「『デジタル版画』の現在」(『版画芸術』171号、2016年春)を読んで、版画とはなんだろうかと考えた。デジタルで制作し、インクジェットで出力しても版画なのだろうか。尤も、ジクレーのように、オリジナル作品をスキャンしてインクジェット出力した(だけの)ものも「版画」と呼ばれていたりするのだけど。某印刷系博物館の某学芸員さんは、版のないものを印刷とは呼びたくないと言っていたが、同様に版がないものを版画と呼ぶことには抵抗がある。
PCでつくってインクジェットプリントした年賀状を版画の年賀状と呼べるかとか、スキャンしたイラストをプリントしたらそれは版画なのかとか。加工した写真のプリントも版画なのかとか。
版画芸術の記事では「デジタル版画」の「定義」を「作者が版画を創作する意図を持ち」としている。たしかに、リトグラフでもそれがカラー印刷の手段なのか、版画なのかは、作者の意図次第であるから、それはオフセットでもインクジェットでも同様なのかも知れない。PCでデータをつくり、シルクスクリーンで刷っている村上隆の五百羅漢等々は「版画」なのだろうか、と言う話である。版を使っているからといって、それを版画と呼ぶわけではない。
さらに記事では「デジタル版画」を次の4つのタイプに分類している。
- デジタルデータをコンピューターで制作し、オフセット印刷やリトグラフでプリントした作品。
- デジタルデータをコンピューターで制作し、インクジェットプリンターでプリントアウトしたものに、従来の版画手法であるリトグラフ、シルクスクリーンなどを後刷りして重ねた作品。
- デジタルデータをコンピューターで制作し、インクジェットプリンターでプリントアウトした作品。
- 現実を切り取ったデジタル写真を主体とし、そのデジタルデータにコンピューター上で何らかの加工をし、「版画」として発表された作品。
どんどん分からなくなってきました。
紙面で最初に紹介されている遠藤亨氏の作品を「版画」と呼ぶことには抵抗はない。Macを使って制作する作品のパイオニアであるが、オフセットで「刷っている」から。2も理解できる。しかし、3、4はどうだろう。けっきょくのところ、「作者が版画を創作する意図を持ち」ということなのか。
定義することに意味はあるのか、という話でもある。
複製技術が創作に用いられた場合、オリジナルとは何か、オリジナルのが持っているだろうアウラはどうなるのか、という話でもある。
そもそもオリジナルにアウラが存在すると言ってしまっていいのかどうか。ベンヤミンがそう言っているだけじゃないの(乱暴)。
先日の「機械学習したAIが出力したレンブラントの新作」の話とも関連してくる。AIが創り出した画像はアートで有り得るのか(それはサルが描いた絵はアートかという話でもある)。
ますます分からなくなってきました。
「複製技術が高度に進化した社会では、オリジナルであることの意義はアートマーケットにおける問題でしかない」と言ってみよう。
版画という言葉の呪縛があるのでしょう。ポーランドなどはデジタルが主流ではあります。英語ではPrints。刷られた紙の方を指してますよね。そして、版画自体はもともと印刷技術から始まっています。だとしたら、今は。版画が技術を見せ始めた頃から、観客から遠くなってしまったのかもしれません。作家の感覚を見たいわけで、同じような技術を見せられても感動しますでしょうか? 版画がもっとかっこいいものであるように。
返信削除