2009年9月21日月曜日

ウメ子が死んでしまった。


| odawara | aug. 2005 |
小田原城址公園の最高齢ゾウ「ウメ子」死ぬ
神奈川県小田原市の小田原城址公園で人気を集めたアジアゾウ「ウメ子」(メス、推定62歳)が17日朝、死んでいるのが見つかった。
人間なら100歳超に相当するといい、東京都武蔵野市の「井の頭自然文化園」のアジアゾウ「はな子」と並び、国内で飼育されているゾウで最高齢だった。
小田原市によると、ウメ子は1950年10月に、小田原市主催のこども文化博覧会開催に合わせ、推定3歳の時にタイから来日。公園のシンボルになった。
17日午前8時35分頃、飼育舎の中で横たわったままのウメ子を、出勤した飼育係が見つけた。同園は同日午後から獣医師を呼び、詳しい死因を調べる。ウメ子は、16日も食欲旺盛で、ジャガイモやキャベツ、ニンジンなど約60キロの餌を食べており、異状はみられなかったという。
(2009年9月17日11時57分 読売新聞)

ゾウのウメ子 別れに長い列/小田原城址
(前略)
市史や市広報誌などによると、ウメ子は当初、上野動物園(東京)が購入したが、その年の10月に小田原城で市制10年記念に行われた「こども博覧会」の目玉として市が借りた。大人気で、市は当時100万円で買い取り、周辺を動物園として整備。以来、ウメ子は、幼い子連れの母らに憩いと子育ての場を与えた「お城のシンボル」だった。
(中略)
ゾウ舎は天守閣の足もと。国の史跡として江戸時代の復元整備が進む。最盛期にはクマ、ライオンなどもいた動物園は縮小され、残るのはニホンザル14頭だけになった。
(2009年09月18日 asahi.com マイタウン神奈川)

| yomiuri | 27 sep. 1950 |

ネットで検索していると、お城マニアの人たちにはあの動物公園は評判が悪かったようである。しかし、小遊園地、小動物園好きの私としては、小田原城趾公園は素敵な空間だった。むしろお城はけっして趣味がいいとはいいがたい、と思っていた。

小田原城趾の動物園はすでに象と猿だけになってしまっていたようだが、これで残りは猿だけになった。再整備も進んでいるようなので、動物園はなくなってしまうのかもしれない。小さな動物園、公営の遊園地、昭和な空間がなくなっていく。あの美しい形の水飲み場(→こちらの写真)もなくなってしまうのだろうか。寂しい。

| odawara | aug. 2005 |

2009年9月17日木曜日

ペコちゃんいくつ? ペコちゃん6歳に決まる。

不二家のホームページにも、Wikipediaにも、ペコちゃんの年齢は6歳とある。しかし、先のエントリでも記したが、ペコちゃんは最初から6歳という設定ではなかった。いや、当初年齢設定はされていなかったと思われる。

1958年秋、新聞にペコちゃんの年齢を決める懸賞応募の広告が掲載される。


『朝日新聞』1958円09月01日、夕刊2頁。

そしてついに、1958年12月24日、クリスマスイブ。応募総数166万通。応募が最も多かった6歳に決定したのである。年齢の中心は、4歳から6歳であったようだ。しかし中には「おばあさんに見立てた」人までいたようである(かわいそうなペコちゃん)。そんなトッピな年齢で応募してはルノーはもらえるはずがないのに。



『朝日新聞』1958円12月24日、夕刊2頁。

あれれ、それじゃポコちゃんの7歳という年齢はいつ、どのようにして決まったのだろう……


| sukiyabashi | sep. 2009 |

2009年9月15日火曜日

水飲み場:竹芝埠頭

竹芝埠頭公園。公園とは名ばかり、子供のための施設は片隅に滑り台があるのみ。海を見ることができて、船を見ることができるから、それで十分なのか。




水飲み水栓はひとつであるが、小さい子供が登るための台が本体と一体となった構造になっており、工夫を感じさせる。比較的新しい水飲み場であるが、悪くない。


ただ広く、誰もいないトイレ。船が着くと、人でいっぱいになるのだろうか。


公衆電話が撤去され、使い道がなくなった電話ボックス。ガムテープで丁寧にふさがれている。プロの仕事だ(笑)。



トラック。いや、なんとなく。


これはなんだ?


裏にまわると、こんな感じ。東京都の排水場。巨大パイプは設備と分かるが、白い覆いはなんぞや。海側から見ると象の鼻にも見える。

グーグルマップで上空から見るとこんな感じ(↓)。

2009年9月14日月曜日

水飲み場:西郷山公園(目黒)

かつて目黒区の住民であったが、西郷山公園を知らなかった。目黒区は世田谷区、大田区、品川区などに挟まれて、北東ー南西に細長い。私が住んでいたのは南西端。西郷山公園は北東の方角、神泉と代官山のあいだにある。

ここは西郷隆盛の弟・従道の屋敷跡なのだそうだ。かなり広い公園で、しかも園内にはそうとうな高低差がある。


| aobadai 2 | sep. 2009 |

大人はそのまま、子供は段の上にのって利用する。高さの異なる水栓をふたつ用意するよりも合理的。


| aobadai 2 | sep. 2009 |

裏の手洗いのハンドルは外してあった。すぐそばにトイレがあるから必要ないか。


| aobadai 2 | sep. 2009 |

そして、そのトイレにはすてきな手洗い場がつくりつけてあった。

チョコレートの記号としての明治ミルクチョコレート

| hamamatsucho | sep. 2009 |

2009年4月1日に、明治製菓と明治乳業の共同持ち株会社「明治ホールディングス」が誕生し、それに伴って製菓も乳業も共通の新ロゴになった。ただNational → Panasonicのようにいっせいに切り替えるのではなく、しばらくは新商品は新ロゴ、それ以外は旧ロゴのまま、両者が混在するという状態が続いていた。だから、旧ロゴを大きく使っているおなじみのミルクチョコレートのパッケージは今後どうなるのだろう、と漠然と考えていた。


それがついに、9月8日から明治製菓のあのおなじみのミルクチョコレートを含むチョコレートのパッケージがリニューアルされた。ポスターを見たとき、なにか、自分の知っている世界がひとつなくなってしまったかのような衝撃を受けた。


これまでのパッケージは1971年(昭和46年)にリニューアルされて以来、38年間使われてきたもの。亀倉雄策先生による「Meiji」ロゴが大きく、その下にやや小さく「Milk Chocolate」の文字がイタリックで入っていた。1955年から1971年まで用いられていたロゴ、パッケージもほぼ同じイメージであったので、そういう意味では半世紀ぶりのデザイン刷新といえる。すなわち、子供の頃からチョコレートを食べてきて、現在でもチョコレートを買うであろう大多数の人々が知っていたあのパッケージがなくなってしまったわけである。


こんな商品(↑)が成立していたのも、「あのパッケージ=チョコレート」という図式が成立していたからこそのことである。新商品を告知するポスターに衝撃を覚えるのは、そういう、我々にとってのチョコレートという記号、アイデンティティが失われてしまったように思われたからではないだろうか。

ロゴの変更によってパッケージの印象が劇的に変わるなか、ミルクチョコレートのTV CMでは、しばらく前から使われている「Open!」のサウンドロゴ、「チョコレイトは明治♪」のメロディー(1966年誕生だそうだ)が用いられていてブランドイメージの連続性を演出しているのだが、最初に視覚的な衝撃を受けてしまった私には、なにやら「家に帰ったら見知らぬ人たちそこにいて、自分たちが私の家族だと言い張っている」ような、逆に自分が何者なのか分からなってしまうような感覚に陥る。

ロッテクールミントガムのリニューアルにあたって佐藤卓氏は、店頭においてそれまでの顧客を迷わせないことを第一にデザイン要素を再構成したと語っていて、非常に説得力があった。それに対して、明治ミルクチョコレートのリニューアルは、これまでのユーザをすべてリセットするような、強力なものである。しかし、いったんリセットされたとしても顧客はよそへ行くのではなく、ふたたび戻ってくるという確信があっての選択だろう。ミルクチョコレートのあたらしいパッケージは、はたして私たちにとってふたたびチョコレートの記号となるだろうか。

| tokyo stn. | sep. 2009 |

2009年9月13日日曜日

黒川紀章:中銀カプセルタワー

汐留に出かけたついでに見学じゃない見物。建て替えが決まったというニュースを見た覚えがあったので、どうなったかと思っていたが、いまのところ健在。他にも写真を撮っている人がちらほらと。

パナソニック電工ビルに映るカプセルタワー。


| shimbashi | sep. 2009 |


| shimbashi | sep. 2009 |


| shimbashi | sep. 2009 |


| shimbashi | sep. 2009 |

窓から中を覗く。


| shimbashi | sep. 2009 |


| shimbashi | sep. 2009 |


| shimbashi | sep. 2009 |


| shimbashi | sep. 2009 |


| shimbashi | sep. 2009 |


| shimbashi | sep. 2009 |

ストリートビューにも、カプセルを覗き込むカップルの姿が。

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