平塚市美術館:「カー・デザインの歴史」展:美術館でデザインを見るということ
→http://tokyopasserby.blogspot.com/2009/10/blog-post_14.html
さて、カー・デザインの歴史の語りかたには、ほかにどのような方法があるのだろう。どうも、総合的なデザイン史の文献で車のデザインの歴史について読んだ記憶がない。改めて手元にあるいくつかのテキストを開いてみた。
結果から言うと、自動車のデザインの歴史が、デザイン史の文脈の中で論じられることはほとんどないようだ。それゆえに、語りかたの比較も何もない、ということになる。平塚市美術館の展覧会図録に文献リストが付いていなかったのは編集上の問題かと思ったが、文献がない、という事情もあるのかもしれない。
とりあえず、日本の2つの文献における自動車のデザインへの言及を示してみる。
まず、比較的新しいものでは、
これは武蔵美のデザイン史のテキストである。ざっと目を通したかぎり、柏木博氏による「序論」にかろうじてT型フォードの名称が見られるが、それは自動車の話ではなく、フォード・システム(生産様式=大量生産)への言及である。「プロダクトデザイン」の項目に、自動車は取りあげられていない。
つぎに、『世界デザイン史』。
手元にあるのは1994年刊の『美術手帳増刊号』版である。版を重ねているので、最新版とは異なるかもしれない。掲載されている写真図版を手掛かりに自動車デザインへの言及をピックアップしてみたが、全部で6箇所に記述があった。ただ、T型フォード、そしてその後の展開としてのGMによるスタイリング変化に言及があるものの、それ以外は企業名、デザイナー名が列挙されるのみであり、その文脈は描かれてはいない。
(引用1)ビジネスとしてのインダストリアル・デザイン
アメリカのインダストリアル・デザインは、基本的には、大量生産と大量消費の進むなかで急速に展開した。ここでは、ヨーロッパの場合に見られたような、工芸の近代化という学習過程を踏みながら、やがてインダストリアル・デザインを明らかにしてゆくという道を歩む必要はなかった。……
ここでは、大量生産と大量消費がデザインと深い関わりをもった例として、T型フォードのエピソードを挙げておこう。自動車の生産の点では、アメリカが常に世界の先頭を切っていたわけだが、たとえば、1908年に発売されたT型フォードの生産は、1909年にすでに年産10,000台を超えていたという。ヘンリー・フォードは、価格の安い自動車を造ろうという強い考えをもっていた。自動車は運送手段であればよい、というのが彼の信念だった。そのため、流れ作業を自動車の生産方式に導入した。そうして、1913年には、フォードは世界の業界を支配するまでになった。それは1924年に発売されたとき290ドルであったが、当時のほかの自動車のなかには価格が15倍もするものがあったほどだという。T型フォードは、まさに機能主義美学のシンボルとして、世間の評判を得たのである。
だが、フォード社がつぎつぎに安い自動車を社会に送り出してゆくにつれて、消費者の側には新しい欲望がつくり出されていった。消費者の関心はスタイルへと移ったのである。GM社はこの点に着目し、そうした欲求にこたえる組織をもって対抗することとなった。つまり、スタイルが売れ行きを左右する決め手となったわけである。フォードの名声は下落し、1927年にはT型フォードは生産中止に追い込まれた。
『世界デザイン史』、137頁
(引用2)構造技術者のバックミンスター・フラーは、1927年以来、彼のいわゆるダイマクション理論に没頭した。それは、力学と最大の効率を結合することを狙いとしたデザインで、1927年にはダイマクション・ハウスを、ついでダイマクション・カー(1932-33)、ダイマクション・マップを発表した。
『世界デザイン史』、143頁
(引用3)……、ロラン・バルトはシトロエンのDS19を見て「展開から出発した女神(デュス)」だと言ったのである。
『世界デザイン史』、146頁
(引用4)ドイツ 厳正な質と機能の形
バウハウスからウルム造形大学に至る、ドイツ・デザインの理念と創造の哲学は、実に偉大であり、世界の治世はデザインに与えた影響は大きい。文化としての現代デザイン、純粋なデザインという哲理と、其の形而下の携帯との理想的な系譜は、ここを出発点としていると言って過言ではない。……
工学のシステム、造形のシステムは、精密な計算と、厳正な秩序の感覚に基づく構成力によって形成されており、その造形の方法にはドイツ民族に底流する共通の思想がある。伝統のあるカメラや自動車や刃物や工具など。……車はフォルクスワーゲン、BMW、メルセデス・ベンツ、ポルシェなど。……
『世界デザイン史』、153-4頁
(引用5)イタリア 創造形態の異才たち
イタリアはレオナルド・ダ・ヴィンチを生んだ創造の才能に満ちた明るい国である。これは良いと思う発想と、形態と色彩と材料に技術が伴ったら、すぐ製造してしまう。……
……自動車のフェラーリやフィアット、そのデザイナー、ピニンファリーナやダンテ・ディアコーザ、ワーゲン・ゴルフのジョルジェット・ジウジアーロなど……あげれば枚挙にいとまがない。
『世界デザイン史』、159-61頁
(引用6)日本の現代デザイン:大戦後のインダストリアル・デザイン
GKはヤマハのオートバイや音響機器をはじめデザインのさまざまな分野の仕事を手掛け現在では世界屈指のデザイン事務所となった。
『世界デザイン史』、168頁
モノが紹介されている以外に、ほとんど何も説明されていません。
この項つづく。
デザイン史におけるカーデザイン(2)
→http://tokyopasserby.blogspot.com/2009/11/2.html
0 件のコメント:
コメントを投稿