2013年6月10日月曜日

森アーツセンターギャラリー:ミュシャ展:
サラ・ベルナール来朝の噂



ミュシャ財団秘蔵
ミュシャ展-パリの夢 モラヴィアの祈り

2013年3月9日(土)〜5月19日(日)
森アーツセンターギャラリー

ミュシャ。説明の必要もないかと思います。
繁華街の、複製版画やポスターを売る店の定番商品ですし。

森アーツセンターのミュシャ展に、行くかどうか、かなり迷ったのです。
なにしろ、頻繁に展覧会をやっているという印象があります。
今年は、この巡回展の他に、美術館「えき」KYOTOから始まったチェコのチマル・コレクションの巡回展もあります。これがややこしい。

ミュシャ財団秘蔵ミュシャ展のタイトル・サブタイトルは「パリの夢 モラヴィアの祈り──あなたが知らない本当のミュシャ」
チマル・コレクション展のタイトル・サブタイトルは「知られざるミュシャ展──故国モラヴィアと栄光のパリ」

「あなたが知らない」「知られざる」
「パリの夢」「栄光のパリ」
「モラヴィアの祈り」「故国モラヴィア」……

もう、どっちがどっちだか、分かりません。
加えて、どちらの展覧会も監修者が「千足伸行・成城大学名誉教授」で、両方で講演会を行うという大忙し。

混乱しないようにそれぞれの巡回先を記しておきますと……

ミュシャ財団秘蔵ミュシャ展
森アーツセンターギャラリー:2013年3月9日〜5月19日[終了]
新潟県立万代島美術館:2013年6月1日〜8月11日
愛媛県美術館:2013年10月26日〜2014年1月5日
宮城県美術館:2014年1月18日〜3月23日
北海道立近代美術館:2014年4月5日〜6月15日

チマル・コレクション展
美術館「えき」KYOTO:2013年3月1日~3月31日[終了]
海の見える杜美術館(広島):2013年4月6日〜 7月15日
福井市美術館:2013年7月20日~9月1日
松坂屋美術館(名古屋):2013年9月7日~10月14日
そごう美術館(横浜):2013年10月19日~12月1日

これ以外に、大阪・堺市立文化館 アルフォンス・ミュシャ館には「カメラのドイ」創業者・土居君雄氏の充実したコレクションがあり、常時なんらかの作品を見ることができます。

* * *

さてさて、入場料は1500円と高いし、とても混んでいるという話ですし、さんざん迷ったのですが、結局見に行きました。それも2回。とても良い企画だったと思います。

定番サラ・ベルナールの舞台のポスターがあるのはもちろんですが、パリを離れてアメリカに渡り、祖国に戻った以降の創作活動まで網羅しています。ポスター屋さんの人気商品以外のミュシャの創作活動にも光を当てるというのが、最近のミュシャ展の傾向のようですね。

だから「知られざる」であり、「パリ」のみならず、「モラヴィア(=チェコ東部)」なわけです。

* * *


アルフォンス・ミュシャ(1860〜1939)の実質的なデビューは、サラ・ベルナール(Sarah Bernhardt, 1844~1923)の舞台《ジスモンダ》のポスターです。ミュシャが《ジスモンダ》のポスターを描いたのは、1894年。ミュシャは34歳。サラ・ベルナールは50歳です。

先日、川村清雄について新聞記事を調べていたときに(☞ 川村清雄ノオト 09)、清雄の友人でもあった仏文学者・長田秋濤の名前とともに、サラ・ベルナールの名前が出てきました。


ミュシャが手がけたサラ・ベルナールの舞台ポスターの中に《椿姫 La Dame aux camelias》(1896)がありますが、アレクサンドル・デュマ・フィスによる『椿姫』の原作を最初に邦訳したのが長田秋濤(1871/明治4年〜1915/大正4年)だったのです(早稲田大学出版部、1903年)。

1908年(明治41年)の新聞に、サラ・ベルナール、長田秋濤の名前が挙がっています。それによれば、サラ・ベルナールは米国での公演を機会に日本に立ち寄る可能性がある、とのことでした。


近々來朝の噂ある佛國の
名優サラベルナルド


歐州劇界に於いて名高い佛國の女優サラベルナルドが近々我國に來遊すると云ふ噂がある、未だ確かには分からないが或は米國へでも行く途中我國に立寄るのであるまいか。此の人は同國の男優コツクラン氏と並び称せられてゐる名優で、中年まではその名さへ知られなかつたのであるが、中年以後其の技著しく進んで、大いに世人の認むる所となつた。今では恁麼[どんな]劇を演じても拙[まづ]いと云はれることはないと云ふ程であるが、中で最も得意とするのは、先年長田秋濤氏が譯して裁判にまで持ち出された有名な椿姫だ。そして常に其の妙技を振つてゐる所は、自身の名を以て座名とした巴里のベルナルド座である。此の座は國立でもなく市立でもないが、それ等の劇場に劣らず繁昌してゐる。之れを見ても優が如何程の技倆を有するかは知られやう。齢は既に六十路[むそじ]の坂を越して七十に近い老婆であるが、一度若い美人に扮して舞臺に現はれた姿は、艶麗實に云ふばかりなく、其の動作の若々しさはどう見ても七十近い老婆のすることとは思はれぬさうだ。従つて其の人氣もまた非常なもので、靑年富豪の如きは數萬金を投じてこの老女優を買ふといふ話である。如何に浮氣な佛國人でも恁[こ]んな老婆を何うしやうと云ふのでもないが唯大金を拂つて、この人氣役者を買うことが名譽で、佛國の富豪は之れを誇としてゐるのである。

『読売新聞』1908年(明治41年)1月28日、朝刊3頁。

「老婆」だとか「買ふ」とか、褒めているのかけなしているのか良く分かりませんが、たぶん褒めているのでしょう。こうした役者にパトロンが付くのは、当然のことです。高島屋が1900年のパリ万博に出品したビロード友禅をサラ・ベルナールが見初めて自邸に求めた件は前回のエントリで書きましたが(☞ 世田谷美術館:暮らしと美術と高島屋)、代金を支払ったのは彼女自身ではありませんでした。

『高島屋百年史』によれば、


其の後二週間程を經て請求書を送り支拂方を慫慂せり。然るに直ちには何等の沙汰もなかりしが暫時の後、支拂の通知に接し同邸に到れば別の老夫婦の人より遂に支拂を受けたり。恐らく同優「フアン」某の出金なりしならん。

『高島屋百年史』1941年、99頁。


残念ながら来朝は噂止まりで、結局サラ・ベルナールは日本へは来なかったようです(『読売新聞』1908年(明治41年)5月25日、朝刊5頁。)。

ところで、長田秋濤はフランス留学時代にコメディ・フランセーズにも出入りしていたそうなので、サラ・ベルナールとも面識があったかもしれませんね。川上音二郎(1864〜1911)は会ったことがあるようです(要確認)。

・サラ・ベルナール(1844~1923)
・アルフォンス・ミュシャ(1860〜1939)
・川村清雄(1852〜1934)
・和田垣謙三(1860〜1919)
・長田秋濤(1871〜1915)

みんな同時代人なのですね。

さらに付け加えると、三菱一号館美術館で開催された「クラーク・コレクション展」(2013年2月9日〜5月26日)。コレクションの主であるスターリング・クラーク(Robert Sterling Clark, 1877〜1955)の妻フランシーヌ(Francine Modzelewska, 1876〜1960)は、サラ・ベルナールのルネサンス劇場にいた女優だったとのことです。

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