数日前からのエントリの続き。人形とはなにか。彫刻とは何か。
曽根裕の作品は、彫刻である。人形ではない。人ではないから。
見りゃ分かるか。
素材が大理石であることは、関係あるのだろうか。大理石の、高さ15cmの人物像であれば、それは彫刻か、人形か。
とはいえ、曽根裕展に展示されている作品は彫刻なのだが、曽根裕は彫刻家ではない。たぶん。
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曽根裕の作品について。
大理石の彫刻。
何が彫られているかといえば、観覧車だったり、マンハッタン島のミニチュアだったり。
それが、広い会場に数点。周囲には植栽。これも作品の一部なのだろうか。作品だとしたら、再現性はない。このとき限りのインスタレーション。他に、籐でつくられたバナナの樹。クリスタルでできた、ギリシャ建築風柱の一部(半分だけ、照明が当たっている)。そして、ふたつのビデオ作品。
会場風景はこちらを参考に。
展示空間がジャングルに!? 曽根裕展を見逃すな!|イズムコンシェルジュ
展示空間がジャングルに!? 曽根裕展を見逃すな!|イズムコンシェルジュ
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この作品にどう向かい合ったらよいのか、よく分からない。いやいや、さっぱり分からない。それはつまらない、というわけでもない。たとえて言うなら、すごく真面目な人が駄洒落を言うのだが、はたしてそこで笑ってよいのか、判断に困るという感じである。
笑っていいのか? いいなら、遠慮なく笑わせてもらうのだが。
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こんな評もある。
David Zwirnerの権威(もちろん、抵抗の対象という意味ね)があって、「アート」っていう枠(リレーショナルとかコンセプチュアルアートが便利!)が与えられていれば、あとはプロの業界人たちが適当な理論を身に纏わせてくれるし、実際の仕事は下請け(もちろん、物づくりの喜びを分かち合うためよ)に出せばいいんで、作家のわたしがすべきことは、女装でもしてキャラ立ちすることと、高価な自然素材を用いることくらいね。
水晶と大理石で、東西融合!って、まだまだこの図式は有効よ。
http://www.art-it.asia/u/reviewa1/N8ZtCmMEwoJ5ns3qblP9/(2011/2/26取得)
モノについては、上の評の通りであると言ってしまえば身も蓋もない。でも、だからくだらないのか、だから面白いのか。
自分の知識や固定観念とのギャップが大きいほど、笑いや驚きのインパクトは大きい。
大理石という素材で、中国の職人を使って、観覧車を彫る。このようなモノにエネルギーとお金を費やすなんて。他人と一緒に来たならきっと、「面白いね」「くだらないね」と同意を求めたと思う。
こういう観賞のしかたでいいんですよね。まったく自信はないのだけど。
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