君、頭がクシヤクシヤする時は『平凡』を讀みたまへ。手当たり次第にあけて、五頁でも十頁でも讀むさ氣分はさらりと晴れて來るよ。 妻君がふさぎ込んでゐる時は、何も言はずに、ポんと『平凡』を放り出したまへ。間もなく妻君はニツコリ笑つて君の方を振り返へるよ。 隣り近所の人氣者になりたくないか。祕訣を一つ教へやう。『平凡』を一冊買つて來て、順々にお貸し申すことだたゞ、それだけだよ。 『読売新聞』1928年11月10日、朝刊11頁。
3行目は「讀む“と”」でしょう、全国紙なら。「さ」の後に句点が付けば話は違うけど。6行目は「ポ“ン”」とカタカナ。最後の行は「申すことだ。たゞそれだけだよ。」以上、文字校終了。これ本当の意味の誤植ですね。でも当時の語法はよくわかりませんが。僕は『明星』の方が好きだったな(笑)。
やっとかめさん、校正ありがとうございます。のちほどタイムマシンに乗って編集部にお伝えしてきます(笑)。私も当時の語法はよくわかりませんが、1行の字数が決まっているのと、句読点のぶら下がりがなく、本来入るべき句読点が省略されてしまうこともあるようです。この場合は「讀むさ」のところでしょうか。「ポん」はなかなかいい感じなので真似してみようかと(笑)。ところで私はなぜか『平凡』も『明星』も読んだことがないんですよね。食堂や床屋でも読んだ記憶がありません。
3行目は「讀む“と”」でしょう、全国紙なら。
返信削除「さ」の後に句点が付けば話は違うけど。
6行目は「ポ“ン”」とカタカナ。
最後の行は「申すことだ。たゞそれだけだよ。」
以上、文字校終了。これ本当の意味の誤植ですね。
でも当時の語法はよくわかりませんが。
僕は『明星』の方が好きだったな(笑)。
やっとかめさん、校正ありがとうございます。
返信削除のちほどタイムマシンに乗って編集部にお伝えしてきます(笑)。
私も当時の語法はよくわかりませんが、1行の字数が決まっているのと、句読点のぶら下がりがなく、本来入るべき句読点が省略されてしまうこともあるようです。この場合は「讀むさ」のところでしょうか。
「ポん」はなかなかいい感じなので真似してみようかと(笑)。
ところで私はなぜか『平凡』も『明星』も読んだことがないんですよね。食堂や床屋でも読んだ記憶がありません。