2013年8月2日金曜日

目黒区美術館:PAPER-紙と私の新しいかたち-:
デザインとアート



PAPER—紙と私の新しいかたち—
2013/7/20〜2013/9/8
目黒区美術館

3人と3組のアーティスト、デザイナー、建築家たちによるアートとプロダクトを通じて、「紙」による表現の現在を探る展覧会。


| meguro city museum | jul. 2013 |

アートとかデザインとか、アーティストとかデザイナーとか、皆がその言葉の違いを共有しているように語ってしまいましたが、はたして明確な定義は存在するのでしょうか。私の印象では、この展覧会会場に展示されているものはすべてアート。しかし、手がけた人たちのプロフィールはアーティストだったり、デザイナーだったり、建築家だったり。

はたしてアートとは何か。デザインとは何か。その違いについて考えるヒントになるかなと思いましたが逆によく分からなくなりましたよ、というメモランダム。

❖ ❖ ❖

デザインとアートは何が違うのか。

いろいろな人たちがいろいろな定義を語っていますが、だれもが納得する相違なぞ、ついぞ聞いたことがありません。いや、私が納得していないだけかも知れませんが。

そもそもそんな定義は必要なのですか?
という根本的な問いもあります。

問題はおそらく、アートが感覚、感性の領域の問題と考えられていて、いやいやデザインはそうではありませんよ、もっと合理的、論理的なプロセスなのです、というようなクライアントの説得のために両者を区別したいという要望が現れているように思います。もっとも、このようなアートの認識、説明が正しいかどうかはまた別の問題です。そのあたりは逆にアートの人に聞いてみたいところ。

以前、WIRED.jpに掲載された記事「ジョン・マエダの考える『デザインを超えるもの』」には、次のように記されていました。


「デザイン」と「アート」を混同してはいけない。これらは異なるものであり、その違いは重要だ──デザイナーが生み出すのが「解決策(答え)」であるのに対し、アーティストが生み出すのは「問いかけ」である。

... don’t make the mistake of confusing “design” with “art.” I’d argue that there’s a difference, and it matters. Designers create solutions .... But artists create questions

ジョン・マエダの考える「デザインを超えるもの」 « WIRED.jp


次の文章は米国におけるデザイン教育の視点から、デザインとアートの相違に触れています。


“What is the difference between art and design?”(デザインとアートの違いとは何か?)この質問は、米国で初級デザインクラスを受ける学生達が、教授達から頻繁に投げかけられる問いの1つです。何故この質問がよく使わるのかというと、デザインを習い始めた学生の多くは、デザインとアートを混同しているためです。デザインとアートの間には、決定的な違いあります。それこそ”Design solves a problem, art is expression”(デザインとは問題解決であり、アートとは自己表現である。)というものです。
ここから言えることは、Why?をBecauseで説明出来なければ、それは明らかにデザインではないということなのです。何となく、個人的に好きだから、感覚で、といった理由を述べた時点でそれはアート(自己表現)であり、デザイン(問題解決)ではありません。それは言い換えると、問題と向き合い、それを解決する中で生まれたモノのみがデザインであるということでもあります。

Masato Brian Miura
米国のデザイン教育から学んだこと | freshtrax | btrax スタッフブログ


John Maedaさんはアメリカのデザイン教育の中心にいる人です。Masato Brian Miuraさんも、アメリカで学んでいる。ということで、アメリカのデザイン界においては、アートに対置されるデザインの役割は「問題解決」にあると認識されているといってよいのでしょう。ここではその是非は問いません。

ここで提示したい疑問は、デザイナーと称する人々もしばしばアートと呼ばれるモノをつくっているということです。PAPER展に出品されている作品でいえば、植原亮輔と渡邉良重の「時間の標本」はアートとしか呼びようがないと思いますが、彼らの主たる肩書きはデザイナーでしょう。

もちろん、肩書きは目の前の人を簡単に説明するための手段に過ぎません。肩書きがその人のすべてを語っているわけではありませんし、その人の活動を特定の領域に制約するわけではありません。ただ、「デザインとアートは違います」と言うときに、それではデザインという行為と、アートという行為にはどのような違いがあるのか、という疑問が立ち現れるわけです。つまり、デザインかアートかという問題は、つくり手の属性ではなく、つくられたモノの属性なのだ、と(まあ、これもあたりまえですね)。


| meguro city museum | jul. 2013 |

しかしですね。この展覧会を見て考えたのは、同じオブジェであったとしても、それがデザインである場合と、アートである場合がある、ということです。

PAPER展、A展示室は、紙製のプロダクトを用いたインスタレーション。ドリルデザインの「組み立て式地球儀/折り畳み式地球儀」、寺田尚樹の「テラダモケイ 1/100建築模型用添景セット」、トラフ建築設計事務所の「空気の器」が、それぞれ床面、壁面、空間を使って展開されています。

私は、彼らのつくるプロダクトはデザインの仕事といってよいと考えています。彼らがつくり出しているモノは、紙という素材と印刷技術を用いて新しいプロダクトをつくり出すという課題に対する「デザインによる問題解決」だからです。しかし、それらのプロダクトを使ってここに展開されているインスタレーションは「デザイン」ではなく「アート」なのではないか。で、これがアートだとしたら、はたしてデザインとアートとの違いは那辺にありや。


| meguro city museum | jul. 2013 |

彼らのプロダクトと彼らのインスタレーションの違いを考察すると、プロダクトは人が手を入れることで完成されるものであるということ。つまり半製品。それに対して、インスタレーションは人が手を加えることができないもの。これを敷衍すると、デザインは人の手が加えられることを前提としたオブジェクト、アートはそれ自体が完結したオブジェクト、という定義が可能なのではないか。たとえ同じ器であったとしても、床の間に置かれればアート、食卓で使われればデザイン、という定義ができないだろうか。だから、美術館に展示された便器はアート。トイレに設置されたそれはデザイン。それを撮影した写真はアート。

つまり、つくり手の意図やプロセスにかかわらず、同じものがデザインでもあり、アートでもある。それはそのオブジェが置かれた場、コンテクストに依って変わりうるのではないか。


| hachioji | jul. 2013 |

いや、書いていながらなんだか分からなくなってきました。いろいろと事例にも論理にも穴があることは認めます。もう少し考えてみます。はい。


| meguro city museum | jul. 2013 |

❖ ❖ ❖

「デザインとは何か」と定義することに何か意味はあるのでしょうか。現実には、いろいろなデザイナーさんたちが、それぞれの「デザインとは何か」にしたがってデザイン活動をしているわけです。「いや、デザインとはそういうものじゃないですよ」ということなんて、できません。結局はヴィジョンの問題なのです。どれかが正しくて、他が間違っているなんてあるでしょうか。

あえて定義することの意義を問うならば、アメリカではこのように教育されている、日本ではこのように言われている、というように、定義のあり方をメタ的に分析し、そこから時代、社会、文化、経済を読み込んで行くべきなのだと思います。たとえばアメリカでデザインが問題解決の手段とされているのは、企業へのプレゼンテーションにおいてそれが彼らに利益をもたらす手段であることを説得するため、というように。日本では特にアートの世界でお金の話をすることが嫌われる。同様にデザインが収益のための手段であると論じることは意図的に避けられ、機能性や美的造形にのみ言及されるのだ、というように。



    



0 件のコメント:

コメントを投稿