2013年6月11日火曜日

21_21:デザインあ展:声を小さくして言いたい。



デザインあ展
2013年2月8日(金)~2013年6月2日(日)
21_21 DESIGN SIGHT

展覧会のテーマは、「デザインマインド」。日々の生活や行動をするうえで欠かせないのが、洞察力や創造力とともに、無意識的に物事の適正を判断する身体能力です。ここでは、この両面について育まれる能力を「デザインマインド」と呼ぶことにいたします。

多種多様な情報が迅速に手元に届く時代を迎え、ただ受け身の生活に留まることなく、大切なものを一人ひとりが感じとり、選択し、そして思考を深めることの重要性が問われています。その点からも、豊かなデザインマインドが全ての人に求められているといえるでしょう。

次代を担う子どもたちのデザインマインドを育てること。大人もまた、豊かな感受性を保ちながら、デザインマインドを養うこと。本展では、音や映像も活かしながら、全身で体感できる展示を通して、デザインマインドを育むための試みを、さまざまに用意いたしました。


とても評判の良い展覧会でした。
最終日近くは開館時間を早めたり、それでも長い行列ができていたようです。最終日には2時間待ちだったとか。
ただ見て通り過ぎるというものではなく、手を動かして体験するコーナーがいくつもあり、それもあって混雑していたのでしょう。
私は2回行きましたが、2月と3月でしたので、まだそれほどの混雑は体験せずに済みました。でも3月の時は開館前から列ができていましたね。


| 21_21 | feb. 2013 |

いろいろな人たちが、「楽しかった」「面白かった」「笑った」「考えさせられた」云々と感想をのべております。じっさい、子供たちばかりではなく、若者たち、大人たちもとても楽しんでいるように見えました。ググるとポジティブな感想を書いたウェブログやツイートがたくさん見つかると思います。

たとえば、↓のウェブログ。
写真も多く、とても良くまとまっています。


そうした中で、ちょっと異色だったのがこれ。



クシノさんにとって、なにが、どうつまらなかったのか、このツイートからは分からないのですが、じつは私もうすうすそのように感じるところがあったので、ちょっとその「つまらなさ」を考えてみようと思い立ちました。

とにかく皆様がこの展覧会を褒め讃えております。
ですので、ここでは声を小さくして「つまんなかったかもしれない」とつぶやくことにします。

楽しいけれどもつまらない。


| 21_21 | feb. 2013 |

最初に書いておきますが、この展覧会は楽しかったと思います。

いったいお前は何を言っているのか。

いや、楽しいのだけれども、この楽しさはどのような性質のものなのか、ということです。

「マルとシカク♪」の歌と映像とか、風呂敷でいろいろなモノを包むとか、折り紙を折るとか、お寿司の解散とか、iPadでスケッチをするとか……

映像を見ることは楽しい。手を動かすことは楽しい。

なんですけれどもね。

映画を見るのもテレビを見るのも楽しいですよね。積み木で遊んだり、お人形で遊んだり、プラレールで遊んだり、公園を走りまわるのだって、楽しいですよね。それと何が違うのか、分からないのです。

「体験する」「知識を得る」という手段はたくさんあります。「デザインあ展」のさまざまな仕掛けもそのひとつでしょう。でも、それがなぜ「デザイン」なのか、分からないのです。この仕掛けが「デザインマインドを育てる・養う」こととどのように結びつくのか、よく分からないのです。逆に、これがデザインマインドを育てうるならば、入館料を払ってミュージアムに行くのではなく、外の広場で思いっきり身体を動かして遊べばいいのではないでしょうか。おうちで積み木を積んでいればいいのではないでしょうか。お友達とバービーで遊べばいいのではないでしょうか。

しかし、ひょとすると、ですね。そうした場がない。どうしてよいのか分からない。だから場を用意しましょう、ということなのかも知れません。たとえば外で走る代わりにジムに行ってトレーニングをするようなことです。

絵なんて勝手に描けばいいと思うけれども、どうしていいか分からないだろうから、紙と色鉛筆を用意しましょう。何を描いていいか分からないでしょうから、紙にはあらかじめ「あ」という文字をプリントしておきましょう。いわゆる塗り絵ですが、枠通りにきっちり塗らなくてもいいですよ。自由な発想で紙面を埋めてくださいね。それでもどうしたら良いか分からない人は、他の人の描いたものを張っておきますから、参考にしてくださいね。

ということなのか知らん。

あ、あと、ほとんどのモノが動きません。お寿司も解散しっぱなしです。これはテレビの勝ちですね。

デザインとはなにか。


| 21_21 | feb. 2013 |

私自身は「あらゆるものはデザインされている」と考えておりますので、「デザインあ展」がデザインじゃないとは思いません。でも、「デザインとはこういうものです」といわれると違和感を覚えます。

デザインの定義はさまざまで、デザイナーさんたちはそれぞれ自分なりの定義を持っていて、それを軸に仕事をしているわけです。だれの定義が正しくて、誰の定義が間違っている、というものではないと思います。デザインをするにあたって、何を軸にするか、何を重視するか、ウェイトの置きかたの違いでしょう。

ただ、世間で多様な言葉でデザインと呼ばれているものを集合的に見てゆくと、ある程度共通するところがあります。私自身は、広辞苑におけるデザインの定義が良くまとまっていると考えております。


【デザイン】
(2)意匠計画。生活に必要な製品を製作するにあたり、その材質・機能・技術および美的造形性などの諸要素と、生産・消費面からの各種の要求を検討・調整する総合的造形計画。「建築―」「衣服を―する」


さてさて、広辞苑における定義を念頭において展覧会を見て感じるのは、ここにあるのはデザインの一部である、ということです。

手を動かして何かをつくる、描く。
お寿司の大きさを考える。
G型醤油差しをカットして、醤油を差すしくみを見る。

これは「美的造形性」と「機能」の側面です。

ここにない、ここに示されていないのは、デザインが対峙する問題、デザインの理由(わけ)です。広辞苑の定義でいうならば「生産・消費面からの各種の要求」です。すなわち、デザインにどのような制約(=材質・技術)があるのか、誰のためにデザインするのか、何のためにデザインするのかという視点です。

問題設定がないから、積み木遊びとの違いが見えません。
問題設定がないから、塗り絵との違いが分かりません。
折り紙は紙を折って終わりです。
風呂敷でものを包んで終わりです。
その前も、その先も、見えません。

問題設定には、デザインの目的ばかりではなく、さまざまな制約が含まれます。チャールズ・イームズなんて、デザインは制約に従う、デザインに必要なのは制約だ、というようなことまで言っていますしね。

制約には使用の条件や、素材、技術、コストなどが含まれます。そしてそうした目的や制約は自律的に存在するものではなく、歴史、社会、文化、人、生活を背景に成立しているものです。この展覧会にはその視点がありません。

醤油差しの機能性「だけ」を分析して、はたしてヤマサの「鮮度の一滴」のようなパッケージ・デザインが生まれるでしょうか。醤油、醤油差しに対する問題の分析があって、新たなカタチがそれらへの解決策として生まれてくるのではないでしょうか。

針金を曲げて回転させるオブジェがありました。回転してできるかたちといえば、轆轤でつくる茶碗や皿、ポットなどがあります。しかし、たとえば量産品のカップやポットの生産には石膏型を用いた鋳込み成形slip castingが行われています。轆轤と違って、鋳込みでつくられる形態は回転体である必要はありません。それにも関わらず、多くのカップやポットが回転体をしているのはなぜなのでしょうか。


| 21_21 | feb. 2013 |

ちょうどいいお寿司の大きさとはどのようなものなのでしょうか。それはだれもが一口で食べられる大きさなのでしょうか。「だれも」に、大人も子供も含まれますか。あるいは寿司を握る職人の手の大きさに依存しているのでしょうか。でも、手の大きさに依存しているなら、そのような制約がない機械でつくられる寿司も同じ大きさをしているのはなぜなのでしょうか。

どうもここにはモノだけが存在して、つくり手、受け手といった人間、そしてその背後にある歴史と文化が不在です。しかし、人、歴史、文化を除外してデザインがありえるのでしょうか。人、歴史、文化を除外して「適正な」デザインがありえるのでしょうか。

それとも、モノを見れば自然とわかるはず、ということなのか知らん。

人間の不在。


| 21_21 | feb. 2013 |

iPadをスケッチブック代わりにして絵を描く。
ディスプレイに現れる動画を見ながら、折り紙を折る。

随所に手を動かす仕掛けが用意されているのですが、通常のワークショップと異なり、教えてくれる生身の人間はいません。なので特別なワークショップ企画を除くと、コミュニケーションをとりながら何かをつくるということがありません。インタラクティブではあるけれども、それはプログラムされた範囲でのことであって、コミュニケーションではない。なので、つくり手と受け手がともに学ぶプロセスはありません。参加者同士のコミュニケーションを促す仕掛けもありません。これはちょっと残念でした。もっとも、もともとテレビ番組はそういうものですし、4ヵ月という長期にわたる展覧会にそれを要求するのは難しいと思いますが。

* * *


| 21_21 | feb. 2013 |

まあ、ここに書いてきたことはほとんど挙げ足取りです。褒めるべきところはたくさんある展覧会です。でもそれはいろいろなウェブログ、展覧会レビューなどで出尽くしていると思います。なので、あえてそれらとは異なる点を、小さな声でつぶやいてみました。

この番組・展覧会の対象年齢が小学生未満、ということならば、ここに書いたことは無視すべきでしょう。これだけ楽しむことができれば充分です。ただ、会場には子供たちのお父さん、お母さんたちも来ているわけです。メインのターゲットではなかったとしても、彼らも鑑賞者です。そして、その子供たちに大きな影響を与える立場にあるわけです。そのほかにも、大学生や、社会人カップルの姿もたくさん見られました。彼らがこの展覧会を見て、デザインをどのように理解したのか、気になるところです。

……しかし、デザインマインドってなんでしょう。小さな声でお尋ねします。展覧会に行ったみなさん、デザインマインドは養われましたか?


* * *

私は ↓ の記事の内容がよく理解できませんでした。精進したいと思います。


「会場で遊ぶ子どもは、自分が良かれと思って作ったデザインを、他の子が崩してゆくこと、しかし、それが意外と面白い結果を生むことも経験的に学んだことだろう。」

ううむ、保育園や幼稚園に通っている子供たちにとっては、こんなの日常茶飯事ではないですか。公園の砂場でも日常的に見かけることではありませんか。ちょっと考えすぎに思うのですが。




『デザインあ あなのほん』小学館、2013年。

0 件のコメント:

コメントを投稿