師の小金丸幾久氏の制作。石井さんは「朝早く散歩するとき、よく新聞少年に出会って、感激する。私も小さいとき、魚屋の小僧をした。みなさんもこの少年のように健やかに、たくましく生きて、りっぱなおとなになってほしい」と、参列した小さな後輩たちに語った。

『読売新聞』、1971年7月20日、朝刊13頁。

聖蹟公園内の解説には「昭和二十四年に二宮尊徳像が建立さられたが、昭和四十二年に石井鐵太郎[地元の社会活動家]によって、現在の子ども達が親しみやすい像ということで改めて新聞少年の像が贈られた」とありました(公園遊具:新聞少年二題)。

世田谷の記事は1971年。聖蹟公園の像は1967年です。聖蹟公園のものはタイトルが「夜明け」。作者名は書かれていませんでした。さてさて、両者は同じ銅像なのでしょうか。両方とも二宮金次郎を置き換えている。鉄太郎さんは金次郎が嫌いだったのでしょうかね。



金次郎、じつは漫画も好きだったらしい。
しかもゴルゴ13(笑)。
都内某所にて(2010年10月)

2011年9月11日日曜日

街路灯:岡本太郎美術館

川崎市岡本太郎美術館アプローチの照明。


| ikuta | sep. 2011 |

足下を照らすための照明なので、寸詰まりですが、これも燃料棒系(しつこい)。

縦型、円筒形、乳白色硝子となると、基本的な造形はみな似てきますね。

2011年9月10日土曜日

街路灯:数寄屋橋あたり

そろそろ街路灯カテゴリをつくろうか知らん。

それはさておき、燃料棒モチーフ(たぶん違うと思うけど)の街路灯って意外にあるものなのですね。


| sukiyabashi | sep. 2011 |

何の話かといえば……



| sukiyabashi | sep. 2011 |

頂点に傘が付いていないぶん、大門よりこちらの方が燃料棒っぽいかもしれない。


| sukiyabashi | sep. 2011 |

もっとも、燃料棒がどんなカタチか知らないのだけど。


| sukiyabashi | sep. 2011 |

晴海通りのこの型の街路灯のほとんどが「節電のため消灯中」。


| sukiyabashi | sep. 2011 |

じつはなくてもいい存在なのですかね。

2011年9月8日木曜日

CHANEL NEXUS HALL:『ココ・シャネル1962』ダグラス カークランド写真展




『ココ・シャネル1962』ダグラス カークランド写真展
2011/9/4〜2011/9/29
CHANEL NEXUS HALL
入場無料


1962年、当時27歳だった写真家ダグラス・カークランド(Douglas Kirkland, 1934-) が撮影したココ・シャネルの写真。
チラシの解説文によると、最近になってこのときのネガフィルムがカークランドの倉庫から発見され、日本で初めて公開されることになったとのこと。ココ・シャネルは1883年生まれ(1971年没)なので、写真が撮影された当時は79歳でしょうか(アクシスのサイトによる展覧会紹介には78歳とある。)



カークランドが捉えたココのスナップはとても人間的な魅力に溢れています。とくに笑顔が素敵なのです。

たまたま最近、DVD「CHANEL CHANEL art documentary」を見たのですが、私は晩年のココに非常に気難しい人物という印象を持っていました。



DVDにはココへのインタビューも収録されています。このインタビューの中で、ミニスカートの流行を攻撃する彼女はなかなか怖い。そのイメージが強烈だったものですから。しかし、この写真展を見て、ココ・シャネルに対するイメージが変わりました。





シャネル シャネル[DVD]

2011年9月7日水曜日

AXISギャラリー:第6回 金の卵 オールスター デザイン ショーケース




第6回 金の卵 オールスター デザイン ショーケース
2011/8/25〜2011/9/4
AXISギャラリー
http://www.axisinc.co.jp/publishing/exhibition/201108.html

今回のテーマは「日常/非常 ハイブリッド型デザインのすすめ」。非常時は、いつ、どこでやってくるかわかりません。地震や台風などの自然災害もあれば、断水や停電、身近なところでは、事故による電車の不通や交通渋滞、人によっては携帯が通じないときを非常時と感じるでしょう。当たり前の日常から、いきなり非常時に陥ってしまったとき、自分の周りにあるものやいつも何気なく使っているものが役立てばそれに越したことはありません。
日常と非常は表裏一体。東日本大震災で得られた経験も生かして、どちらの状況でも役に立ち、誰もが欲しく(使いたく)なるような魅力ある、目からウロコのデザインに期待したいと思います。(展覧会サイト解説抜粋)


デザイン系の学生によるデザイン提案の数々。

上記引用にもあるとおり、テーマは「日常/非常 ハイブリッド型デザインのすすめ」。3.11震災をふまえ、非常時にデザインによって何ができるのかについての提案が中心の展覧会であった。

非常時などしばしばあるものではない。しばしばあるなら、それは日常だ。だから、国家単位でも、家庭単位でも、個人単位でも、起こりうるかもしれない非日常に対しては、日常とのコストのバランスを考えながら備えることになる。日常の利便性を大きく損なってまで非日常に備えることをふつうの人びとはしないし、できないのだ。

そこで「ハイブリッド型」デザインである。つまり、日常における利便性を持ちながらも、非常時にはそれに対応しうる複合的な機能を持つデザインであれば、わずかなコストで非日常に備えることができる(はずである)。ふだんは○○だけど、非常時にはトランスフォームして××になるのだ。

もちろん、現実的なプロダクトとしては未熟ゆえに突っ込みを入れたくなるものが多い。ただし、それは私が消費者目線でプロダクトをリアルな生活に置いた場合を想定して見ているからである。しかし、ここで大切なのは問題の発見と解決のプロセスが適切かどうかであり、そのような挙げ足をとるのは本筋ではない。

で、その問題の発見と解決のプロセスなのだが、調査分析の過程がもっと詳しく書かれていれば、提案されたプロダクトにもさらに説得力があったであろうと思われる。

会場では出品学生によるプレゼンテーションもあったということなので、それを聴講していればもう少し印象は異なったかもしれない。もちろん、悪い方に、という可能性もあるのだが。

* * *

興味惹かれたプロダクトについてのメモランダム。



thesis
法政大学大学院デザイン工学研究科修士課程1年生のプロダクト。
以下、解説を引用。

原子力エネルギーで扱われる燃料棒をモチーフにしたフロアスタンド。今、非常の象徴となっている原子力を生活空間に置くことで、日常と非常の境を曖昧にする。このスタンドから発せられる光は、原子力でつくられた電力そのものであり、私たちが原子力の恩恵を受けているという事実を突きつける。また、鼓動する光は、無機的な人工物に生命を宿し、私たちに緊張感を与える。
『第6回 金の卵 オールスター デザイン ショーケース ガイドブック』46頁。

原子力発電所の多くが停止している現在、このフロアスタンドの明かりを灯しているのは水力と火力による電気が中心なのではないか……というのは、すみません、ただの挙げ足とりです。

補足:「全国54基の原発で動いているのは11基だ。再稼働できないと運転中の原発は年末には6基に減る。来春にはゼロになり、震災前の全発電量の3割が失われる。」(エネルギー政策 展望なき「脱原発」と決別を / 社説・コラム / YOMIURI ONLINE(読売新聞)2011年9月8日取得)

ここでの問題設定は、必ずしも非常時ではない空間——フロアスタンドを灯すことができるのは、そこが日常だから——に、非日常的なプロダクトを持ち込むことで緊張感を演出することにある。

それでは、「燃料棒」と「鼓動する光」は、それを実現しているのだろうか。

造形について言うと、そもそも私は「燃料棒」がどのようなカタチなのか知らない。つまり、「燃料棒をモチーフにしました」と言われれば、へえそうなんだ、と思うが、イメージできるのはそれが棒状であるという程度のものだ。みなさんはどうだろう。

新聞記事などで私がイメージしている燃料棒は、下の図のようなもの。


『朝日新聞』2011年3月19日朝刊3頁。

ただの棒である。

ググってみると、日本原子力発電株式会社のHPにもう少し詳細な図があった。


うーん、分からない。


『第6回 金の卵 オールスター デザイン ショーケース ガイドブック』46頁。

どれだけの人びとが燃料棒のカタチを知っているのだろうか。つまり、このデザインから人びとはどれほど非日常を感じることができるのだろうか。ただのモダンな照明器具ではないのだろうか。

もうひとつ。3.11は衝撃的な体験であった。そして現在に至っても、私たちの日常生活は、放射性物質の飛散によって脅かされている。私たちが見えない恐怖とリアルに戦っているなかに、ニセモノの燃料棒を持ち込むことは、どのような意味があるのだろうか。

たとえば、この照明器具にガイガーカウンターと連動して光が強弱するというギミックがあったらどうだろう。明るさの強弱ではあまり変化が感じられないので、色が変わるようにするとか。それも現在地点ではなく、福島第一原子力発電所付近のデータとリンクする。この照明がリアルな「非日常」と連動していれば、もっともっと意味のあるものになる気がする。われわれが直面している「非日常」はヴァーチャルではなく、リアルな存在なのだから。

* * *

こちらは芝大門の街灯。


| daimon | sep. 2011 |

そうか、これは燃料棒をデザインしたものだったのか。


| daimon | sep. 2011 |

こんなところで、非日常に出会うとは。


| daimon | sep. 2011 |


* * *

20110910追記

ガイガーカウンター付き、すでに同じコメントをしている人がいました。



* * *

説明書きがなければ燃料棒と分からないなら、その説明書きを家のコンセントのところに貼り付けておくだけで良いと思う。あるいは電信柱に貼る。フロアスタンドはいらない。

フジ三太郎
『朝日新聞』1978年10月26日、夕刊15頁。

ブレーカーのヒューズ交換なんて、今の若者は知っていますかね。