第6回 金の卵 オールスター デザイン ショーケース
2011/8/25〜2011/9/4
AXISギャラリー
http://www.axisinc.co.jp/publishing/exhibition/201108.html
今回のテーマは「日常/非常 ハイブリッド型デザインのすすめ」。非常時は、いつ、どこでやってくるかわかりません。地震や台風などの自然災害もあれば、断水や停電、身近なところでは、事故による電車の不通や交通渋滞、人によっては携帯が通じないときを非常時と感じるでしょう。当たり前の日常から、いきなり非常時に陥ってしまったとき、自分の周りにあるものやいつも何気なく使っているものが役立てばそれに越したことはありません。
日常と非常は表裏一体。東日本大震災で得られた経験も生かして、どちらの状況でも役に立ち、誰もが欲しく(使いたく)なるような魅力ある、目からウロコのデザインに期待したいと思います。(展覧会サイト解説抜粋)
デザイン系の学生によるデザイン提案の数々。
上記引用にもあるとおり、テーマは「日常/非常 ハイブリッド型デザインのすすめ」。3.11震災をふまえ、非常時にデザインによって何ができるのかについての提案が中心の展覧会であった。
非常時などしばしばあるものではない。しばしばあるなら、それは日常だ。だから、国家単位でも、家庭単位でも、個人単位でも、起こりうるかもしれない非日常に対しては、日常とのコストのバランスを考えながら備えることになる。日常の利便性を大きく損なってまで非日常に備えることをふつうの人びとはしないし、できないのだ。
そこで「ハイブリッド型」デザインである。つまり、日常における利便性を持ちながらも、非常時にはそれに対応しうる複合的な機能を持つデザインであれば、わずかなコストで非日常に備えることができる(はずである)。ふだんは○○だけど、非常時にはトランスフォームして××になるのだ。
もちろん、現実的なプロダクトとしては未熟ゆえに突っ込みを入れたくなるものが多い。ただし、それは私が消費者目線でプロダクトをリアルな生活に置いた場合を想定して見ているからである。しかし、ここで大切なのは問題の発見と解決のプロセスが適切かどうかであり、そのような挙げ足をとるのは本筋ではない。
で、その問題の発見と解決のプロセスなのだが、調査分析の過程がもっと詳しく書かれていれば、提案されたプロダクトにもさらに説得力があったであろうと思われる。
会場では出品学生によるプレゼンテーションもあったということなので、それを聴講していればもう少し印象は異なったかもしれない。もちろん、悪い方に、という可能性もあるのだが。
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興味惹かれたプロダクトについてのメモランダム。
thesis
法政大学大学院デザイン工学研究科修士課程1年生のプロダクト。
以下、解説を引用。
原子力エネルギーで扱われる燃料棒をモチーフにしたフロアスタンド。今、非常の象徴となっている原子力を生活空間に置くことで、日常と非常の境を曖昧にする。このスタンドから発せられる光は、原子力でつくられた電力そのものであり、私たちが原子力の恩恵を受けているという事実を突きつける。また、鼓動する光は、無機的な人工物に生命を宿し、私たちに緊張感を与える。
原子力発電所の多くが停止している現在、このフロアスタンドの明かりを灯しているのは水力と火力による電気が中心なのではないか……というのは、すみません、ただの挙げ足とりです。
ここでの問題設定は、必ずしも非常時ではない空間——フロアスタンドを灯すことができるのは、そこが日常だから——に、非日常的なプロダクトを持ち込むことで緊張感を演出することにある。
それでは、「燃料棒」と「鼓動する光」は、それを実現しているのだろうか。
造形について言うと、そもそも私は「燃料棒」がどのようなカタチなのか知らない。つまり、「燃料棒をモチーフにしました」と言われれば、へえそうなんだ、と思うが、イメージできるのはそれが棒状であるという程度のものだ。みなさんはどうだろう。
新聞記事などで私がイメージしている燃料棒は、下の図のようなもの。
ただの棒である。
ググってみると、日本原子力発電株式会社のHPにもう少し詳細な図があった。
うーん、分からない。
どれだけの人びとが燃料棒のカタチを知っているのだろうか。つまり、このデザインから人びとはどれほど非日常を感じることができるのだろうか。ただのモダンな照明器具ではないのだろうか。
もうひとつ。3.11は衝撃的な体験であった。そして現在に至っても、私たちの日常生活は、放射性物質の飛散によって脅かされている。私たちが見えない恐怖とリアルに戦っているなかに、ニセモノの燃料棒を持ち込むことは、どのような意味があるのだろうか。
たとえば、この照明器具にガイガーカウンターと連動して光が強弱するというギミックがあったらどうだろう。明るさの強弱ではあまり変化が感じられないので、色が変わるようにするとか。それも現在地点ではなく、福島第一原子力発電所付近のデータとリンクする。この照明がリアルな「非日常」と連動していれば、もっともっと意味のあるものになる気がする。われわれが直面している「非日常」はヴァーチャルではなく、リアルな存在なのだから。
* * *
こちらは芝大門の街灯。
そうか、これは燃料棒をデザインしたものだったのか。
こんなところで、非日常に出会うとは。
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20110910追記
ガイガーカウンター付き、すでに同じコメントをしている人がいました。
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説明書きがなければ燃料棒と分からないなら、その説明書きを家のコンセントのところに貼り付けておくだけで良いと思う。あるいは電信柱に貼る。フロアスタンドはいらない。
ブレーカーのヒューズ交換なんて、今の若者は知っていますかね。
地元ですけど、こんな街灯知りませんでした。
返信削除大門はガス灯だとずっと信じてましたけど。
これ、昭和電工前ですね。あとで見に行ってみます。
この街灯、やっとかめさんならご存じのことと思ったのですが。
返信削除ま、私も何度も通っていながら、今回初めて気がついたのですけどね。
よく言えば、待ちに溶け込んでいる。
浜松町駅から大門へと並んでいます。
ほとんどが「節電消灯中」でした。