日本パッケージデザイン協会の創立50周年記念を記念した展覧会が開催されています。協会所属の102人のデザイナーたちが、それぞれ1点ずつ、「祝い」をテーマとしたオリジナルの作品を制作。
その作品を見本帖本店2階で見ることができます。
震災の影響で会場はしばらく閉じていましたが、3月22日から再開。
作品集の表紙は紅白の水引。
デザイナーたちの提案は様々なのですが、この作品集の装幀はあまりにもフツウではありませんか。
とはいえ、紅白、熨斗、水引が私たちの「祝事」のイメージであることは確か。展覧会で良いなと思った作品もこのイメージを内包したものばかりなのは、私が保守的なのでしょうか。
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いろいろな提案があり、どれもとても面白かったのですが、無条件で「祝い」をイメージさせるものをピックアップするとこんな感じです。
で、私たちが共有するこのイメージが古くから存在するものなのかといえば、どうもそうではない。
「赤白」はおめでたい色の組み合わせ、となって久しい。…ここでは、「赤白」をめでたい色調としてひろく日本人が共有するようになったのはいつか、を問いたい。……すると、どうも古くまではさかのぼれないのである。赤白を祝儀の色調とする、その通年の定着は近世以降のこと、といわざるをえないのである。
民俗学者の神崎宣武氏に依れば、赤白の水引は遣隋使=小野妹子起源説が席捲しているそうです。しかし上層階級におけるしきたりはさておき、庶民にそのイメージが普及したのはいつかとなれば、「江戸以前にさかのぼるものではない。ひとり水引にかぎらず、今日に伝わる祝儀や不祝儀にまつわる『形式文化』の醸成は江戸時代にある、とみてよいのだ」。そして、神崎氏はそのイメージが強化されるのが明治時代、日章旗の制定とともにあると考えているようです。
となれば、私たちの「祝事」のイメージはたかだか100年余の歴史しかもたないことになります。伝統的な日本文化が薄れつつある現在、次の100年で私たちは新たな「祝いのカタチ」をつくりだすことができるのでしょうか。
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伝統的なイメージを用いるとなると、どうしても目黒区美術館で開催されている「日本の伝統パッケージ」展に出品されているものと比べてしまいます。
どうですか。
現代のデザイナーたちの提案は、これら伝統パッケージの力強さに及ばないような気がします。足りないのはなんでしょう。
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そんな中で、なによりも良かった作品。
「お祝いの気持ちをかたちづくろうと、具体的なモノを極力無くしていったら包むという行為だけ残りました」という作者のコメント。
ガラスのリボン。
見えないけれども、そこには気持ちがいっぱい包まれている。
スバラシイ。
なによりも気持ちが大切だ、というお話。
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