ウィリアム・ド・モーガン 艶と色彩-19世紀タイルアートの巨匠-
2009年10月17日(土)~12月20日(日)
パナソニック電工 汐留ミュージアム
→http://panasonic-denko.co.jp/corp/museum/
今回の展覧会は、図録冒頭に「日本ではこれまで殆ど紹介されることのなかった」(図録3頁)とあるように、ド・モーガン紹介編と言うべき構成。ド・モーガン制作のタイルの展示を中心に、内容は多岐にわたっていた。
よかったのは、最後の「室内装飾のタイル」のうち、タイルパネルの展示である。他のコーナーは基本的にそれぞれのタイル1枚ずつの展示であったが、タイルパネルは一つの主題を複数のタイルで絵画的に構成したものである。どうしても個々のタイルから全体像を想像するのが困難であったのに対して、タイルパネルはそれ自体で完結しているので分かりやすかったのだ。
【メモ】
- ウィリアム・ド・モーガン(William Frend De Murugan, 1839-1917)は、イギリスの数学者・論理学者*オーガスタス・ド・モーガン(Augustus De Morgan, 1806-1871)の息子。(* 展覧会図録8頁には「倫理学者」とあるが、wikipediaには「logician(論理学者)」とある。おそらく図録の入力ミス。)
→ http://en.wikipedia.org/wiki/Augustus_De_Morgan - 妻イヴリン(Evelyn De Morgan, 1855-1919)は、ラファエル前派の画家。母方の伯父でありイヴリンの絵の教師でもあったジョン・ロッダム・スペンサー・スタナップ(John Roddam Spencer Stanhope, 1829-1908)もラファエル前派第二世代の画家とされる。
→ http://en.wikipedia.org/wiki/Evelyn_De_Morgan
→http://en.wikipedia.org/wiki/John_Roddam_Spencer_Stanhope - ウィリアム・モリス(1834-1896)との出会いは1863年。ステンドグラス作家ヘンリー・ホリデー(Henry Holiday, 1839-1927)の紹介。モリス、ホリデー、エドワード・バーン・ジョーンズ(Edward Burne-Jones, 1833-1898)との交友は生涯続いた。
→http://en.wikipedia.org/wiki/Henry_Holiday - ウィリアム・ド・モーガンとイヴリンは1887年に結婚。ウィリアム48歳、イヴリン32歳のときか。年齢差16歳。
- ラスター彩再発見のための実験により、財政的には破綻状態に。
→ http://www.screenonline.org.uk/tv/id/1284993/index.html - 1900年頃になると、ド・モーガンのスタイルは時代遅れに。作品は賞賛されたが、彼に多くの収入をもたらすことはなかった。
→ http://www.demorgan.org.uk/biogs/will_dm.htm - 65歳で小説を書き始めて5冊がベストセラーになり、ド・モーガン夫妻の老後の財政を助けた。
→ http://www.demorgan.org.uk/biogs/will_dm.htm - この展覧会に出品されているコレクションは、ド・モーガンの妻イヴリンの妹、ウィルヘルミナ・スターリング(Wilhelmina Stirling, 1865-1965)の蒐集品。スターリングは姉と義兄の作品の収集に努め、彼女の死後、1969年にド・モーガン財団が設立される。このコレクションを展示する施設は2002年になってようやくウェスト・ロンドンに開設された(ただし、同館サイトによると現在移転のため休館中)。
→ http://www.demorgan.org.uk/
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図録に掲載されている吉村典子氏の小論「ウィリアム・ド・モーガンと『アーツ・アンド・クラフツ』」(図録、68-72頁)が良い。
誰がド・モーガンのタイルを買ったのか。
ド・モーガンのタイルをふんだんに使って住宅を完成させた百貨店経営者アーネスト・デベナム(Ernest Debenham, 1865-1952)もその一人[=イスラム趣味の蒐集家]である。……
レイトン、デベナムのような本物志向のオリエンタリストたちを満足させたのが、ド・モーガンのタイルだったのである。……
これらの住宅の施主は、巨万の富を得た産業資本家たちである。こうした住宅が建てられた1870-80年代は、ド・モーガンのタイルが、他のどのメーカーよりも高価であった時代である。ド・モーガンのタイルは、趣味や表現とともに、こうした時代の『富』とも結びつくものであった。
吉村典子「ウィリアム・ド・モーガンと『アーツ・アンド・クラフツ』」(展覧会図録、70-71頁)
ウィリアム・モリスと生涯にわたって親交があり、一時期はモリスと工房を並べて制作を行っていたと言うが、ド・モーガンの製品は、いわゆる「アーツ・アンド・クラフツ」のものであったのか。
「田舎家風の素朴さを洗練さとして取り入れた『アーツ・アンド・クラフツ』の建築と、ド・モーガン・タイルの主張性のある文様や艶やかな色の世界は異質のものであったのである。……
このように、ド・モーガンの制作をめぐる動きやその作品は、『アーツ・アンド・クラフツ』であって『アーツ・アンド・クラフツ』でないのである。
吉村典子「ウィリアム・ド・モーガンと『アーツ・アンド・クラフツ』」(展覧会図録、72頁)
展覧会図録。
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ド・モーガン展を見終えて外に出ると、もう外は暗くなり、イルミネーションが点灯していました。
この日はだいぶん荒れ模様の天気でしたが、大きなカメラを持った人たちもたくさん。濡れた地面に映る光もまた美しく、雨の日も悪くありません。とはいえ、この辺りは時折強いビル風が吹き、折りたたみ傘がひっくり返ってしまったりもしましたが。
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