2010年5月21日金曜日

エイドリアン・フォーティ『欲望のオブジェ』の読まれかた

メモランダム。


A・フォーティの『欲望のオブジェ』が未だにそのような読まれかたをしていることを知って残念であると同時に、そのような理解が現実なのかと思う。

上のウェブログの筆者が求めているものが『欲望のオブジェ』にはないことは、まったくその通りである。しかし、そもそも解決策を求めて読むべき本は「デザイン思想」の本であって、「デザイン史」の本ではない。以前にも書いたが、「デザイン思想史」と「デザイン史」とはその本質がまったく別のものだ。そして『欲望のオブジェ』は「デザイン史」の本だ。本当は明確に区別されるべきものなのに、デザイン史の多くも、美大のデザイン史の授業も、現実に存在していたデザインの話をしているのか、過去のデザイナーの思想の話をしているのか、曖昧にしているからこんなことになる。

思想が思想に留まり、現実が自分を認めてくれないと嘆くことになるとすれば、それらを区別できていないからだ。現実を変えていこうとするならば、相手を知らなければならない。相手の問題を知らなければならない。「デザイン史」はデザイナーに解決策を与えるものではなく、これまでデザインがどのような問題を解決してきたのかを示し、これからどのような問題と対峙しなければならないのかを考える学問であるべきなのだ。フォーティの『欲望のオブジェ』は、そのような視点から描かれた、現状では最高の「デザイン史」の本であると思う。

と書いてみたが、「デザイン史」だって解決策は示すよな、と考え直す。ただ、『欲望のオブジェ』のようなデザイン史が示す解決策は、それまでと何が異なるのか、ということをもう少し考えてみよう。




N・ペヴスナーのデザイナー中心主義のデザイン史に異義を唱え、それまでのデザイン史に対して「デザイン理論がまずしいのは、デザインをアートと混同し、制作の産物を美術作品とみなしてきたことによる」と述べる。S・ギーディオンのテクノロジーと社会的価値観とによって決定づけられるとする方法論に対しても不徹底をみたフォーティは、本書でデザインとそれをとりまく社会的価値観、市場の論理、技術発展、イデオロギーなどの複雑な関係を前提として、いくつかの問題をテーマ設定し、その複雑な関係性のなかでのデザインの成立を検証する。ウェッジウッドの工場やシンガーミシンの実例とプロセスを検証しつつ、家庭、オフィス、企業それぞれのデザインとその社会文化との関わりをひもとく。本書はこれ以降のデザイン史のバイブルになっていると言ってもよい。
現代美術用語辞典|OCNアート artgene.(アートジェーン)

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