没後30年記念 笠松紫浪
―最後の新版画
太田記念美術館
前期:2021年2月2日~2月25日
後期:2021年3月2日〜3月28日
恥ずかしながら笠松紫浪(1898-1991)の名、作品を知らなかった。
出展作品は大正8年(1919年)から昭和34年(1959年)。61歳までの作品。その後1987年まで自画自刻自摺作品を制作していたとのことだが、この展覧会では取り上げられていない。「新版画」の文脈でということなのだろう。
知識はないが、とりあえず戦前期は渡邊木版画舗から出していたと言うことなので、川瀬巴水(1883-1957)の作風を思い出しながら比較鑑賞。モチーフとしては巴水以上に近代化されていない日本の風景という感。巴水作品には雪や地面に彫ではなく摺(バレン)による表現が見られるが、それはあまりない。空摺もあまりない。芸艸堂版は主線が太く、輪郭が目立つものが多く、水彩画的な趣は少ない。
練馬区立美術館「電線絵画展」では川瀬巴水と吉田博の違いとして電柱電線の有無が指摘されていたが、笠松紫浪も電柱電線を描かない。モダンな都市風景、街燈や電燈の光は描かれているのにだ。例外は《あづま橋》(1959)か。紫浪は巴水よ電燈の光が描かれてり15歳年下であるが、その点でも巴水と比べて近代化以前の風景を好んで描いているという印象を強くする。
巴水との違いという点では女湯を描いているとということも印象に残った。野沢温泉《温泉の朝》(1933)27歳のときに母親と訪ねたときのスケッチが元とあったが女湯に入ったのか。後期展示でも女湯の作品がある。版元のリクエストだったのだろうか。
私が巴水作品好きなので贔屓目もあるのだろうけれども、夜景や、濡れた地面、水たまりに映る光などの表現は、巴水作品のほうがよいと思う。そのあたりは絵の技量以外に、版元との関係、彫師や摺師との関係もあるのかもしれない。
名前の印象もあるのか、紫色、薄紫色がベースの作品が印象的だ。なかでも《夜雨 不忍池》(1938)。この雨は摺で表現していると思われる。とても美しい。
知りたいのはマーケット。日本人に売ったのか、欧米人に売ったのか。
※ 『最後の版元』によれば、少なくとも戦前期は主要な顧客は欧米人だったと考えられる。
笠松紫浪作品にスティーブ・ジョブズが愛したり、ダイアナ妃が執務室に飾ったりしたようなエピソード、キャッチコピー(笑)はないのだろうか。
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渡邊木版画舗から出していたということで、渡邊庄三郎の伝記である高木凜『最後の版元』(講談社、2013年)に、笠松紫浪について記述がないかと見てみたが、斜め読みをしたかぎり、人物としての笠松に触れた部分は見当たらない。作品については、終戦直後に米軍のPX向けに届けたとの記述がある。
庄三郎は巴水、笠松紫浪の風景画を中心に三つ切判、中判などの中から選んで吉田[吉田博]の許へ届けた。これは後に知ることになるのだったが、米軍のPX(軍人、軍属だけが利用できるマーケット)が銀座四丁目の服部時計店(現・和光)にできるので、そのための荷集めであった。(高木凜『最後の版元』講談社、2013年、221ページ)
進駐軍は吉田博に版画の注文を出し、しかし吉田の作品には数に限りがあったので、渡邊庄三郎に注文が回ってきた、という文脈である。
『最後の版元』によれば庄三郎の日記が残っているそうなので、この本には取り上げられていないが、笠松に関する記述があるのかもしれない。
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