2010年10月18日月曜日

世界を変えるデザイン展 vol. 2:デザインの課題の所在


| yurakucho | oct. 2010 |

無印良品、有楽町店3階で開催されている「世界を変えるデザイン展 vol. 2」を見た。




作りなおし、使いなおす。ここちよさの新しいカタチ。

世界を変えるデザイン展vol.2は、発展途上国で製造、使用されているプロダクトのなかで、日本をはじめとする先進国でも十分な価値を持ち、ユニークかつデザイン性の高いプロダクトにフォーカスしました。

そして無印良品が掲げる「くりかえし原点、くりかえし未来。」というキーワードと共鳴し、簡素さが持つ美しさと、慎ましさが生活者の誇りにつながるような商品のあり方をいっしょに考え、具体的に発展途上国で使用されているプロダクト約10点をご紹介します。

現地の素材や廃棄物を再利用して製造されたプロダクトの機能美とデザイン性は、わたしたちの生活に、新しくて温かみのある心地よさを与えてくれることでしょう。

開催期間:2010年10月1日(金)~10月20日(水)
会場場所:無印良品 有楽町 ATELIER MUJI
開催時間:10:00-21:00
入場料:無料


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以下、個人的感想のメモランダム。


| yurakucho | oct. 2010 |

タイトルに「vol. 2」あるとおり、この展覧会は5月に六本木のデザインハブとアクシスを会場に開かれた展覧会とテーマを共にする。なので、5月の展覧会をvol. 1としておこう。

今回の展覧会に訪れて、最初に感じたのはvol. 1とvo. 2の違いである。何が違うのかといえば、それは展示物の違いではなく、デザインが向かう先の違いだ。ふたつの展覧会では、デザインの受け手が逆なのだ。

vol. 1では、われわれは彼らのためにデザインする。デザインされたモノを享受するのは彼ら。そしてデザインは直接的に彼らの生活の質の改善を試みる。そういうプロダクト、プロジェクトを紹介していた。

これにたいして、vol. 2ではデザインの受容者はわれわれである。そして彼らは創り手である。われわれは彼らによって作られたモノを購入し、そのモノの価値、機能、デザインを享受する。彼らは対価を受けとり、それによって生活の質を改善する。

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vol. 2をみて最初に感じたのは違和感であった。

だって、シンシア・スミスの著書の原題は「Design for the other 90%」。そのまま受け止めれば、目的とするのはわれわれ10%のためのデザインではなく、彼ら90%のために何を、どのようにデザインするのか、ということが課題である。展覧会初日に見に行ったのだが、この疑問と違和感をどう処理したものか、逡巡しているうちに時間が経ってしまった。そしてしばらくたって、改めて感じたのは、根本の思想はやはり変わらない。違うとすれば、それは取り組む問題に与えられた時間の差ではないか、ということであった。

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| yurakucho | oct. 2010 |

以前のエントリに付記したが、課題の解決には短期的な側面と長期的な側面とがある。

vol. 1で展示されていた多くのプロダクトが解決しようとしていた問題は、主として短期的な課題である。毎日の水くみの労苦をどのように軽減するか。いかにして清浄な水を入手するか。医療器具の使い回しによる感染症をどう防ぐか。子供たちが勉強できる環境をどのようにして用意するか。われわれの側ではすでにインフラとして整備され、日常的に意識することもない環境を、それが存在しない地域に短期間、さほど大きくはない投資でもたらすために、デザインの力を用いる。

それに対して、vol. 2では、デザインは直接彼ら90%の問題を解決するわけではない。表面的な意味でのデザインの受容者はわれわれである。われわれは彼らが造った商品を購入する。彼らはその対価を受けとる。短期的には、彼らはそのお金で自らの生活の質を高めることができる。もちろん、これではふつうのビジネスだ。あるいは良くてフェアトレードだ。

しかしvol. 2で取り上げられたモノには、それだけの関係ではない可能性がある。

たとえば、木製のラジオ。


| yurakucho | oct. 2010 |

かわいらしいカタチ。滑らかな外観。目盛りのない丸いつまみ。商品の説明によると、

magnoはインドネシアのカンダンガンという貧しい村で人々に働く機会を与え、少ない木材から多くの仕事を生み出し、ひとつひとつ、丁寧に作られています。
このラジオにはメモリはついていません。この未完成さは、わざと仕掛けた、使う人と製品とが深くかかわるためのチャンスです。自分「感覚」や「記憶」をつかって、お気に入りの包装を見つけて下さい。

地元の素材、地元の雇用。これが、合成樹脂製の機能性の高いありふれたデザインであれば、創り手は他の工業製品としてのラジオと競合することは不可能だ。しかし、デザインによって差別化(あまり好きな言葉ではないが)することができているので、独自の商品として成立する。

彼らはこの商品を作り、売ることで、対価を得るばかりではなく、モノをつくる技術を学び、クォリティを管理することと「デザイン」されたモノがもたらす価値を学ぶことができるのだ。

このシステムがうまく回るならば、彼らは単純に安い労働力として他国と競合するものづくりをするのではなく、「デザイン」によってそれだけではない商品作りを行うことができる。

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| yurakucho | oct. 2010 |

「デザイン」という言葉には、名詞と動詞とがある。前者はでき上がったモノを指し、後者はものづくりのプロセスを指す。vol. 2において、名詞としての「デザイン」を享受するのは、たしかにわれわれかもしれない。しかし、動詞として「デザインする」のは彼らだ。現在は十分ではないにしても、それを目指しているに違いない。これらは長期的な視点に立つプロジェクトである。

vol. 1の視点はもっと短期的であった。その点に違和感を感じるプロダクトもあった。私は「ドラえもん」を連想した。のび太君が危機に陥る。ドラえもんが未来の世界で使われている道具で彼を助ける。のび太君はそれで窮地を脱することができるが、彼の周囲の現実世界にはなにも変化がない。ドラえもんがいなくなったら、果たしてのび太君はうまくやっていくことができるだろうか。

もちろん、短期的な課題を解決する必要がある。急がなければ、子供たちは教育を受けないまま大人になってしまうし、病気に感染した人々は死んでしまうからだ。長期の課題と短期の問題解決とにどのようにバランス良く取り組んでいくことができるだろうか。デザインで何が解決できるのだろうか。長期の課題解決に対して、個々のデザイナーは何ができるだろうか。

まだまだ、頭の中がまとまらないし、関連する内容に関する理解も不十分だと思うが、今回もいろいろなことを考えるきっかけを与えてくれる展覧会だった。

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