2011年1月28日金曜日

水飲み場:白井晟一の建築

白井晟一のいくつかの仕事に見られる手洗いが気になってしまって、図書館で『白井晟一全集』(同朋舎出版)を見てきてしまいました。確認できたのは、やはり「煥乎堂」と「親和銀行大波止支店」のふたつ。図面には記載されていない「松濤美術館」を加えて3箇所のようです。


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「煥乎堂」は群馬県前橋市の書店。ホームページによると創業は明治初年(創立は大正10年)という歴史のある本屋さんです。
白井晟一が手掛けた建物(1954年)は現存していませんが、かつてのそのエントランスの壁面に石造りの手洗いが設置されていたようです。


『白井晟一全集 図集IV 商業施設』同朋舎出版、1987年、183頁。


『白井晟一全集 図集IV 商業施設』同朋舎出版、1987年、181頁。

全集にはこの手洗いの詳細図も収録されています。


『白井晟一全集 図集IV 商業施設』同朋舎出版、1987年、186頁。

図面には「水栓(蛇口)ハブロンズ鋳造彫刻型トシ其ノ形状及寸法ハ別ニ指示スル」とあり、水栓もオリジナルが使用されていたようです。こだわっていますよね。

「白井晟一展」には煥乎堂の図面はなく、写真が展示されていましたが、そこにこの手洗いを見ることができます。『白井晟一全集』ではこの写真を見つけることができませんでした。

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こちらは「親和銀行大波止支店」(1963年)。長崎市に現存しています。


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展示されていた写真には手洗いを見ることができなかったのですが、エントランス扉を入ったところに設置されているようです。
なぜ、銀行のエントランスに手洗い?


『白井晟一全集 図集IV 商業施設』同朋舎出版、1987年、215頁。

こちらが内部の詳細図。展覧会にも出品されています。


『白井晟一全集 図集IV 商業施設』同朋舎出版、1987年、231頁。

「手洗鉢、壁ノ本石彫出シ(詳細別示)」と書かれています。残念ながら『全集』にはこの別示が収録されていません。

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そして渋谷区立松濤美術館(1980年)。


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水飲み(手洗い?)があるのですが、


| shoto | sep. 2009 |

図面には示されていません(赤○の部分)。


『白井晟一全集 図集III 公共施設』同朋舎出版、1988年、256頁。

球体をカットした形状で、先の二つとはカタチもディティールも異なります。
蛇口にかなりのこだわりが見られるにもかかわらず、図面に描かれなかったのはなぜでしょう。

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もうひとつ。
実現しなかったものですが、「秋田林業會舘計画」(1951年)。
入口左側に見えるのは、噴水型の水飲み場ではないでしょうか。


『白井晟一全集 補遺』同朋舎出版、1988年、82頁。

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煥乎堂は1954年、親和銀行大波止支店は1963年と、両者は時期的に近い。対して松濤美術館は1980年と、大波止支店の17年後。相当な時間をおいて、壁面の手洗いというモチーフがつながっているのです。

4 件のコメント:

  1. 松濤のは後から取り付けたもので実用品じゃない
    のかもしれませんよ。美術品?気がつかなかった。
    公園の方の水飲み場は、夏に使いましたが(笑)。

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  2. 私も深く考えすぎなのかもしれません(笑)。でも、松濤美術館の水栓は本当に凝っているのですよ。

    公園とは鍋島松濤公園のことですか? 平日昼間、池のまわりのベンチには暇を潰していると思しき人たちが何人も……

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  3. 松涛美術館の水飲みは、開館時からありました。
    (最初から水は出ていなかった…やっぱ、水の垂れ流しはねぇ…)
    発表の図面と現場の部分的整合がないのはよくありますね^^

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  4. 匿名さん、ありがとうございます。
    開館時からご存じですか。やはり最初から設置されていたんですね。しかも水が出ていなかったと。
    旧い水飲みでハンドルが付いていないものをしばしば見るのですが(いずれももう水は出ない)、かつては流しっぱなしだったようですね。

    展覧会に出される松濤美術館の図面は初期のもので、実際の施工時には変更された場所も多いとうかがいました。図面にある館長室もじっさいには2階ですし。

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