ヴェルナー・パントン展|東京オペラシティ アートギャラリー
→http://www.operacity.jp/ag/exh111/
経歴や、プロダクトの概要は展覧会サイトでご覧ください。
で、ヴェルナー・パントンを知り、ヴェルナー・パントンのプロダクトを体感してきたわけだが、ただ「行ってきました!」「オススメです!」ではないメモを書こうと思ったら、どうも頭の中が整理がつかなくて3週間が過ぎたのだ。
問題は例によってデザインの歴史のなかに、パントンや彼のプロダクトがどのように位置づけられるのか、ということである。たとえば、展覧会サイトの紹介文からして、かなり引っかかるものがある。
……デンマークに生まれたパントンは、世界の家具メーカーと協働して多くの名作デザインを世に送り出し、ヨーロッパにおける前衛デザイナーの旗手としてその地位を確立します。
……残念なことに、パントンのあまりにも斬新な表現はデザイン史において特異な存在とみなされ、これまで本格的な研究の対象になっていませんでした。
本展はヴィトラ・デザイン・ミュージアム……の貴重なコレクションより、世界のデザインの方向性と発展に多大な影響を与えた50年代半ばから70年代半ばの作品にスポットをあて、家具、照明、テキスタイル、模型、ドローイング、映像など約150点を展示します。
ヴェルナー・パントン展 :イントロダクション|東京オペラシティアートギャラリー
→http://www.operacity.jp/ag/exh111/j/introduction.html
とあるように、ヴェルナー・パントンのデザイン史における位置づけは、どうもはっきりしないようなのだ。名作デザインを送り出し、世界のデザインの方向性と発展に多大な影響を与えたとしつつも、デザイン史では本格的な研究の対象となっていなかったという。いったいなぜでしょう。
本展図録中、橋本優子氏の文章にも同様の記述が繰り返されている。
……数多あるデザイン史の文献をひもとくと、常に「北欧モダン」「ミッド・センチュリー」「プラスチック・エイジ」「アンチ・デザイン」といったフレーズに包まれ、伝説のなかでもまた、その素顔が見えにくいパントン。
橋本優子「Who is Verner Panton?」『図録』030頁。
「素顔が見えにくい」理由はいったい何なのか。ここでは、論者がデザインのナショナリティに拘泥していることがその要因ではないか、という考えをメモしておく。
国や地域によるデザインの傾向の違いの叙述は、デザインのテキストではしばしば見られる方法である。たとえば、『世界デザイン史』(美術出版社、1994年3月)には、国、地域別のデザインの特徴が次のように記述されている。
[北欧諸国について]
ヨーロッパ中央部の早くから高度に工業化した大量生産の国々と違って、伝統的な民族の手工芸を重んじ、あたたかい人間味のある、豊かな自然の恩恵によるクラフト的な製品を生産してきている。(149頁)
ドイツ:厳粛な質と機能の形
ドイツのデザインには、機能性、合理性のある、単純明快なものづくりへの努力がある。……ユーモアや冒険性に欠け、堅い感じが与えられる。(155頁)
イタリア:創造形態の異才たち
イタリアはレオナルド・ダ・ヴィンチを生んだ創造の才能に満ちた明るい国である。これはよいと思う発想と、形態と色彩と材料に技術が伴ったら、すぐ製造してしまう。その創造の方法は、一見無思想のように見えるが、決してそうではない。(159頁)
阿部公正監修『世界デザイン史』美術出版社、1994年3月。
カーデザインに関するエントリでも書いたのだが、デザインの通史の多くは、デザイナー、デザイン運動、様式という切り口から現象を観察している。運動や様式はかなり広範な地域を包括しているが、上記引用のように国や地域という枠組みでの特徴もしばしば強調される。歴史というのは個別の事象ばかりではなく大きなパターンを見出すことでもあるから、そのような枠組みを想定するのは自然ではある。ただ、どこでも、いつの時代でも、そのような枠組みで捉えきれないデザインがあり、デザイナーがいるのは確かで、そうなるとその扱いにとても困ることになる。ふたたび『世界デザイン史』から引用する。
イギリス:正統の見識と先端性
イギリスは古い様式を守りながら常に正統派の言動を行い、ウェッジウッドの陶磁器やロールス・ロイスのような車を造り、その伝統と節度の守り方は、ちょっと尊大にさえ見えるところがある。しかし、実は意外にそうではない部分も多く、ミニ・クーパーやミニ・スカート、またビートルズのような先端なものを実現する。(147頁)
フランス:機智と合理のデザイン
……ある部分に対して、あるいはある事象、自然の法則などに対して、徹底的に合理的に、そしてまた主観的にデザインするといってもよいだろうか。例えばシトロエン2CV(1948)とDS19(1955)のデザインが同一人物のフラミニオ・ベルトーニによるものだと、だれもが信ずるだろうか。……(157頁)
説明として破綻しているような気がするのは私だけだろうか。
話をパントンに戻す。ヴェルナー・パントンは、デンマーク出身である。デンマークは地域としては「北欧」に分類される。そして、北欧のデザインについて共有されているイメージは『世界デザイン史』からの引用の通り手工芸、クラフトなのである。
ちょうどいま新宿伊勢丹で「北欧モダンコレクション」という催事が開かれている(2009年11月16日まで)。
暮らしのISETAN STYLE 北欧モダンコレクション : 新宿店 : 伊勢丹 店舗情報
→http://www.isetan.co.jp/icm2/jsp/store/shinjuku/event/0911scandinavian/index.jsp
いや、じつはここでもパントンチェアが展示販売されているのだが、サイトの写真を見ても分かるとおり、会場を支配しているのはクラフト的イメージである。
「前衛デザイナーの旗手」「あまりにも斬新な表現」「特異な存在」「プラスチック・エイジ」「アンチ・デザイン」。このような形容が、あるいは本エントリの冒頭に挙げた「ヴェルナー・パントン展」のサイトのイメージが、伊勢丹の催事ページを支配する北欧イメージといかに相容れないものであるか、分かるだろうか。
2007年に東京オペラシティアートギャラリーで開催された「北欧モダン デザイン&クラフト」展のサイトのイメージも、展覧会のタイトルにもあるとおり、やはりクラフトなのだ。
北欧モダン デザイン&クラフト
→http://www.operacity.jp/ag/exh88/index.html
この展覧会にもパントンのプロダクトが出品されていたのだが、彼のプロダクトだけは壁面や照明の雰囲気が他とはまったく異なる演出の空間に置かれていたのだ。
展示風景|北欧モダン デザイン&クラフト
→http://www.operacity.jp/ag/exh88/j/gallery/index.html
このような扱いを見ていると、「北欧」という文脈にこだわるかぎり、ヴェルナー・パントンを説明することは困難なのではないだろうかと思う。デザインにおける国民性、地域性を全否定するわけではないのだが、そのような枠組みを設定し極端に類型化することによって、歴史のなかでなかったことにされてしまっているデザインは、おそらく他にも多数存在するだろう。それゆえ、国や地域といった枠組みの意味を検証していく必要があると思うのだ。
※ちなみに『世界デザイン史』では「デンマーク」の項目にも、巻末の人名索引にもパントンの名前はない。
(marunouchi) HOUSE:ヴェルナー・パントン展
→http://tokyopasserby.blogspot.com/2009/11/marunouchi-house.html
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追記20091124
artscapeに柏木博氏によるパントン展のレビューが掲載されている。
彼は、北欧出身のデザイナーとしては、他の北欧デザイナーと少し異なった雰囲気のデザインを多く手がけた。たとえば、デンマークの家具デザイナー、ハンス・ウェグナーやボーエ・モーエンセンなどが、木の素材を生かした北欧の典型とみなされるデザインを手がけているのに対し、パントンは、プラスティックや金属といった素材を多用し、また、きわめて人工的な形態のデザインを特徴としている。パントンのデザインは、地域ではなく、時代の感覚と強くかかわっているといえよう。実際、今回の展覧会ではそのことがはっきりと示されている。
「夢の時代」のデザイン:フォーカス|美術館・アート情報 artscape
→http://artscape.jp/focus/1210525_1635.html
→http://artscape.jp/focus/1210525_1638.html
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