川崎市には、町田市と横浜市とに囲まれた飛び地もあるそうです。
そんな境界の町で接する3つのマンホール。
向こう側は川崎市の下水道マンホール。
川崎市の紋章入り。
市章
大正14年に決まった川崎市の市章です。この図柄の「川」は単に川崎の川という文字を表すだけでなく、市民の歴史とともに流れ続ける多摩川と、それと同じように発展する「川崎」を象徴しています。
そして手前には町田市の下水道マンホール。
町田市の紋章入り。
[市章]
(昭和33年10月1日制定)
マチダのマの字2つをもって田の字型に図案化して、市民の和合団結を表しています。中央の鳥型は平和と発展のしるしです。
さらにその隣には東京都水道局の仕切弁。
東京都の紋章入り。
東京都紋章
明治22年12月の東京市会で市のマークとして決定されたもので、昭和18年の東京都制施行に際し、東京都の紋章として受け継がれました。
紋章の意味は東京の発展を願い、太陽を中心に6方に光が放たれているさまを表し、日本の中心としての東京を象徴しています。
昭和18年11月2日付で告示され、東京都の正式な紋章とされました。
地図で見ると……
この道路はどちらが管轄しているのでしょうか。
道路中央の、アスファルトの微妙な切れ目が境界線なのでしょうか。
考え出したら夜も眠れません。
すばらしい。よくみつけましたね、そんな場所。
返信削除T字路の表示が大きさの違う3つの円を分ける。
これはひとつのデザインにもなってますね。
マンホールを最後に取り付けた人かT字路を描いた人か
どちらがデザイナーなんだろう?
やっとかめさん、こんにちは。
返信削除>すばらしい。よくみつけましたね、そんな場所。
いや、それほどのことでも(笑)。
でも見つけたときにちょっと興奮したのは事実(笑)。
私が子供の頃、ここは田んぼの中でした。
地図の左中央にある大きなマンションを建設するに当たって、駅に通じる道路や橋が作られたと記憶しています。
その後、曲がった川の流れも直線に改良され、残った田んぼもすべて宅地となり、区画整理をへて現在に至ると。
道路のライン引きは最後の工程だと思います。
先にマンホールが微妙な位置関係で設置され、いずれにも重ならないようにラインを引いたらこんなデザインになった、と推察しますが、どうでしょうね。
でもこのライン引きにも個性があるようで、そのうち写真が溜まったら公開します(笑)。