父親が自分で現像したりしていた影響もあって、高校に入ってから写真を撮るようになった。とはいえ、その道を究めるほど熱心であったわけではない。どちらかといえば、現像、焼き付けという技術的、化学的な側面に興味があったのだと思う。写真を見るのも好きだった。
代々木にある予備校に2年も通った。で、授業の空き時間には新宿まで出て、カメラメーカーやフィルムメーカーが開設しているフォトギャラリーによく出かけた。絵を勉強していたが、このころ絵画の展覧会にいった記憶はあまりない。絵画の展覧会には通常お金がかかったが、写真展は無料だったからだ。プロ写真家や、レベルの高いアマチュアの写真を良く見た。いまでも印象に残っているのは沢渡朔による「杉浦幸」の写真。
いろいろな写真展に足を運んだが、まだ未熟な鑑賞者であった私は、写真というものが、技術を同じくしながらもその表現、意図においてさまざまに異なっていることがよく分からなかった。だからおそらく、当時はその技術的なレベルと、被写体のおもしろさを中心に鑑賞していたのだと思う。
私を混乱させたのは、アマチュアの写真団体の展覧会であった。わざわざ出かけることはなかったが、美術館の市民ギャラリー、フォトギャラリーの企画などで見かけると、ついでなので寄ってみる。そこの作品には、たとえば「微笑(ほほえみ)」とか、「新緑(わかば)」といった、ちょっと文学的な香りの題がつけられた写真が並べられている。そういった題の付け方のセンスにも辟易したが、ひとり数点ずつの多くの写真からは、テーマを感じる、理解することができなかった。ひとりの写真家、ひとつのテーマでまとめられた写真展を見るのとは、まったく違う世界であった。これをどのように鑑賞していいのか、私には分からなかった。
写真の多様性をようやく実感したのは、松濤美術館で開催された『石田喜一郎』展であったとおもう。調べてみると『石田喜一郎とシドニーカメラサークル』という展覧会が2002年に開催されたようだ。そんなに最近のことであったか。同じ松濤美術館で、1998年には『写真芸術の時代~大正時代の都市散策者たち』という展覧会があったようなので、そちらであったかも知れない(参考リンク:大日方欣一氏のブログ)。
石田はブロムオイル印画法という技術で、絵画的な表現の写真を多く残している。もはや記憶が曖昧なのだが、彼は技法書を著す一方で、やがて写真表現に行き詰まってしまった、という記述を読んだ。彼の作品を見て、この記述を読み、ああこの人は写真に関心があったのではなく写真術に関心があったのだな、彼の作品はそのように鑑賞しなければいけないのだな、と感じたのである。
写真を撮る人には、じつはただ機材としてのカメラが好きな人がいる。新製品にも眼がなく、他方で古い味のあるレンズを求める。あるいは、銀塩時代であれば現像、焼き付け技術に入れ込んでいる人たちがいた。見下しているわけではない。趣味のベクトルの違いなのだ。そういう人たちが、偶々「写真」という共通の技術で重なっているだけで、じつは見ているものがまったく違うのだ、ということをいまさらながら理解したのである。
鑑賞の基礎をようやく理解した私は、それ以来じつにすっきりとした気分で、多様な表現の写真を見ることができるようになった。もう「青春」などという題がついていても大丈夫である(笑)。
さて他方で、こうした技術や道具にこだわるアマチュアたちが、写真という文化を支え発展させてきたという話を先日東京都写真美術館の金子隆一氏にうかがったのであるが、それについてはまた書いてみたい。
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