大正イマジュリィの世界
デザインとイラストレーションのモダーンズ
渋谷区立松濤美術館
2010年11月30日(火)〜2011年年1月23日(日)
知人が「大正イマジュリィ学会」の会員で、いちど研究報告を聞きに行ったことがあるのですが、そもそも「イマジュリィ」とはなんなのか、いまひとつ分かっていませんでした。
今回展覧会に行って展示品を見て、解説を読んで、家に帰って図録を見て、なんとなくその意味するところが分かった感じです。要約すると、大正期前後に巷間の印刷メディアに現れたさまざまな図像、といったところでしょうか。イマジュリィimagerieは仏語で、英語ではimagery。図像、イメージという意味です。「大正デモクラシー」のように古くから使われている言葉かと思いましたが、そうではない。
図録に依れば、
「イマジュリィ」という言葉は僕[=島本浣。京都精華大学教授・大正イマジュリィ学会会長]が言い出したんです。山田俊幸さん[=帝塚山学院大学教授]を中心に、大正期の挿絵や絵はがきなどの領域がおもしろいので、勉強会みたいなものを作ろうよ、ということになったときです。……そのとき、会を何ていう名前にしましょうかということになって、ふと思いついたんです。
山田俊幸監修『大正イマジュリィの世界』ピエ・ブックス、2010年11月、82頁。
「大正イマジュリィ学会」の設立は2004年ですから、まったく新しい言葉でした。
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展覧会の内容、感想はいろいろなブロガーの方が報告されているようですので、それらの解説を読むことをお勧めし(笑)、私の気になった画家、橘小夢(たちばな さゆめ、1892〜1970年)のについてのみ、メモしておきます。
河童に取り憑かれ水底へと引き込まれてゆく女性像。とても幻想的かつ官能的です。私の他にも、多くの人が足を止めていました。本展の感想を書いたウェブログでも小夢について触れているものは多いですね。まとまって作品を見る機会が欲しいところです。
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いつものように、画家や作品とは関係ないところで気がついてしまったことを少し。
展覧会図録の後半にカラー図版の出品作品リストが附されています。
よく見ると、図版にシャドーのあるものとないものがあります。
この違いはなにか、と観察してみると、どうやら雑誌の表紙など厚みのあるメディアには影があり、挿絵や絵はがき、便せんなど単葉の作品には影がないようなのです。見比べてみると、さらに図版によって影のサイズ(距離)が異なっています。これは厚みの違いを表しているのでしょうか? だとしたら、なんと細かい仕事なのでしょう。
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さて、その視点で前半の本文を見直してみたのですが、どうも様子が異なっているのです。
高畠華宵の作品。上は雑誌表紙で影付き。下は口絵ですが微妙な影が付いています。
広川松五郎の装幀。上の書籍装幀には影がありますが、下の雑誌表紙には影はありません。
こちらは富本憲吉の仕事。表紙の装幀にも、扉絵にも影がありません。
こんな感じで、他のページで紹介されている作品も、影があったりなかったり。ルールが見えないのは、すっきりしませんなぁ。
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