2016年3月24日木曜日

世田谷美術館:
ファッション史の愉しみ
―石山彰ブック・コレクションより―



ファッション史の愉しみ―石山彰ブック・コレクションより―
2016年2月13日〜2016年4月10日
世田谷美術館

西洋服飾史研究家・石山彰氏(1918-2011)のコレクションを中心に、16世紀から20世紀初頭にかけてのファッション・ブックとファッション・プレート、および服飾史研究書や明治時代の錦絵をご紹介します。神戸ファッション美術館が所蔵する同時代の衣装も合わせて展示することで、ファッション・プレートやファッション・ブックが持っている、ファッションであり画家の作品であり版画であるという、さまざまな要素が複合する魅力に迫ります。

今年は、(東京近郊の)あちらこちらの美術館でファッション関連の展覧会が目白押しです。

すでに始まっている展覧会を挙げただけでも、これだけあります。


この後にも、ルイ・ヴィトン、ポール・スミス、マリメッコなど、ブランドの展覧会なども含めて非常に多くのファッション系展覧会が予定されています。

そのなかでも、世田谷美術館の「ファッション史の愉しみ ―石山彰ブック・コレクションより―」はファッション・イグジビション・イヤーの先陣を切って始まった展覧会です。

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先陣を切って、といっても、この展覧会の自体は神戸ファッション美術館で開催された展覧会(2014.10.18〜2015.1.6 ☞ こちら)の巡回展です。

さらにいえば、この企画は石山彰氏が亡くなられた2011年から始まっていたと言ってよいので、2016年に東京で開催されることになったのは偶然。偶然ではあるけれども、これだけ重なるのは、やはりなにか時代のトレンドなのでしょうね。

展覧会の趣旨としては、西洋服飾史研究家・石山彰氏(前お茶の水女子大学教授、文化学園大学名誉教授)の約70年にわたる研究生活によって遺されたファッション史関係のブック・コレクションを展示するもの。石山氏の没後に、お弟子さんである能澤慧子氏(東京家政大学教授)と東京家政大学の院生によって行われたコレクション調査の成果です。

しかし、見どころはそれにとどまりません。会場には神戸ファッション美術館が所蔵する西洋衣装の実物が合わせて展示されているのです。

まずは、会場の展示風景を見てください。
※ 世田谷美術館の許可を得て撮影・掲載しています。

壁面には石山彰コレクションのファッション・プレート。


展示ケースにはファッション・ブック。


そして展示室中央の台には、神戸ファッション美術館の実物史料。


ご覧の通り、マネキンにはメイクが施されています。


メイクは、衣装と同時代のファッション・プレートを参考にしているそう。


もちろん、盛り盛りのヘアスタイルも!


いやいやいや、この髪型で馬車に乗れたのだろうかとか、邸宅の入口や部屋の扉から入ることができたのだろうかと、いろいろな心配が頭をよぎります。じっさい、同時代にも過剰なファッションを皮肉る風潮はあったようですが。


《クリノリンの幸不幸》と題する画。1858年頃。


《クリノリンの天下》。1858年頃。


クリノリンとは、スカートを張らせるためのアンダースカートおよびその材料。丸い輪の形をしたかごのように作った枠に布などを張ったもの。

「6スー? いいえマダム。24スーです。あなたは4倍の場所をとるのですから。」

こちらは、胴着を試着させる仕立屋の再現。18世紀後半。
胴着のウエストの細いこと!


横には同様の場面が描かれたファッションプレート。

Gallerie des Modes et Costumes Français. 15e. Cahier des Costumes Français, 9e Suite d'Habillemens à la mode en 1778. P.85 "Tailleur costumier essayant un cor à la mode ..."

これらに対して、20世紀ファションを着せたマネキンはシンプルですね。
手前の水着は、ジャンセン社(Jantzen, 1923)。ウールです。


ファッション・プレートに現れた衣装とまったく同じものがあるわけではありませんが、時代のスタイルを立体的に見ることができる展示構成になっています。壁のファッション・プレートと、中央の衣装との間を行ったり来たり。

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タイトルは「ファッション史の愉しみ」。石山彰コレクションが見せるのは「ファッションの歴史(変遷)」にとどまらず、「ファッション史研究の歴史」でもあります。

また、「ファッション史研究」がなにを目的として成立してきたかを考えると、それは古今東西のファッションに学び新しいファッションを生み出すための素材であったわけで、「ファッション史」自体がファッションの歴史でもあるのです。

マネキンを使った再現から分かるのは、ファッションはそれを着る人間がいて成立するものだということ(あたりまえですが)。ファッションはそれを着ていた人々の身分、職業、生活等々を語る歴史史料でもあります。

また、ファッション・ブック、ファッション・プレートの同時代的な役割を考えれば、それは「ファッション・メディアの変遷」を見る展覧会でもあります。もちろん、そこには印刷技法の歴史も含まれます。また、ファッション・メディアを誰が需要していたのかという歴史でもあります。

それゆえに展覧会の構成は多層的。
さまざまな関心、視点から見ることができます。
一筋縄ではいきません。
ファッションの歴史は人間の歴史でもあると聞きましたが、まさにその通りです。

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三菱一号館美術館「PARIS オートクチュール」と比較してみるとどうでしょう。


三菱一号館美術館:PARIS オートクチュール展会場(※撮影可の展示室)

「PARIS オートクチュール」展は、1868年に始まるパリのオートクチュールの歴史に焦点を当てた展覧会です。ギルドと言ってもよい規律を持つ組織と、そこに所属して世界のモードを牽引してきたファッション・デザイナーたちの作品が並んでいます。時代は19世紀末から20世紀。ファッション・プレートもありますが、展示物の点では、実物が主で、資料が従。

「ファッション史の愉しみ」展は、16世紀末から始まり20世紀前半までのヨーロッパのファッションの文献と実物。さらには、揚州周延らによる明治期の錦絵に描かれた日本人の洋装も紹介されています。これらの錦絵も石山彰氏のコレクション。これもある種のファッション・プレートですね。鹿鳴館時代の洋装の実物展示もあります。展示物の点では、資料が主で、実物が従。

「PARIS オートクチュール」はファッションのつくり手の歴史、「ファッション史の愉しみ」は社会におけるファッションに目を向けた歴史展示ということもできます。なので、前者ではデザイナーの名前が強調されますが、後者では必ずしもそうではありません。

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会場を出たところ、ロビーで上映されている映像は必見です。映画やテレビドラマの映像をまとめたもののように見えますが、こちらは神戸ファッション美術館が制作したこのオリジナル映像。18世紀後半から19世紀末までの衣装を役者に着せてヨーロッパで撮影したものだそうです。お金掛かってますねえ(笑)。

展示総数は約500点! 素敵な表紙の展覧会図録(1,500円)には、展示作品すべてが掲載されているわけではないので、お気に入りの作品はしっかり目に焼き付けるか、タイトルを控えておいてネットで検索するとよいでしょう。ファッション・ブック、ファッション・プレートには著作権が切れていてネット上で公開されているものも多いようです。


石山彰氏の未公刊テキストも収録された論考集(500円)もありました。


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個人的にとても気に入ったファッション・プレートはこちら。
A.E. Marty, La Rythmique(リズム体操)。
白い衣装を着てダンスする子供たちがかわいい。


これは1912年から1923年までに7巻が刊行された『Modes et manières d'aujourd'hui』というファッション誌の1枚。1巻ごと1名のイラストレーターに作品が依頼され、各巻300部のみが刊行された。彩色はポショワール。

※ ポショワール (pochoir):ポショワールとは、亜鉛や銅版を切り抜いた型を用いて刷毛やスプレーで彩色する西洋版画の一種です。写真製版によって作家の原画から複製品を作る技術が無かった20世紀初頭に、このポショワール技法が多く用いられました。(出典:大村美術館ウェブサイト

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なお、石山彰ブック・コレクションが今後どこに引き取られることになるのかは決まっていないそうです。まとまった形で継承されるといいのですが。

  


2016年3月23日水曜日

石洞美術館:
スペイン陶器展—煌めきのイスパノ・モレスク—




スペイン陶器展—煌めきのイスパノ・モレスク—

2016年1月16日〜2016年4月3日
石洞美術館

8世紀から約700年の間、南部を中心に、イスラーム勢力の統治下にあったスペインでは、他のヨーロッパの国々とは大きく異なる文化が育まれました。
イスパノ・モレスク陶器は、イスラーム陶器の技法を継承し、スペインで焼造された錫釉陶器です。中でも、金属質の光彩を放つ絵付けを施したラスター彩陶器は、その華やかさで人々を魅了してきました。13世紀に、ラスター彩陶器の製作地である中近東にモンゴル人が侵入すると、陶工を含む多くのイスラーム教徒がスペインに移住し、マラガなど南部の地域でラスター彩陶器が盛んに焼造されるようになりました。15世紀末にイスラーム王朝が滅亡した後も、スペインに残った陶工たちを中心に東部の窯場が発展しました。マニセスでは、王家や貴族の紋章を描いた大皿など華やかなラスター彩陶器が製作され、パテルナやテルエルでは、緑、青、茶などの顔料で人物や魚などを自由闊達な筆遣いで描いた陶器が製作されました。
本展は、ラスター彩陶器を中心に、当館の所蔵するスペインの錫釉陶器約60件を初めて一堂に展示致します。(展覧会サイトより)

メモランダム

館蔵コレクションによるスペイン陶器の展覧会。

展示品には17世紀、18世紀、19世紀のものが多数。
18世紀ヨーロッパの陶磁ならば、中国陶磁の写しがあっても良さそうなのですが、今回の出展品には染付風の青い絵付けの陶器はあれども、青い芙蓉手はひとつのみ。他はラスター彩が大部分で、でもイスラム風とは限りません。



スペイン陶器はそういうものなのかなと思いつつ見ていると、パネルに石洞美術館創設者・佐藤千壽氏(1918~2008)の次の言葉。

もともとヨーロッパの陶器など、殆ど歯牙にもかけなかった私が、どうしてスペインのやきものに、こんなに深入りしてしまったのか。その開眼はバレンシアの国立陶器美術館を訪れた時に始まる。(略)そこにずらりと勢ぞろいしたパテルナの古陶には、一見して度肝を抜かれてしまった。それは当時の私にとって全く未知のものだったし、見たこともない不思議な世界だった。それは東洋でもなければ、我々の知っている西欧でもない。斬新で鮮烈で、然も、やきものマニアをどこまでも引き込んでゆく、不思議な古格と魅力があった。

なるほど、佐藤千壽氏にとって、東洋風、芙蓉手の染付は興味の対象ではない。アジアでもなく、ヨーロッパでもない独特のデザインに惹かれてそれを集めた、ということなのか。

なお、ラスター彩でありながら芙蓉手風の図柄のものが1点ありました。これはとても興味深い。


ラスター彩鳥文皿、スペイン・セビリア、16〜17世紀。

技術はイスラム由来、様式は中国、図柄はスペイン。
ハイブリッド!

※ 芙蓉手(ふようで):見込みに主文様を窓絵にして置き、周囲に蓮弁を配し、
その中に宝尽しや花文を入れた意匠の磁器。

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石洞美術館から北千住まで徒歩20分、南千住まで徒歩15分ということをいまさら知った。次からは常磐線を使おう。それなら都区内パスだけで行ける。品川から直通もある。




2016年3月21日月曜日

清川泰次記念ギャラリー:
清川泰次の生活デザイン



清川泰次の生活デザイン
2015年12月19日〜2016年3月21日
清川泰次記念ギャラリー

本展は暮らしを豊かにするために、日常生活のあらゆる場面に自らの美意識を反映させ、多岐にわたる創作活動を展開した清川の1980年代以降の作品を中心にご紹介します。

絵画や立体作品17点に加え、清川がプロデュースしたオリジナルデザインによる各種グッズや、自ら絵付けをした陶磁器などもご紹介します。

「デザイン」ということで見に行きました。

茶器、スカーフ、ファブリック、アクセサリー等々。


しかしながら、清川泰次のこれらの仕事を「デザイン」と呼ぶのかどうか、ちょっと判断しかねるところ。というのは、これらがどの程度一般に売られていたのか、どこでつくられたのか、誰が買ったのか、いくらで売られたのか、分からないので。

印象としては、これらはアーティストグッズなのではないかと思いますが、どうでしょう。

もう少し詳細な解説が欲しかったですね。

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恥ずかしながら、清川泰次についてまったく知りませんでした。ただ、旧宅であるギャラリーでの展覧会を見て、経済的には豊かだったのだろうなと感じた次第。そして展示室で略歴を読んで納得。以下、『清川泰次—平面と立体—』(銀座・和光ホール展覧会図録、1991年)から引用。

  • 浜松の素封家生まれ。
  • 慶應義塾に進むと、田園調布のアパートに二部屋を借り、一部屋をアトリエに……
  • 時代は戦争に向かっていたが、銀座のテーラー仕立ての背広を着、銀座のバーで飲み、定期券を買って横浜本牧へ踊りに行くというモダンな慶応ボーイぶり。
  • 「でももう一部屋には5000冊の蔵書があって、絵や生き方も含めて、けっこう勉強したんですよ。」

年譜によると、清川泰次が慶應義塾大学経済予科に入学したのは昭和11年。卒業は昭和19年。まさに「時代は戦争に向かっていた」わけで、そうした時代にありながら恵まれた生活を送っていた模様。

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作品は「純粋絵画」。具象でも抽象でもなく、純粋な色と形の美の追究。なのだそうだ。




2016年3月18日金曜日

生活工房:時間をめぐる、めぐる時間の展覧会




時間をめぐる、めぐる時間の展覧会
2016年3月5日(土)〜3月21日(月・休)
世田谷文化生活情報センター:生活工房

24時間・365日の時計とカレンダーのなかで生きているように見える現代の私たち。
この星が生み出す律動と、そこに生きる命が描き出すさまざまな律動をたどり、多様で有機的な時間の流れを想います。
時という視点で、世界を見つめる展覧会です。

メモランダム。

「時間」の流れを定めるさまざまな要素。つまり、地球と太陽と月の関係からはじまり、「時間」を畏れ制御しようとしてきた人間の歴史、さまざまな地域における1日の「時間」、そして1年という「時間」に生じる自然の出来事・生活の出来事をプロットした立体ダイアグラムまで、多様な側面から多様な「時間」を見る展覧会(会場内撮影可)。

第1部:律動の星に生きる
地球と太陽、月など天体の関係性から生まれる周期と律動について。



第2部:人間たちの時

人間たちが「時」を畏れ、克服しようとしてきた歴史。

見どころは「時の精霊」と題する壁画。
ラウル・デュフィ「電気の精」に倣って、古代から産業革命を経て現在まで、人間と時間との関わりの変化が描かれています。





第3部:わたしたちの時

さまざまな地域のさまざまな時間。
そして、その可視化。

みんぱくが制作した世界各地の暮らしにまつわるビデオの上映。トルコのラマダンや、ティティカカ湖のくらしなど。全部見ると1時間を超えますが、いずれもとても興味深いものばかりです。

 
 

「カラハリ砂漠のキャンプの一日(25分)」「カトマンドゥのバザール(16分)」「ティティカカ湖の浮島(11分)」「マラムレシュの羊飼い(20分)」「イスラムの断食(12分)」

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感動的なのはこちら。《時の大河》と名付けられたこの円は、時計回りに1年の時の流れを表現したもの。円や上から下がっている木の棒には、植物の芽吹きや生き物の活動など自然の出来事や、人間のくらしの営みがプロットされています。







円の内側は私たちに身近な地域。外になるほど、遠くの地域の出来事。たとえば世田谷で南天が実を付けるころ、鹿児島ではナベヅルが飛来するとか。同じ時期に他の地域でどんな季節の変化が起きているかを視覚化しています。大変な労作!



上から下がっている棒に書かれているのは、その季節における人間たちのくらしの営み。





3階:時の採集箱

樹木の年輪。川を流れるうちに丸くなった石ころ。貝殻に刻まれた成長の跡。地中に埋もれた植物の化石である石炭。
等々、時間の流れが刻み込まれたものと写真による展覧会。





会場デザインは「セセンシトカ」。
すばらしい仕事です。

会場撮影可なので写真多めですが、それでもほんの一部です。全体を通して見ると、人間と時間との関わりについて書かれた一冊のエッセイ集を読んだような印象を受けることでしょう。

ぜひ会場へ。

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デザインの展覧会というと、作品主義、作家主義、あるいは様式主義のものがほとんどです。作った人、作られたものに焦点が当てられることがあっても、その使い手に目が向けられることはほとんどありません。デザイナーは偉大な画家、デザインは偉大なアートピースのように扱われることがしばしばです。しかし、ほんらいデザインは人々の生活のためにあるものです。暮らしを便利に、豊かにするためにあるものです。

管見の限りですが、人間の生活をテーマとしてデザインを取り上げる展覧会を開いているのは、(他地域のことは知らず関東では)生活工房ぐらいではないでしょうか。

21_21はかろうじてアノニマスなデザインを取り上げたりもしますが、それでもあそこはデザイナーの主張の場です。人々の現実の生活を掘り下げるよりも、人々をデザインによって教化しようという意志を強く感じます。それはそれで一つのあり方だとは思うのですが、個人的には生活工房のようなアプローチに共感します。美術館におけるデザイン展との違いを考えてみると、それはやや博物館寄り(民俗学寄り)ということなのかもしれません。

   

2016年3月14日月曜日

21_21:雑貨展:「雑貨」とは何だ:01




雑貨展
21_21 DESIGN SIGHT
2016年2月26日(金)- 6月5日(日)

見て、感じて、考えたことを忘れないうちにメモランダム。

以下、長くなるので要約。

展覧会序文に「日本の高度経済成長期にあたる約半世紀前までは、『雑貨』とは、やかんやほうき、バケツといった『荒物』=生活に必須な道具を指していました」とあるが、それは誤り。明治大正期から「雑貨店」はすでに「ハイカラなよろづや」であった。

「ハイカラなよろづや=雑貨店」が売っていたのは、モノというよりライフスタイル。日用品店、小間物屋、荒物屋との違いはそこにある。

雑貨には日本人が「外来の多様な生活文化や新しい習慣を柔軟に受け入れてきた歴史」があるという指摘には同意する。ただ、その時期には検討の余地がある。

「雑貨=ライフスタイル」と考えるとこの展覧会の半分くらいは説明できそう。しかし、残り半分は分からない。別の視点から考えてみるつもりなので、次回更新を待て。

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素敵なモノ、面白いモノがたくさん集まっている展覧会でした。きっと評判が良いのではないでしょうか。

たとえば、町田忍さんの「キッチュな生活雑貨パッケージ」。爪楊枝コレクションとか、アイスクリームのスプーンコレクションとか、牛乳瓶の蓋を開ける針のコレクションとか。





あるいは、清水久和さんの「愛のバッドデザイン」コレクション。





それから野本哲平さんの「雑種採集」。路上で発見した創意工夫に溢れる雑種(ハイブリッド)なモノの数々。



魅力的な採集物の数々は、小さなコーナーで終わるのではなく、それだけで展覧会ができそうです。いや、して欲しいです。その他にも魅力的な「雑貨」の数々が並んでいて、様々な角度から楽しむことができる展覧会になっていると思います。

とはいえ。
とはいえですね。見ているうちに、疑問が湧いてくるわけです。

そもそも「雑貨って何?」
「ここにあるのは、ほんとうに雑貨なの?」
アイスクリームのスプーンとか、メロンシャーベットの器は雑貨?
ティッシュケースで作られた抽斗は雑貨?

「雑貨って何?」

ここでいうところの「雑貨」とはなんでしょう。
もちろん、展覧会の序文で(漠然と)定義されています。引用しましょう。


今日、私たちの暮らしのいたるところに、「雑貨」と呼ばれるモノが存在します。しかし、非常に身近であるはずの「雑貨」は、すぐ手の届くところにありながら、その定義は曖昧にして捉えどころがありません。そもそも、私たちが普段無意識に使っている「雑」という字には、「分類できないもの」「多様に入り混じったもの」という意味があります。その中でも「雑貨」というカテゴリーが生まれた背景には、時代の節目節目に外来の多様な生活文化や新しい習慣を柔軟に受け入れてきた歴史があります。その変化に応じて、暮らしの中に様々なモノを取り込んできた日本人の生活史を象徴する存在が「雑貨」ともいえるのではないでしょうか。
日本の高度経済成長期にあたる約半世紀前までは、「雑貨」とは、やかんやほうき、バケツといった「荒物」=生活に必須な道具を指していました。しかし現在、街中の「雑貨店」の店頭には、グラスやナイフにうつわ、ブラシやスツール、時に食品や化粧品まで、中には用途が分からないモノや実用性を持たないモノなど、従来の「雑貨」のカテゴリーを超えたあらゆるモノを見ることができます。インターネットが普及し、自身の嗜好や感性に馴染むモノがいつでもどこでも自由に入手可能になった現代で、こうした傾向はますます加速し、「雑貨」という概念も広がり続けています。
このような変遷を踏まえて、今あえてゆるやかに定義するならば、「雑貨」とは「私たちの日常の生活空間に寄り添い、ささやかな彩りを与えてくれるデザイン」といえるでしょう。探す、選ぶ、買う、使う、飾る、取り合わせるといった行為や経験を通じて、モノ自体が持つ魅力を再発見し、暮らしに楽しみをもたらしてくれる「雑貨」は、もはや現代人の生活空間に欠かせない存在となっています。
本展はこうした「雑貨」をめぐる環境や感性を、世界的にもユニークなひとつの文化として俯瞰し、その佇まいやデザインの魅力に改めて目を向ける展覧会です。
http://www.2121designsight.jp/program/zakka/


ここでの疑問点は2つ。

ひとつは「『雑貨』とは『私たちの日常の生活空間に寄り添い、ささやかな彩りを与えてくれるデザイン』」という定義です。これはいったいどこから導かれたのでしょうか。

もうひとつは、「日本人の生活史を象徴する存在」「世界的にもユニークなひとつの文化」という言葉です。
「『雑貨』というカテゴリーが生まれた背景には、時代の節目節目に外来の多様な生活文化や新しい習慣を柔軟に受け入れてきた歴史があります」ということは、「雑貨」は日本に独特な存在と言いたいのでしょうか。ほんとうに? そうだとすると、ここで「現代人の生活空間に欠かせない存在」というときの「現代人」とは、日本人限定の話なのでしょうか。

続いて本展のディレクター深澤直人氏の言葉。


なぜ「雑貨」がこんなに魅力的なのだろう。なぜ雑貨店がこんなに私たちを惹きつけるのだろう。もうこれは「新しいデザイン」という魅力を超えているかもしれない。生活に溶け込んだ親しみやすさや心地、細やかな配慮の上に成り立ったささやかな幸福感のシンボルのように人の心に響いているのかもしれない。実際の生活に即役立つかどうかを別にして人はその魅力に引き寄せられ、そのものを自身に取り込みたくなる。高価な骨董品ではない日用品である。
しかしその収集することへの渇望はそれぞれ似通っている。その人の生活感を放っている。そして生活のセンスを見たがっている。売る人も買う人も、選ぶ視線と感度、そこから生まれる生活の味を共有したがっている。デザインやアートや骨董、民藝や工芸とは異なる、魅力を放つもう一つのカテゴリーに「雑貨」というものが登場したように思う。これは常に少し前の時を振り返るノスタルジックな心持ちにも繋がっている。いつも「あれはよかった」という安堵の感情を揺さぶるものではないか。人はモノに疲れているし流れの速い時の移り変わりに戸惑っている。
だから「雑貨」は心を落ち着かせてくれる。この魅力を放つモノ、「雑貨」という美学に焦点を当て、共にその魅力を語り合ってみることがこの展覧会の目的である。
深澤直人
http://www.2121designsight.jp/program/zakka/director.html


さまざまな言葉で「雑貨」が形容されています。

雑貨は魅力的である。
雑貨は新しいデザインという魅力を超えている。
雑貨は幸福感のシンボルのように人の心に響く。
雑貨は高価な骨董品ではない日用品である。
雑貨はデザインやアートや骨董、民藝や工芸とは異なる、魅力を放つもう一つのカテゴリーである。
雑貨はノスタルジックな心持ちにも繋がっている。
雑貨は安堵の感情を揺さぶるものである。
雑貨は心を落ち着かせてくれる。


ううむ。

よく分からないけれども、その「雑貨」をテーマにした展覧会ということなのですから、どうやら私が分からないだけで世間一般ではこのような言葉で「雑貨」が何を指しているのかは自明ということなのでしょうか。

雑貨とは何か。

雑貨とは何か。いくつか、現代の辞書の定義を見てみましょう。

広辞苑
雑貨
雑多の貨物。また、こまごまとした日用品。「—商」

大辞泉
雑貨
日常生活に必要なこまごました品物。「―店」
☞ 小間物•荒物•日用品•備品•消耗品

ブリタニカ
雑貨
(1)産業分類の一つ。金属洋食器、ライター、ハンドバッグ、靴、履物、運動用具、文房具、玩具などのように小規模の業種で、他の産業分類に入りにくいものをまとめて呼ぶ。軽工業が中心で、産業の発展段階から見て初期の頃から登場し、通常、中小企業の製品が多い。(2)日常生活で用いる家庭用品、携帯品などの総称。

マイペディア
雑貨工業
がん具、文房具、楽器、金属洋食器、はきもの、木竹製品、陶磁器、服飾付属品など、分類の困難な、または独立の分類部門を形成するに至らない商品群を総称して雑貨と呼ぶ。これらの製造は概して中小規模の企業により労働集約的に行われ、生産性が低く、低賃金が一般的である。日本では明治時代〜輸出される割合が多く、今日でも一般的に輸出依存の傾向が強い。

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展覧会序文には「日本の高度経済成長期にあたる約半世紀前までは、『雑貨』とは、やかんやほうき、バケツといった『荒物』=生活に必須な道具を指していました」とあります。

じっさい会場で最初に展示されているのは荒物屋の屋台。「明治時代に荷車に日用品を積んで販売していた行商の姿を、現代の日用品で再現」したものだそうです。



これが怪しい。

たとえば、山方石之助編『秋田案内』(明治35年/1902年)を見てみます。ここでは秋田における雑貨店(小間物商)の具体的な取扱商品が列挙されています。

「雜貨店(小間物商)」
小間物商の名は各種の商業を幷せ爲す上に行はるゝ如し普通小間物なるものは紙、煙草、文房具、袋物、金銀細工、洋傘、革包(かばん)類、毛布(けつと)、膝掛、石鹼(しやぼん)、齒磨、香水、其他の男女裝飾品、茶、時計、家什(かじう)、帽子、靴、洋酒類、繪草紙、おもちや類を賣捌くものなれとも其商店によりてはこれを幷せ賣るものと其一二の品のみを賣捌くものと其他の商品假令へは石油、ランプ類をも併せ賣るものとあり

山方石之助編『秋田案内』(明治35年/1902年、21〜22頁)

また、平山勝熊 編『海外富源叢書. 南洋諸島の富源』(隆文館、明治37〜38年/1904〜05年)には、「日本雜貨店の繁昌」と題してマニラで売られている日本雑貨が列挙されています。販売先は、白人、現地人、在留邦人です。

此等雜貨店で販賣されて居るものは、漆器、陶器、磁器、扇子、日用品、室内裝飾品、額、軸物、置物、木綿及び絹反物、ハンケチ、手拭等で、需要が極めて多くして前途の望みも大いなるものである。

平山勝熊 編『海外富源叢書. 南洋諸島の富源』(隆文館、明治37〜38年/1904〜05年)

大正11年(1922年)刊の『洋品雜貨店繁昌策』(清水正巳著、白羊社)では、雜貨店を次のように記しています。

雜貨店の取扱品目
そんなら雜貨店と云ふのは何を扱ふのかと云ふと、ハタと返答に困る。何故なら雜貨店の扱つて居るものは今の洋品店の扱つて居るものと同じ事で、結局「ハイカラなよろづやだ」と説明するより外にない。
けれども强いて區別をつければ、雜貨店の方が「ヨリ以上よろづやだ」と云うふ迄の話しである。何故なら、雜貨店では婦人用品を扱ふ處がある。洋品店では化粧品をあんまり扱はない。只西洋式なものばかりだけれど、雜貨店では可成りに奥深く化粧品を扱ふ店も少なくない。つまり雜貨店の名の下に化粧品小間物店の勢力範圍に迄突入して居るのである。それから亦文具類を扱つて居る處も少なくない、これは文具屋の勢力範圍に迄突入して居るのである。更に紙類を賣つて居る處も少なくない、これは紙屋の勢力範圍に突入して居るのである。中には西洋菓子を一寸扱ふ處がある。菓子屋の勢力範圍に突入して居るのだ。煙草を賣る處がある。煙草屋の勢力範圍に這入つて居る。雜誌繪葉書を賣る店がある。本屋の勢力範圍に這入つて居るのだ。賣藥を少しばかりやる處がある藥屋の勢力範圍に這入つて了つて居る。

清水正巳『洋品雜貨店繁昌策』白羊社、大正11年、5〜6頁。

現在では見かけなくなった商品もありますが、明治から大正期の雑貨は、現代的な「雑貨」の辞書的な定義とその構成品目がほとんど変わらないのではないでしょうか。むしろ、これら雑貨店の販売品目の中に「荒物」が含まれていないことに注目したい。

正直を言うと、私も調べてみるまで「雑貨店」とは荒物を含む日用品店の類と思っていました。しかしながら、すでに明治の頃から「雑貨」とは「洋品」を含む多様な生活用品を指していたようです。

日本独自の文化なのか。

展覧会序文。

「雑貨」というカテゴリーが生まれた背景には、時代の節目節目に外来の多様な生活文化や新しい習慣を柔軟に受け入れてきた歴史があります。その変化に応じて、暮らしの中に様々なモノを取り込んできた日本人の生活史を象徴する存在が「雑貨」ともいえるのではないでしょうか。
http://www.2121designsight.jp/program/zakka/

ここでひとつ目の疑問は、「雑貨」は「日本人の生活史を象徴する存在」なのかどうか。ひいては、日本独自のものなのかどうか。

もうひとつは、展覧会の序文に「日本の高度経済成長期にあたる約半世紀前までは、『雑貨』とは、やかんやほうき、バケツといった『荒物』=生活に必須な道具を指していました」と書いているわけで、だとすると「『雑貨』というカテゴリーが生まれた背景」というときの「生まれた」はいつのことを指しているのでしょうか。

ひとつ目。日本独自かどうかという点については、古くから「輸出雑貨」という分野があるくらいで、海外に「雑貨」への需要があることは間違いないでしょう。問題は日本的な意味での雑貨かどうかという点になります(日本的雑貨がどういうものかはさておいて)。

海外事情には詳しくないので、とりあえず和英辞典で「雑貨店」を調べると、「general / variety store/ shop」という訳語がヒットします。「general store, variety shop」はどのように定義されているのか、英英辞典で調べてみます。

OALD
variety store
a shop/store that sells a wide range of goods at low prices

New Oxford American Dictionary
variety store
a small store selling a wide range of inexpensive items.

OALD
general store
a shop/store that sells a wide variety of goods, especially one in a small town or village

variety storeは安物の日用品店。general storeは田舎のよろづやのイメージですね。じっさい、variety storeの画像を検索するとスーパーやコンビニの趣。general storeは食品を多く扱っている模様。憧れの品——古い言葉を使うならば舶来品——を扱っているイメージはうかがえません。となると、やはり日本語にある「雑貨/雑貨店」は日本独自の文化と言ってよいのでしょうか。

ふたつ目の「いつ」という点です。先に挙げた『洋品雜貨店繁昌策』を見るかぎり、「雑貨」ということばは、大正期までにはすでに現在の意味での「雑貨」に近い意味で用いられていました。

さらに、展覧会序文でいうところの「『雑貨」というカテゴリーが生まれた背景には、時代の節目節目に外来の多様な生活文化や新しい習慣を柔軟に受け入れてきた歴史」については、以下の文章がその裏付けとなりましょうが、これもまた大正期までには生まれていた文化と言えましょう。

洋品店の取扱品目

洋品店、雜貨店、此二つに區別は付けられなくなつて了つた。洋品店と云へば、洋服を中心とした服裝品、例へば帽子、ワイシヤツ、シヤツ、ネクタイ、カラー、ピン、カフスボタン、ヅボン吊、バンド、靴下、ハンカチーフ、サル又、ガーター等を主として扱ひ、それに洋服生活に必要ないろいろな商品、例へばカバン、スーツケース、袋物、タオル、スポンヂバツグ、石鹼、香水、各種化粧品、齒ブラシ、齒磨き……と云つたやうなものを従として扱ふ店を云つたのであらうが、今ではさう云ふ商品は西洋式な服裝、或は西洋式な生活にのみ用ゐられるものではなくなつた。早い話が、帽子はもともと洋服の上に用ゐられたもので、和服に帽子なんて滑稽千萬なものであつたが、今日では和服に帽子は可笑しいどころでなく、和服にも帽子を用ゐなければ却つて可笑しなものになつて了つた。亦シヤツでもさうで、和服の下に西洋式なシヤツなどは如何にも變なものであつたが、今日ではそんな事は當り前になつて了つた。だから、「洋服を中心とした服裝品」と云ふやうな限定はなくなつて了つて、和服に用ゐるものも澤山賣るやうになつたと云つて差支へないのである。それからカバンだのスーツケース、西洋式な袋物だの、タオルだの、スポンヂバツグだの、石鹼だの香水だの、化粧品だの、歯ブラシだの歯磨きだのと云ふものは、それこそ洋服生活の專有物ではなくなつて、和服生活、日本人の昔しからの生活にピツタリ當て嵌まるやうになつて了つた。従つて「洋服生活を中心としたいろいろの商品」などとの限定はなくなつて、單に「今日の日本人の生活に必要ないろいろの商品」と云つて差支へないやうになつて了つた。然も尙面白い事は、以上の例では、そんなら洋品店と云ふものは洋服生活も出来和服生活にも向く服裝品其他を賣るのかと云ふ風に解釋されるが、本当はまだまだ慾深くいろいろの商品を扱つて居て、遂には洋服生活には全然向かない商品迄洋品店で賣られるやうになつた。曰く柳行李、曰く手提袋……かうなつて来ると「洋品店は洋服生活を中心としたものだ」と云ふやうなボンヤリとした解釋は用をなさなくなつて「ハイカラなよろづや」でなくて何であらう。

清水正巳『洋品雜貨店繁昌策』白羊社、大正11年、2〜3頁。

そして話が雑貨店に進むと

雜貨店の取扱品目
そんなら雜貨店と云ふのは何を扱ふのかと云ふと、ハタと返答に困る。何故なら雜貨店の扱つて居るものは今の洋品店の扱つて居るものと同じ事で、結局「ハイカラなよろづやだ」と説明するより外にない。
けれども强いて區別をつければ、雜貨店の方が「ヨリ以上よろづやだ」と云うふ迄の話しである。

清水正巳『洋品雜貨店繁昌策』白羊社、大正11年、5頁。

ということになります。

大正の頃から雑貨店は「ハイカラ」だったのです。

では「ハイカラ」とはなにか。

ブリタニカ
ハイカラ
しゃれた、きざな、最新流行の、気のきいたなどの意で、1900年頃、帰朝したばかりの竹越与三郎、望月小太郎、松本君平の3人が、当時欧米で流行のハイカラーをつけているのを『万朝報』の記者石川半山が「高襟党」と記したことに由来。……

なるほど「洋品」にしろ「ハイカラ」にしろ、それらは欧米由来の流行の品や姿恰好を表す言葉。ならば欧米に日本的な意味での「雑貨店」がないのは当然ですね。20世紀初頭の欧米にとって日本やその他のアジアの製品は価格が安いことが第一で、エキゾチックなものがあったとしてもそれは「憧れの品」とは言えなかったでしょうから。

「雑貨」には「外来の多様な生活文化や新しい習慣を柔軟に受け入れてきた歴史」がある。それは正しい。しかしそれは高度成長期以降の出来事ではなく、すでに明治大正期から続いているということになります。

雑貨とはライフスタイルである

雑貨店でコップを買う。しかし家にあるコップは雑貨なのでしょうか。
雑貨店でボールペンを買う。しかし家にあるボールペンは雑貨なのでしょうか。

なにが言いたいのかというと、雑貨というのは集合名詞であって、そこに含まれる個別の品々は「雑貨」ではない、ということです。「雑貨」とは「雑多なモノ」。個々の品は雑多ではないから「雑貨」ではない。

では「雑多なモノ」の集合を「雑貨」と呼ぶのでしょうか。

おそらくそうではない。「雑多なモノ」とはいっても、なんでも良いのではない。清水正巳氏が「雑貨店」を「ハイカラなよろづや」と形容したように、「雑貨店」には特定のライフスタイルがあるのです。

じつは「雑貨店」が売っているのは商品ではなくて「ライフスタイル」なのではないでしょうか。そこがいわゆる「日用品店」「小間物屋」「荒物屋」との大きな違い。コンビニには雑多なモノがある。でもコンビニは「雑貨店」ではない(それはvariety storeやgeneral storeでは有り得る)。一般的な100円ショップ(dime store)もそう。雑多モノがあっても、それは「雑貨店」ではない。なぜならば、ライフスタイルは売っていないから(最近はライフスタイルの提案を売りにする店も出てきているが)。

本展会場中央には、12組(のプロフェッショナル)による雑貨の展示があります。ホームページの解説には「彼らの世界観やその佇まいを感じる雑貨を展示」とあります。「世界観」。つまりそれは彼らが提案するライフスタイルと言い換えても問題なさそうです。

個別のキャプションを見てみましょう。

復古創新/レトロフューチャー
松場登美(群言堂/デザイナー)

古くから紡がれてきた日本の生活文化の中から見つけた雑貨は、「もったいない」「ありがたい」といった日本人の精神性が内包されていた。築220年の武家屋敷を改装した私が暮らしながらお迎えする宿『他郷阿部家』の暮らしの中から再発見した雑貨達は、消費が進む現代だからこそ、むしろ未来的であるように感じる。

ケンセツザッカテン
小林恭・マナ(設計事務所ima/インテリアデザイナー)

職業柄まだ何物にもなっていない建設素材を見ると、それがモノになったことを想像したり、素材自体の肌触りや素材感に萌える事が多々あります。そんな自分たちが未来を感じ価値を見出した建設雑貨をセレクトしてお見せします。

「銀座八丁」と「雑貨」
盛岡督行(森岡書店/代表)

「銀座八丁」は昭和28年当時の銀座通りを撮影した写真帳です。このうち、いまも現存する店舗から「雑貨」を買い求めてみました。それらには、どこか、文明開化の中心であった頃の銀座が感じられます。

ということです。

ふたたび、展覧会序文に立ち戻ると、

探す、選ぶ、買う、使う、飾る、取り合わせるといった行為や経験を通じて、モノ自体が持つ魅力を再発見し、暮らしに楽しみをもたらしてくれる「雑貨」は、もはや現代人の生活空間に欠かせない存在となっています。
http://www.2121designsight.jp/program/zakka/

スーパーマーケットではなく、コンビニエンスストアではなく、100円ショップでもなく、それが「雑貨店」であるのは、ただ必要なモノを取り揃える場ではなく、そこにテーマがある、ライフスタイルがあるからなのではないか。ということが、この展覧会を見て感じたことです。

一見、コンビニの棚を思い出させる「d mart used『D&DEPARTMENT PROJECTが考えるコンビニエンスストア』(ナガオカケンメイ+D&DEPARTMENT)も同様です。キャプションによれば「雑貨とは、モノのことだけではなく、その『買い方』も含まれる」。まったくそのとおりだと思います。付け加えれば、「その『売り方』も含まれる」です。



んで?

「雑貨とはライフスタイルである」と定義すると、この展覧会のかなりの部分は説明できそうです。モノは単なるモノではなく、その文脈において意味がある。少なくとも、12組(のプロフェッショナル)による雑貨の展示、「雑貨のルーツ」、「終わらない自問自答」はそれで説明できそうです。

しかし。

このパートはモノはあってもライフスタイルの提案がない「日用品店」「荒物屋」だなあ、とか。



ミントのケースを集めたところで、それはどんなライフスタイルなのだろう、とか。



100円ショップのハンガーで作ったインスタレーションは何を意味しているのかしら、とか。



分からないです。

続きます。たぶん。