2016年4月7日木曜日

葦原邦子『夫 中原淳一』


葦原邦子『夫 中原淳一』平凡社ライブラリー、2000年。

これまで中原淳一(1913-1983)の仕事を紹介する展覧会をいくつか見てきましたが、どうもその人物像がはっきりしない。

彼の仕事はすばらしい。
彼の言葉もすばらしい。

では、彼は人間的にはどのような人物だったのか。
彼の作品のような、彼の言葉のような人物だったのか。

しかしながら、展覧会での解説を読んでも、いまひとつ彼の人間性が見えきません。図録を読んでも曖昧で、その生涯がはっきりしません。

それならばと、しばらく前に中原淳一関係の本をいくつか読みました。

印象に残った本は、淳一の家族が書いた2つ。

ひとつは、息子・中原洲一(1944-2004)の『父 中原淳一』中央公論社、1987年。もうひとつは、妻・葦原邦子(1912-1997)の『夫 中原淳一』中央公論社、1984年/平凡社ライブラリー、2000年。

なかでも、淳一の妻、元・宝塚の男役スター、葦原邦子の『夫 中原淳一』には、淳一が家族、とくに妻に対してどのようなスタンスでいたのかが書かれていて、興味深く読みました。以下に、印象に残った言葉を引用します。括弧の数字は中央公論社版のページ/平凡社版のページです。

「披露宴で白井先生が嬶天下になりなさい。その方が家庭はうまくいくものだ、と言ったけど、僕はいやだよ。僕は女があんまりハッキリとものを言ったり、口出しをするのは好きじゃない。僕のうちは父がいちばん偉くて、食事も父だけは一段上で、母も子供たちも一段下で食事をしていた。ただ僕だけは父のお気に入りで、傍へ来て食べなさいとよく呼ばれたんだよ」(42/57)

或る朝、廊下の片隅に、その頃は贅沢とされた外国製のコンパクトが転がっているのを見つけた淳一が、「あんまり貰いすぎて物を大切にする気持ちと感謝の気持ちを忘れたんだね。僕はこれから一切何も買ってあげないよ、それが直るまで」。(64/87)

「女はお喋りだから嫌だ」「僕は秘密主義だよ」(65/89)

「女は何ごとにも甘えがあるんだよ。その辺のことを知っておかないと、男と同等に仕事はできないね」(66/91)

のどの弱い私は、扁桃腺の熱が出ると一週間ほどは起きられないこともあり、そんなときは奥の部屋のすみっこでひっそりと寝るのです。
いろいろな人と接するので、全快をまってから、又例の如く食事を運びはじめる。
「病気だったんだって? 弱いんだね。僕なんか風邪をひいても一晩寝れば治るよ」とも言われると、一言もない気がするのでした。(78/104)

編集部の女の人からでも、奥さま大変ですねえ、などと言われると、淳一はあとでよく言いました。
「他人に大変ですねなどと言われるのは、いかにも大変そうにするからなんだ」と。さすがにそんなあとは自分の部屋でシュンとなる私でした……(78-9/106)

何分、淳一からは「女が男の仕事に口を出すのは間違いのもと」と、ノウ・タッチを言い渡された……(79/106)

女は選ばれた人間以外は、やはり家庭に在るべきだとの考えには変わりはないけれども……(82/111)

何分私は、淳一と二人だけになると、たとえば頼みごとなどどういうわけか上手に言えなくて、ステージ用の衣装を相談する場合は、いつも高さんに傍に居て貰ったものです。
変に自意識過剰になるのでしょうか、金縛りの状態みたいで、どうでもいいような気分になるのです。(89/120-121)

[淳一がパリでバッグを買って、高峯秀子が預かってきた]
昔、パパさんに物を大切にしないと叱られたこと、そしてそういうくせが直るまでは何も買ってあげないと言われたこと、それが今解除になったのかしらと、私の胸がジーンとするような喜びでした。(95/128)

「いつ迄もボロを引きずるように歌いたがるんじゃない」(99/133-134)

その頃私はよく他の人から言われました。「葦原さんは幸せですね、あんなにおやさしそうなご主人の理解がおありになるから、家庭と仕事の両立がお出来になって」(104/140)

[淳一の運転手の佐藤さんが、告別式のときに]
「先生は本当に心の綺麗な神様みたいな人でしたね。……奥さんもしかしいろいろと大変でしたよねえ。先生は身内には厳しかったから……」(105/142)

[ある婦人雑誌の懸賞小説に応募して、次点で掲載されたときのこと。]
私は面白がって新しいものにアタックしようという気持ちにかられて書いた小説が、誰かの口からパパさんの耳に入ったらしく、安原さんの前ですごく叱られたのでした。
「いいかげんにしなさいッ、恥さらしなことを平気でやる。女は下等動物だよッ」。そのパパの怖い顔を私はポカンと眺めていました。
深い意味もなくただ書いてみたかったから書いただけだったのですが、どうパパに告げられたかわからないけれど、なぜ女は下等動物と言われるのか、ポカンとしたゆえんでもありました。
でもやはり、何かが淳一の気持ちを傷つけたのは確かだと、しばらくはほんとうに謹慎するつもりでした。やっぱりパパさんに叱られるのはこたえたからです。(108/146-147)

[淳一]「これで死んでしまうとしたら、あと子供たちはどうなるのかな、と思った」そこで私はすかさず気分を和らげるつもりできいてみたのです。
「やっぱりパパさんね、じゃ私のことは?」淳一はニヤリとして言いました。
「別に思い出しもしなかったよ」(110/150)

[長女の芙蓉に、葦原が絵やインテリアを専門にすればという提案をしたとき]
パパはそれも反対でした。
「そんな仕事は男と肩を並べる場合、女の方が優秀であるわけはまずない」(126/170)

新宿の小田急百貨店がオープンした日から、買い物コンサルタントを引き受けたときも、淳一は呆れ顔で言いました。
「商品知識の勉強もせずに、よく買い物客の相談に応じますなんて言えるね。僕なんか、知らない人から何がいいでしょうかなんて相談されても、すぐに返事なんて出来ないよ。そんないい加減なことで仕事が出来ると思うのは、女の単純さと浅はかさだね」(135/182)

[『女の部屋』創刊と、マンション建設のトラブル]
知り合って間もないその人が、訪ねて来るたびに、挨拶をしても眼を反らす陰気なニコリともしない顔つきがどうも気になって、ある日一寸それを言ったとたんに、一喝されたのです。
「僕の所に来る客の批評なんかするんじゃない! だから女は嫌なんだ!」。そんなときの淳一は、本当に恐ろしかった。(/205-206)

こうした淳一の言葉を、葦原邦子は、夫との懐かしい思い出として、あるいは妻として至らなかったという後悔と自責の念としてして、記しているのです。

葦原邦子の言葉をどう読むべきなのか。きわめて部分的な抜粋ですが、中原淳一の人物像を描くことの難しさを感じました。

中原洲一『父 中原淳一』については、アマゾンのレビューをお読みになるとよいと思います。

 

 

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