2009年11月15日日曜日

東京オペラシティアートギャラリー:ヴェルナー・パントン展:デザインのナショナリティ?

3週間ほど前に東京オペラシティアートギャラリーで開催されているヴェルナー・パントン展を見に行った。単に椅子、照明などのプロダクトが展示されているばかりではなく、「ヴィジョナ2」の再現を含めパントンの創り出した空間そのものを体験できる演出になっていて、とてもよい展覧会だったと思う。3Dカーペットに身を任せて映像資料を見るなんて、じつに素敵ではないですか。徹夜明けだったのでそのまま寝てしまいそうでしたよ。


ヴェルナー・パントン展|東京オペラシティ アートギャラリー
http://www.operacity.jp/ag/exh111/

経歴や、プロダクトの概要は展覧会サイトでご覧ください。

で、ヴェルナー・パントンを知り、ヴェルナー・パントンのプロダクトを体感してきたわけだが、ただ「行ってきました!」「オススメです!」ではないメモを書こうと思ったら、どうも頭の中が整理がつかなくて3週間が過ぎたのだ。

問題は例によってデザインの歴史のなかに、パントンや彼のプロダクトがどのように位置づけられるのか、ということである。たとえば、展覧会サイトの紹介文からして、かなり引っかかるものがある。

……デンマークに生まれたパントンは、世界の家具メーカーと協働して多くの名作デザインを世に送り出し、ヨーロッパにおける前衛デザイナーの旗手としてその地位を確立します。
……残念なことに、パントンのあまりにも斬新な表現はデザイン史において特異な存在とみなされ、これまで本格的な研究の対象になっていませんでした。
本展はヴィトラ・デザイン・ミュージアム……の貴重なコレクションより、世界のデザインの方向性と発展に多大な影響を与えた50年代半ばから70年代半ばの作品にスポットをあて、家具、照明、テキスタイル、模型、ドローイング、映像など約150点を展示します。

ヴェルナー・パントン展 :イントロダクション|東京オペラシティアートギャラリー
http://www.operacity.jp/ag/exh111/j/introduction.html

とあるように、ヴェルナー・パントンのデザイン史における位置づけは、どうもはっきりしないようなのだ。名作デザインを送り出し、世界のデザインの方向性と発展に多大な影響を与えたとしつつも、デザイン史では本格的な研究の対象となっていなかったという。いったいなぜでしょう。

本展図録中、橋本優子氏の文章にも同様の記述が繰り返されている。

……数多あるデザイン史の文献をひもとくと、常に「北欧モダン」「ミッド・センチュリー」「プラスチック・エイジ」「アンチ・デザイン」といったフレーズに包まれ、伝説のなかでもまた、その素顔が見えにくいパントン。
橋本優子「Who is Verner Panton?」『図録』030頁。

「素顔が見えにくい」理由はいったい何なのか。ここでは、論者がデザインのナショナリティに拘泥していることがその要因ではないか、という考えをメモしておく。

国や地域によるデザインの傾向の違いの叙述は、デザインのテキストではしばしば見られる方法である。たとえば、『世界デザイン史』(美術出版社、1994年3月)には、国、地域別のデザインの特徴が次のように記述されている。

[北欧諸国について]
ヨーロッパ中央部の早くから高度に工業化した大量生産の国々と違って、伝統的な民族の手工芸を重んじ、あたたかい人間味のある、豊かな自然の恩恵によるクラフト的な製品を生産してきている。(149頁)

ドイツ:厳粛な質と機能の形
ドイツのデザインには、機能性、合理性のある、単純明快なものづくりへの努力がある。……ユーモアや冒険性に欠け、堅い感じが与えられる。(155頁)

イタリア:創造形態の異才たち
イタリアはレオナルド・ダ・ヴィンチを生んだ創造の才能に満ちた明るい国である。これはよいと思う発想と、形態と色彩と材料に技術が伴ったら、すぐ製造してしまう。その創造の方法は、一見無思想のように見えるが、決してそうではない。(159頁)
阿部公正監修『世界デザイン史』美術出版社、1994年3月。

カーデザインに関するエントリでも書いたのだが、デザインの通史の多くは、デザイナー、デザイン運動、様式という切り口から現象を観察している。運動や様式はかなり広範な地域を包括しているが、上記引用のように国や地域という枠組みでの特徴もしばしば強調される。歴史というのは個別の事象ばかりではなく大きなパターンを見出すことでもあるから、そのような枠組みを想定するのは自然ではある。ただ、どこでも、いつの時代でも、そのような枠組みで捉えきれないデザインがあり、デザイナーがいるのは確かで、そうなるとその扱いにとても困ることになる。ふたたび『世界デザイン史』から引用する。

イギリス:正統の見識と先端性
イギリスは古い様式を守りながら常に正統派の言動を行い、ウェッジウッドの陶磁器やロールス・ロイスのような車を造り、その伝統と節度の守り方は、ちょっと尊大にさえ見えるところがある。しかし、実は意外にそうではない部分も多く、ミニ・クーパーやミニ・スカート、またビートルズのような先端なものを実現する。(147頁)

フランス:機智と合理のデザイン
……ある部分に対して、あるいはある事象、自然の法則などに対して、徹底的に合理的に、そしてまた主観的にデザインするといってもよいだろうか。例えばシトロエン2CV(1948)とDS19(1955)のデザインが同一人物のフラミニオ・ベルトーニによるものだと、だれもが信ずるだろうか。……(157頁)

説明として破綻しているような気がするのは私だけだろうか。

話をパントンに戻す。ヴェルナー・パントンは、デンマーク出身である。デンマークは地域としては「北欧」に分類される。そして、北欧のデザインについて共有されているイメージは『世界デザイン史』からの引用の通り手工芸、クラフトなのである。

ちょうどいま新宿伊勢丹で「北欧モダンコレクション」という催事が開かれている(2009年11月16日まで)。





暮らしのISETAN STYLE 北欧モダンコレクション : 新宿店 : 伊勢丹 店舗情報
http://www.isetan.co.jp/icm2/jsp/store/shinjuku/event/0911scandinavian/index.jsp

いや、じつはここでもパントンチェアが展示販売されているのだが、サイトの写真を見ても分かるとおり、会場を支配しているのはクラフト的イメージである。

「前衛デザイナーの旗手」「あまりにも斬新な表現」「特異な存在」「プラスチック・エイジ」「アンチ・デザイン」。このような形容が、あるいは本エントリの冒頭に挙げた「ヴェルナー・パントン展」のサイトのイメージが、伊勢丹の催事ページを支配する北欧イメージといかに相容れないものであるか、分かるだろうか。

2007年に東京オペラシティアートギャラリーで開催された「北欧モダン デザイン&クラフト」展のサイトのイメージも、展覧会のタイトルにもあるとおり、やはりクラフトなのだ。



北欧モダン デザイン&クラフト
→http://www.operacity.jp/ag/exh88/index.html

この展覧会にもパントンのプロダクトが出品されていたのだが、彼のプロダクトだけは壁面や照明の雰囲気が他とはまったく異なる演出の空間に置かれていたのだ。





展示風景|北欧モダン デザイン&クラフト
http://www.operacity.jp/ag/exh88/j/gallery/index.html

このような扱いを見ていると、「北欧」という文脈にこだわるかぎり、ヴェルナー・パントンを説明することは困難なのではないだろうかと思う。デザインにおける国民性、地域性を全否定するわけではないのだが、そのような枠組みを設定し極端に類型化することによって、歴史のなかでなかったことにされてしまっているデザインは、おそらく他にも多数存在するだろう。それゆえ、国や地域といった枠組みの意味を検証していく必要があると思うのだ。

※ちなみに『世界デザイン史』では「デンマーク」の項目にも、巻末の人名索引にもパントンの名前はない。

(marunouchi) HOUSE:ヴェルナー・パントン展
http://tokyopasserby.blogspot.com/2009/11/marunouchi-house.html

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追記20091124

artscapeに柏木博氏によるパントン展のレビューが掲載されている。

彼は、北欧出身のデザイナーとしては、他の北欧デザイナーと少し異なった雰囲気のデザインを多く手がけた。たとえば、デンマークの家具デザイナー、ハンス・ウェグナーやボーエ・モーエンセンなどが、木の素材を生かした北欧の典型とみなされるデザインを手がけているのに対し、パントンは、プラスティックや金属といった素材を多用し、また、きわめて人工的な形態のデザインを特徴としている。パントンのデザインは、地域ではなく、時代の感覚と強くかかわっているといえよう。実際、今回の展覧会ではそのことがはっきりと示されている。

「夢の時代」のデザイン:フォーカス|美術館・アート情報 artscape
http://artscape.jp/focus/1210525_1635.html
http://artscape.jp/focus/1210525_1638.html

2009年11月13日金曜日

公園遊具:本門寺公園


豚は定番。





ハービー山口氏が川崎市市民ミュージアムでのトークで、中学生の時本門寺の公園で遊んでいた(写真を撮っていた、だったかな)、と語っていたが、ここのことだろうか。


昭和13年12月開園。


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2009年11月11日水曜日

デザイン史におけるカーデザイン(2)

カー・デザインの歴史の語りかたには、ほかにどのような方法があるのだろう。どうも、総合的なデザイン史の文献で車のデザインの歴史について読んだ記憶がない。改めて手元にあるいくつかのテキストを開いてみた。
デザイン史におけるカーデザイン(1)

のつづき。

『日本デザイン史』。





『世界デザイン史』から9年。「カラー版シリーズ『世界デザイン史』の隣に『日本デザイン史』が並ぶのが願いだった」(「おわりに」)とある。本書において「カーデザイン」はどのように取りあげられているのだろうか。

世界デザイン史』では、その名の通り世界各国のデザインを取りあげるという構成上、個々の事例について多くを語ることができなかったとしても、やむを得ないだろう。一国のデザイン史に限定する本書は、前掲書と比較してカーデザインについて多くの紙幅を割いている。

またもや写真図版を手掛かりに自動車デザインへの言及をピックアップしてみた。全部で6箇所と、言及数としては『世界デザイン史』と変わらないが、その密度と視角は全く異なっている。

(引用1)流線型と満州文化
……豊田自動織機製作所が自動車部を設け、1936年に流線型乗用車トヨダAA型を発表する。……
『日本デザイン史』、59-60頁

(引用2)インダストリアルデザイン誕生
図版「マツダ360」キャプション
小杉[二郎]は1948年から12年間東洋工業の小型三輪トラックのデザインを担当した
『日本デザイン史』、76-77頁

(引用3)カーデザインの黎明
家電と並び、1950年代から製造が本格化したものに自動車がある。GHQによって禁じられていた自動車生産が許可された1947年から、多くのメーカーが海外のクルマのノックダウン生産によって技術的な遅れを取り戻そうとした。「自動車元年」の1955年。二台目カーから戦後初の本格モデルが登場した。トヨタ自動車工業の「トヨペット・クラウンRS」と日産自動車の「ダットサン110」である。
同年、通産省は「軽自動車育成政策概要」を発表。この思案は各社が開発したクルマから一車種を選んで共同生産しようという<国民車構想>だった。……だが自動車工業会はこの思案を退け、各社独自開発に乗り出した。その成果が<てんとう虫>と愛称される富士重工業の「スバル360」である。
……乗用車を初めてデザインする佐々木達三は、スケッチは描かず、粘土モデルを削りながら仕上げた。……
1950年代後半発表のダイハツ「ミゼット」、トヨタの大衆車「コロナ」、日産の「ダットサン310」は、いずれも社内デザイナーにより機能的なデザインにまとめられている。ブルーバードをデザインした佐藤章蔵は、強い外国車の新傾向が現れても蒙る影響が少ない「自立的なデザイン」を指向し、「だから、ブルーバードには、誇張、テライ、追随、奇矯などによるアトラクションは存しない」と述べている。一方、トヨタの事実上の初代デザイン部長となる森本眞佐男はロサンゼルスアートセンターに留学し、米国流のカーデザイン手法を日本にもたらした。
本田技研の……「スーパーカブC100」は1959年に発売され、まずアメリカに輸出された。……チーフデザイナーは本田宗一郎、デザイン開発を行なった造形室は新卒で入社したばかりの木村譲三郎と森泰助にモデラーが一人だけ。……
ヤマハはGKインダストリアル研究所のデザインによる「YD型250cc」を発表。50年代は企業のトップとデザイナーが密接な関係をもち、思い切ったデザインができる時代だった。……
自動車やバイクのデザインは、この時期に日本初、世界商品となるデザイン手法が芽生え、その後過当競争によるスタイリングとマイナーチェンジの時代に突入するのである。
『日本デザイン史』、88-89頁

(引用4)マイホームとマイカー
「マイカー元年」と言われるようになったのは1966年。この年、自動車生産台数が220万台を超え、アメリカ、西ドイツに次ぐ世界第3位に躍り出た。前年には自動車の輸入自由化が実施されていたが、自動車会社各社は量産体制も販売網もすでに外国車に十分対抗しうる状態だった。レジャーブームを背景にマイカーの需要が大きく伸びたのだ。
同年、日産自動車から「サニー」が、トヨタ自動車から「カローラ」が相次いで発売された。……双方とも低価格の乗用車として売り出され、激しい販売合戦が繰り広げられた。……トヨタは1968年に初めてCADシステムをデザインに導入している。
広告でも、トヨタの広告を手がける日本デザインセンターと日産を手がけるライトパブリシティが競った。1967年の3代目クラウンでは法人向けカラーであった黒とは正反対の色である白をプロモーションカラーとして設定し、個人需要開拓に成功した。……
『日本デザイン史』、99-100頁

(引用5)日本車神話と貿易摩擦
西ドイツを抜いて日本が世界最大の自動車輸出国になったのは1974(昭和49)年だ。……日本の自動車産業を国際舞台へと大きく飛躍させる引き金となったのは、排ガス規制と2度の石油ショックだった。
口火を切ったのは、1972年発売の本田技研工業の「シビック」である。……本格的な大衆車としての経済性を実現するための徹底した小型・軽量化と十分な居住空間の確保を両立することが目標に掲げられた。この条件を満たすために生まれたのが、居住空間とトランクが一体となった2ボックス、FF(前輪駆動方式)横置きエンジンという、当時の日本車にはなかった仕様だった。
導き出されたサイズは5立方メートル。デザインを担当した同社の岩倉信弥は、全長を短く抑えるためにトランクのスペースを削り、「どこから見ても台形」と言われた、独特の3ドアハッチバックのスタイルをデザインした。流れるようなラインが美しいとされた当時のスタイリングの常識に反するデザインだったが、発売1年後には8万台を販売する大ヒットとなった。
……[日本車への追い風となったマスキー法について記述]……
世界中の自動車メーカーを巻き込んでの小型車競争が米国市場を舞台に繰り広げられた1980年代、日本の自動車メーカーは、米国市場、さらに世界市場に向けて、次々と小型モデルを発表し、その経済性と性能、多様なデザイン性で圧倒的な強さを見せる。
こうした背景には、合理的な生産方式と品質管理システムの支えがあった。特にトヨタが1950年頃から約20年かけて開発した「かんばん方式」には多くの自動車メーカーが関心を持った。これは、……多様な車種を同じラインで組み立てられるメリットもあった。また各社とも、欧米に開発(R&D)およびデザイン拠点を設けて国際化を図っていた。
『日本デザイン史』、131-132頁

(引用6)エコパッケージとエコプロダクツ
エコプロダクト初期の代表は1973年、アメリカでの激しい排ガス規制マスキー法を世界で初めてクリアした低公害エンジン「CVCC」を搭載したホンダ「シビック」に間違いない。そして90年代を代表するのはトヨタ「プリウス」(1997年)。電気モーターとガソリン・エンジンを組み合わせた5人乗り量産のハイブリッド乗用車だった。……特別な操作や充電の必要がなく、全長を短くしながら背を高くしてパッケージ効率を高め、それまでの「低く長く」というセダンと異なる骨格を提示し、「誰もが普通に運転できる」デザインだ。エコデザインとは新技術が技術の負の部分に挑戦する作業であり、エコデザインであることをことさら表現する必要がないことも確かだ。
『日本デザイン史』、145頁

いずれも自動車のデザインについて取りあげているのだが、それぞれの引用箇所でその文脈がまったく異なっていることが分かるだろうか。(1)は流線型の流行という文脈、(2)はインダストリアル・デザイン/デザイナー誕生の事例として、(3)はカーデザインにおける人と技術、(4)は国内需要の文脈、(5)は海外需要、(6)はエコロジーである。

別にクルマのデザインに限らないのだが、このように通史を扱った文献のなかでは、ある産業、企業、製品群における通時的な変化をたどることは難しい。これら通史は主にデザイナーやデザイン運動、様式に焦点を当てているので、連続性よりも時代区分による差異が強調されがちなのである。それゆえ変化を連続的に見ようと思っても、時代における文脈が異なるので相互に比較し辛いのである。

編集方針としては、デザイン運動史にとどまらない、産業社会史、生活文化史的側面からの記述を加え、プロダクトを主軸に据えつつも現在成立しているデザインの各ジャンルをカバーすることとした。
『日本デザイン史』、131-132頁

その意味で、平塚市美術館の「カーデザインの歴史」展が、デザインそのものではなく「スタイリング技法の変遷」に焦点を絞ったのは、「統一された視点から変化を見る」ひとつの方法として評価されると思う。

もっとも、たとえば、「椅子のデザインの歴史」というテーマで何が描けるか、ということを考えてみると、ある特定のジャンルの製品の歴史を描くことの難しさが想像できる。同時代性という文脈での、他のデザイン、デザイナーとの比較を除くと、個々の椅子の詳細、使用されている技術と素材、デザイナーの経歴を記す以外に、これまでなにが描かれてきたであろう。

たぶん、もう少し続きます。

平塚市美術館:「カー・デザインの歴史」展:美術館でデザインを見るということ
http://tokyopasserby.blogspot.com/2009/10/blog-post_14.html

公園遊具:仲蒲田公園


京急蒲田駅にほど近い場所にある仲蒲田公園。


巻き貝を模した滑り台がある。


それからピラミッド形の滑り台も。




比較的新しいと思われる船のオブジェ。


その後部は古いピラミッド形滑り台に吊り橋でつながっている。

ピラミッドには階段はなく、埋め込まれた石を手掛かりに上るか、カラフルな塗装がなされた棒に掴まりながら登るか。






この公園、車止めも変わった形。


コンクリ製かまぼこ形の車止めもあって、地味だけど随所にオリジナル感が溢れている。


砂場もオリジナル。左上の三角の部分にはパイプが通してあって、上から砂を入れると砂場に流れる仕組み。子供は楽しいだろうな。


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2009年11月10日火曜日

新井コー児展:ノスタルジーとは何なのだろう



すでに終了してしまいましたが、とても楽しい絵だったのでメモしておきます。毎年同じ時期に同じ画廊で個展を開いているそうなので、来年も忘れずに行きたいと思います。

新井 コー児展
ARAI Koji
2009.11.02(月)―11.07(土)
http://www.nabis-g.com/exhibition/2009/arai-k.html

自分が楽しんで描いたものを、来て頂いた方々に笑って観てもらいたい。
目指したのは3つ星高級レストラン的絵画ではなく、
街道沿いの大衆食堂的漫画絵画でありたい。
芸術が大衆娯楽であって欲しいと願いつつ制作に励んでおります。
※2004年の展覧会紹介文から。
http://www.nabis-g.com/exhibition/2004/arai-k.html

作家ホームページで作品を見ることができます。

作家ホームページ
→http://www7.wind.ne.jp/ko-ji/index.html

作家、展覧会についてはこちらで知りました。

今年もなびす画廊で新井コー児展が始まった - mmpoloの日記
http://d.hatena.ne.jp/mmpolo/20091103/1257196951

なびす画廊の新井コー児展が面白い
http://d.hatena.ne.jp/mmpolo/20081105

新井コー児は昭和48年生まれ、そして彼が描いているのは昭和40年代の日本の社会だ。当然彼はまだ子どもだったので本当のことは知らない。資料を集めて調べながら描いているという。それで昭和40年代にはまだなかっただろう日本酒の久保田などが描かれている。

* * *

ノスタルジーとは何なのだろう、と思うのです。「ノスタルジー」はポジティブな言葉ですが、要するに、モノが古めかしく見えるのはなにゆえになのか、ということです。自分の知らない世界なのですから、それは自分にとって「新しい」ことと意味は変わらないのではないかと思うのですが、「古い」。

過去や、異なる世界への未知に対して「新古典主義」や「ジャポニスム」や「エジプト趣味」が成立してきたと思うのですが、それは目に新しくてもけっして「未来的」なイメージではないのです。なぜなのでしょう。視覚的な知識の集積が、モノを時系列に再配置するのでしょうか。では逆に、「未来的」とは、我々の知識、経験の何をリファレンスとして成立しているのでしょうか。そんなことを考えました。答は……出ません。どなたか教えてください。

戸板関子:家庭顧問(3)

戸板女史による読売新聞「よみうり婦人欄」の相談コラム。

戸板関子:家庭顧問(1)
戸板関子:家庭顧問(2)

戸板関子先生はいつも真摯に回答されるのだが、連載が続くにつれて戸板先生の学校に直接手紙が来るなど、困った事態も生じていたようだ。


『読売新聞』1920年9月29日朝刊04面、家庭顧問:戸板關子

1920年9月29日
學校に直接往復はがきや切手封入でいろいろのことを御問い合せになりますが、直接には一切御回答いたしませぬ

そればかりではなく、なかにはこれはあんまりではないか、という内容の相談事も見受けられる。


『読売新聞』1920年12月06日朝刊04面、家庭顧問:戸板關子

1920年12月6日
【問】日本酒の善悪を完全に試験する法を御教示下さい(SY生)

そんなこと、聞かれてもねぇ。質問者がどういう意図をもって尋ねているのか興味あるところである。もしも専門家なら聞く相手を間違えていると思うし、そうでなければ、「完全に試験」してどうしようというのか。

1920年11月26日
【問】御召セルに汚點[しみ]がつきました家庭で何んとかなりますまいか(しも子)
【答】汚點抜には種々の方法があり、其の汚點に依りまして抜き方にそれぞれの方法、差別がありますただお召セルの汚点では、御答へが致し兼ねます

至極真っ当な回答である。

1924年8月7日
【問】私は今年で二十四歳の青年職人ですが無一文で別家致しました職人で一生を終わり度くないと考へてゐます。私に無条件で金二十円くらいお貸し下さる方は有りませんでせうか(二十四歳生)
【答】ご希望の件は話が余り漠然として居りますから到底出資者はなかるべしと思ひます

「よみうり婦人欄」には場違いであるし、あんまりな質問内容である。ただ戸板先生が冷たく一蹴しているのが愉快である。

さて、これらのような、他人から見るとどうも困った質問をあえて掲載しているのは、こんな質問を送ってくれるな、という読者への牽制だったのかもしれないとも思うのだが、どうだろう。

この項つづく(☞ こちら)。

2009年11月9日月曜日

東京都のシンボル(12):イチョウマークを探せ03

東京都のシンボル(10):イチョウマークを探せ01 」「東京都のシンボル(11):イチョウマークを探せ02 」の続き。今回は道路施設とその他である。

▼都道
都道を管轄するのは、東京都建設局である。マンホールの項目(東京都のシンボル(11):イチョウマークを探せ02 )でも見たが、建設局関係は比較的イチョウマークを積極的に使用している印象がある。


| 東京都台東区下谷2丁目 | oct. 2009 |
ガードレールや街灯などに、イチョウマークが入ったステッカーが貼られている。


| 東京都台東区下谷2丁目 | oct. 2009 |
ちなみに、都道のガードレールはイチョウの葉をあしらったデザインなのだ。

やっとかめ どっとこむ / 東京都のシンボルマークはイチョウでもある
http://yattokame.exblog.jp/8517179/
コメント欄参照


| 東京都新宿区早稲田鶴巻町 |nov. 2009 |
ステッカーではなく、吹きつけ塗装タイプも存在する。


| 東京都文京区関口1丁目 | nov. 2009 |
こちらは地が白のタイプのステッカー。イチョウは緑色だったが、自動車のヘッドライトの反射で色が青く見えている。


| 東京都新宿区西早稲田3丁目 | nov. 2009 |
ちなみに、亀の子マーク時代のガードレール。


| 東京都新宿区西早稲田3丁目 | nov. 2009 |


| 東京都中央区築地5丁目 | oct. 2009 |
街灯などの施設にもイチョウマーク入りのステッカー。数字に「管理番号」とあるので、すべて違う番号が振ってあるのだろうか。反射材を使っているようなので、かなり高コストに思われる。

▼そのほか


| 東京都千代田区大手町2丁目 | oct. 2009 |


| 東京都千代田区大手町2丁目 | oct. 2009 |
日本橋銭瓶町ポンプ所。「ぜにがめちょう」と読むのだそうだ。イチョウマークのきっちりとしたペイントと、その下のおそろしく素人臭いレタリングがアンバランスで、なんともいえない雰囲気を醸している。マークと文字とで、別々の人物が手掛けたのだろうか。


| 東京都中央区銀座1丁目 | nov. 2009 |


| 東京都大田区千鳥2丁目 | oct. 2009 |
たばこやの軒先にて。

とりあえず、手持ちの写真が切れたのでここまで。いつになるかは分からないが、つぎは都関連の事務所、建築物をあたってみたいと思う。