24時間・365日の時計とカレンダーのなかで生きているように見える現代の私たち。
この星が生み出す律動と、そこに生きる命が描き出すさまざまな律動をたどり、多様で有機的な時間の流れを想います。
時という視点で、世界を見つめる展覧会です。
メモランダム。
「時間」の流れを定めるさまざまな要素。つまり、地球と太陽と月の関係からはじまり、「時間」を畏れ制御しようとしてきた人間の歴史、さまざまな地域における1日の「時間」、そして1年という「時間」に生じる自然の出来事・生活の出来事をプロットした立体ダイアグラムまで、多様な側面から多様な「時間」を見る展覧会(会場内撮影可)。
第1部:律動の星に生きる
地球と太陽、月など天体の関係性から生まれる周期と律動について。
第2部:人間たちの時
人間たちが「時」を畏れ、克服しようとしてきた歴史。
見どころは「時の精霊」と題する壁画。
ラウル・デュフィ「電気の精」に倣って、古代から産業革命を経て現在まで、人間と時間との関わりの変化が描かれています。
第3部:わたしたちの時
さまざまな地域のさまざまな時間。
そして、その可視化。
みんぱくが制作した世界各地の暮らしにまつわるビデオの上映。トルコのラマダンや、ティティカカ湖のくらしなど。全部見ると1時間を超えますが、いずれもとても興味深いものばかりです。
「カラハリ砂漠のキャンプの一日(25分)」「カトマンドゥのバザール(16分)」「ティティカカ湖の浮島(11分)」「マラムレシュの羊飼い(20分)」「イスラムの断食(12分)」
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感動的なのはこちら。《時の大河》と名付けられたこの円は、時計回りに1年の時の流れを表現したもの。円や上から下がっている木の棒には、植物の芽吹きや生き物の活動など自然の出来事や、人間のくらしの営みがプロットされています。
円の内側は私たちに身近な地域。外になるほど、遠くの地域の出来事。たとえば世田谷で南天が実を付けるころ、鹿児島ではナベヅルが飛来するとか。同じ時期に他の地域でどんな季節の変化が起きているかを視覚化しています。大変な労作!
上から下がっている棒に書かれているのは、その季節における人間たちのくらしの営み。
3階:時の採集箱
樹木の年輪。川を流れるうちに丸くなった石ころ。貝殻に刻まれた成長の跡。地中に埋もれた植物の化石である石炭。
等々、時間の流れが刻み込まれたものと写真による展覧会。
会場デザインは「セセンシトカ」。
すばらしい仕事です。
会場撮影可なので写真多めですが、それでもほんの一部です。全体を通して見ると、人間と時間との関わりについて書かれた一冊のエッセイ集を読んだような印象を受けることでしょう。
ぜひ会場へ。
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デザインの展覧会というと、作品主義、作家主義、あるいは様式主義のものがほとんどです。作った人、作られたものに焦点が当てられることがあっても、その使い手に目が向けられることはほとんどありません。デザイナーは偉大な画家、デザインは偉大なアートピースのように扱われることがしばしばです。しかし、ほんらいデザインは人々の生活のためにあるものです。暮らしを便利に、豊かにするためにあるものです。
管見の限りですが、人間の生活をテーマとしてデザインを取り上げる展覧会を開いているのは、(他地域のことは知らず関東では)生活工房ぐらいではないでしょうか。
21_21はかろうじてアノニマスなデザインを取り上げたりもしますが、それでもあそこはデザイナーの主張の場です。人々の現実の生活を掘り下げるよりも、人々をデザインによって教化しようという意志を強く感じます。それはそれで一つのあり方だとは思うのですが、個人的には生活工房のようなアプローチに共感します。美術館におけるデザイン展との違いを考えてみると、それはやや博物館寄り(民俗学寄り)ということなのかもしれません。
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