世田谷は広いですのが、八幡小学校はどこにあるのかと思って調べてみれば、うちから自転車で20分の距離。
東急東横線の自由が丘と田園調布の間の車窓から見える小学校がそれでした。これまでに何度か前を通ったことがあるぞ。
ただし、新聞少年像があるのは東横線と反対側にある正門を入ったところでした。
校庭開放の日、PTAの係の人に声をかけて像を撮影させてもらいました。
この像の寄贈の経緯について、再掲します。
金次郎より新聞少年像
世田谷・八幡小の校庭に建つ
二宮金次郎は古い。いまの理想像は新聞少年だ——東京都社会福祉協議会会長の石井鉄太郎さん(七八)が、母校の……区立八幡小……に、ブロンズの新聞少年像を寄贈、十九日朝、同校校庭で除幕式が行なわれた。
像は高さ一・三メートル、半そでシャツに半ズボンの元気のいい少年が新聞をかかえて走っている姿で、東大講師の小金丸幾久氏の制作。石井さんは「朝早く散歩するとき、よく新聞少年に出会って、感激する。私も小さいとき、魚屋の小僧をした。みなさんもこの少年のように健やかに、たくましく生きて、りっぱなおとなになってほしい」と、参列した小さな後輩たちに語った。
『読売新聞』、1971年7月20日、朝刊13頁。
PTAの人に聞いたところ、八幡小学校には二宮金次郎像はないとのこと。
金次郎は元から存在しなかったのか。
それとも鐵太郎氏によって置き換えられてしまったのか。
* * *
石井鐵太郎氏は、八幡小学校よりも4年前、昭和42年(1967年)に、品川宿本陣跡にある「聖蹟公園」にも新聞少年像を建てていることは、すでに触れました。
こちらのタイトルは「夜明け」。
聖蹟公園に掲示されていた解説には、次のように書かれています。
夜明けの像 昭和二十四年に二宮尊徳像が建立さられたが、昭和四十二年に石井鐵太郎によって、現在の子ども達が親しみやすい像ということで改めて新聞少年の像が贈られた
こちらの少年は野球帽。八幡小学校の少年は無帽。
聖蹟公園の像の作者は分からないのですが、八幡小学校の像は彫刻家の小金丸幾久氏。
八幡小学校の新聞少年のほうが、顔も姿も整っているように思います。
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