2009年9月12日土曜日

アサヒゴールド:資料編

アサヒゴールド復刻版について少し書いたので(→こちら)、当時の新聞広告などのクリップを少し載せておく。出典はアサヒビールの社史『Asahi 100』(アサヒビール株式会社、1990年)、新聞広告はすべて朝日新聞掲載のものである。


| 1957年03月17日 朝刊 10面 |

「意匠は最高品質〈ゴールドビール〉にふさわしいものをとレイモンド・ローウィ氏(ピースのデザインをした人)を煩わしたもの」とある。


| 1958年08月03日 夕刊 04面 |

新しいビールの味は、好意的に受けとめられた。……ところが一部から、「重い」「早く酔う」という反応も返ってきた。「ゴールド」は麦芽の使用量を増やした、濃度の高いビールであった。そのため濃度のやや低いビールに慣れていた日本人にとって、ドイツ人のいう“フォルムンディッヒ(コクのある)”なビールには、すぐには親しめなかったようである。
……
「アサヒゴールド」は、発売当初は在来製品と並行販売したが、昭和三十六年[1961年]には全製品が「ゴールド」一本に切り替わった。
(『Asahi 100』、42頁)


| 1958年08月24日 朝刊 10面 |

そして、今回の復刻版のもとになる缶ビールの発売である。


| 1958年09月23日 朝刊 10面 |

「よく冷やして缶切りで思いきり大きなアナを2つあけてお飲みください」。

そう、このころはまだプルトップは存在せず、缶切りで蓋に穴を開けて飲まなければならなかったのだ。その缶切り、ひとつ5円で別売である。(そういえば、昔トマトジュースの缶をそのようにして開けていたなぁ……)


当然のことながら、この開封方式は評判がよろしくない。まず最初に、上蓋がそれまでのスチール製から柔らかいアルミ製に換わった(1964年/昭和39年)。翌年には缶切り不要のプルトップ缶が登場。そして、1967年にはリング式のプルトップが開発されたのである。(『Asahi 100』、44頁)

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