2013年6月14日金曜日

多摩美術大学美術館:コドモノクニへようこそ
03:蠅取りデーの報奨

蠅取りデーの報奨

昭和14年夏、麻布区の小塚貞義宅では32万匹の蠅を捕らえて、賞品に反物2反をもらいました。

人々の蠅取りのモチベーションを上げるために、各地の蠅取りデーにはさまざまな報奨が用意されていました。大阪・鷺洲では抽選で市電の切符や石鹸、学用品がもらえたようです。


昭和六年六月六日より廿五日まで二十日間宣傳ビラを配布し、蠅捕懸賞を催し好評を博す。卽ちツバメ印形様を標準としてマツチ箱一杯(約百疋入)を持参の者は抽籤券一枚を交付さる(蠅取紙、リボンでも可)事とし左の懸賞品を与ふ。
一等(市電貳圓バス貳冊)一本
二等(同壱冊)三本
三等(同一圓一冊)六本
四等(同五十錢同)十本
五等(同石鹸三個)八十本

右衛生デーを記念して實施した結果は、開始後日尙淺きに拘はらず、豫期以上の好成績を示し、更に等外賞品を追加提供する事とした。
等外(鉛筆又は雜記帳)貳百本
斯くて同月二十五日午後四時を以て締切り、七月二日役員立會の上抽籤を嚴正に行ひ、同發表を組合掲示板、役員方、湯屋、床屋その他に掲示し、賞品は七月六日より十一日まで引替を行ふ。

『鷺洲衛生組合二十年史』鷺洲衛生組合、昭和8年(1933年)、13-15頁。


すなわち、蠅100匹毎に抽選券が貰え、抽選結果によって1等から5等までの賞品が与えられたということです。さらに、「等外賞品」が追加提供されたということですから、抽選に外れた人でも「鉛筆又は雜記帳」が貰えたということでしょうか。

北海道・帯広では、持ち込まれた蠅を100匹3銭で買い上げたばかりか、さらに抽選で現金や蠅取りリボンが与えられました。しかも、抽選に外れてもキャラメル1個が貰えます。


一、買上單価百匹三錢也
外ニ百匹ニ付抽籤券壹枚呈ス
二、抽籤は期日ヲ定メ地元日刊新聞ニテ發表ス

壹等 一名 五圓
貳等 一名 二圓
參等 一名 一圓
四等 二十名 蠅取リボン五ケ宛
等外 キヤラメル壹個宛モレナク進呈

帶廣市聯合衛生警備隊本部

『行幸記念衛生警備隊記録誌 : 昭和11年10月』帯広市聯合衛生組合、昭和12年(1937年)、20頁。


東京での報奨品の詳細な事例は見つけていないのですが、いくつかの記述を拾ってみると……

・岡本綺堂宅では、蠅103匹で町内会からサイダー1瓶(大正14年)。
・「町内の衛生係迄持参すると、町内第一だといふので、褒美として桐のたんすを頂戴するなど」(昭和9年)。
・「荒川區三河島町東會では……一等から廿等まで賞品を贈つた」(昭和11年)。
・麻布区で、1等賞品の反物二反(昭和14年)。

このあたりは詳しく研究している人に伺いたい。

モチベーションを高めるための報奨品が豪華になると、手段と目的が入れ替わってしまうような例も見られるわけで、そうした現象に対する非難も見られます。


蠅取週間に当つては、奬勵の為、時々、懸賞をかけたりしてゐる。
懸賞に就て面白い話がある。まだ蠅取を始めて間も無い頃の賞品は、蠅一疋何厘、蚊一疋何厘と云つた具合に、一々之れに価格を附していゐた。
ところが、初めは取り方も少かつたので、其れで大した不都合は起こらなかつたが、次第に多く取る様になつて来ると、莫大な額に上つて、とてもやり切れなくなつた。何しろ、一人で、一週間に、五圓もの金額になつた事もあつた位である。これでは、月給より、蠅取賞金の方が高くなると云ふとんでもない結果になつて、驚いて、其の方法は、中止してしまつた様な事もあつた。……今はこんなのは一切止めて、タオルや石鹸の様な、万人向きのするものばかり與へてゐる。

貝島慶太郎『随筆集』昭和11年(1936年)、72~74頁。



初山滋《ハヘトリデー》『コドモノクニ』昭和11年(1936年)9月号。

報奨をもらうためには大量のハエを捕まえる必要があります。

こどもたちは蠅叩きと袋を手にして蠅を集めていたようですが、これではとても何万匹もの蠅を捕ることはできません。手を煩わさずに、効率的に蠅をとる機械もありました。

長くなるので、またまた続きます。次で最後です。


0 件のコメント:

コメントを投稿