カリブ海とクナ族のモラ
2011年5月13日〜6月11日
世田谷文化生活情報センター 生活工房ギャラリー
かつては衣服をまとわず体にボディペインティングをして暮らしていたクナ族ですが、18世紀頃から腰布やサックドレスを身につけるようになり、体に描いていた模様をそのまま布に描いたり、別布を縫いつけたりしたのが、モラの始まりといわれています。 多重アップリケともいわれる手法で縫われた色とりどりの布とおおらかなデザインからは、果てしない海への畏敬の念と、海に遊ぶ自由な想像力、豊漁の祈りと喜びが伝わってくるかのようです。
クナ族とは、パナマのカリブ海沿岸に暮らす先住民族。彼らがつくるアップリケ刺繍のことをモラと呼ぶのだそうだ。
説明がむつかしいのだが、このアップリケ、鮮やかな色の布を何色か重ね合わせ、ハサミで図案をくりぬき、刺繍糸でかがってゆく。伝統的なものから、身の回りのものまで、モチーフはさまざま。チラシに掲載されているのは、「スキューバダイビングの二人」(↓)。
モチーフは伝統的なものとは限らない。そしてじつはモラそのものも古くさかのぼれるものではなく、20世紀になってから発展してきたものだそうです。現在のクナ族の女性たちは色鮮やかな衣装をまとっていますが、そもそも彼らはかつては裸で暮らしていたのです。それが西欧との交流により布を手に入れ、それをまとうようになる。かつてボディに直接施されていた装飾は布で見えなくなるので、代わりに布に刺繍を施すようになった、と。
そして会場のパネルには次のような文言が記されていました。
17世紀後半にクナ族と数ヶ月を過ごしたイギリス海賊船の船医ライオネル・ウェーファーは、「女たちは絵描きだ。とても楽しそうに絵を描く。彼女たちが一番多く使うお気に入りの塗料は、目の覚めるように美しい赤、黄、ブルーである。…鳥、動物、人、木などを体中いたるところ、特に顔に描く。…」と叙述しています。
海賊船の船医! ワクワクする響き!
興味惹かれたので、ちょっとウェーファーについて調べてみました。英語版のWikipediaに項目があります。
概要を記すと、
- ライオネル・ウェファー Lionel Wafer, 1640–1705
- ウェールズ人の探検家、海賊、私掠船員。
- 1680年、バーソロミュー・シャープ率いる私掠船に参加するも、諍いが元でダリエン地峡(パナマ地峡)に数名と共に置き去りにされ、クナ族インディオと暮らすことになる。
- その地で彼はインディオの文化とパナマなの自然を研究。イギリスに戻ったのち、1695年に彼の冒険を記した書物を出版。
「彼の冒険を記した書物」とは、「A New Voyage and Description of Isthmus of America」です。アメリカ地峡(パナマ地峡)の航海と解説、といったところでしょうか。副題は「この地方、海岸、丘陵、河川などの成り立ち;森林、土壌、天候など;樹木、果実、獣、鳥、魚など;インディオ原住民、彼らの特徴と性格など;慣習、仕事、婚姻、供宴、狩猟、算術、言語など」とあります。初版は1695年。
1704年の第二版のマイクロを見ることができましたので、クナ族に関する図像をいくつかご紹介。
まずは表紙です。
次に、クナ族の瀉血(bloodletting)の様子。
タバコを吸うクナ族。向こうには椰子の木に渡したハンモックで休む人。
クナ族の王の行進。子供を連れた女性は王妃。
彼らのボディ・ペインティングなどについて、ウェーファーは次のように記しています。
インディオたちは、しばしば乳児でさえも、身体にペイントを施している。彼らは、身体中のいたるところ、特にその顔に、鳥や獣、人物、樹木などの絵を描く。しかし、その図像は彼らが示すように異様なものではない。そして、想像のおもむくまま、異なる次元にあるのだ。女性たちは絵描きであり、それに無上の喜びを感じている。彼女たちが好み、よく使う色は、赤、黄、青で、非常に明るく、美しい。彼らはそれらの色をある種の油で溶き、瓢箪に保存しておく。通常、端を噛んで筆のように柔らかくした木でできた筆で肌の表面にこれを置く。なので、これらは数週間持続する。そして絶えず新しくされる。(110頁)
通常彼らは服を着ない。しかし、女性だけは当て布あるいは布きれを身体の中心に当てて、糸で後ろを縛り、膝あるいはかかとまで垂らしている(111頁)
男性はふつう裸で外出する。(112頁)
0 件のコメント:
コメントを投稿