
昨夜(9/29)の月。新富町あたり。
今夜が満月らしいのですが、
おそらく台風で見ることができないと思いますので。
此の廣告ハ一定期間更新が無い電脳日誌に表示されてゐます。
頭の惡い人は鼻が惡い
▼頭腦明快を望む人は注意せよ
鼻と腦とは薄い骨の膜一枚で隣り合つてゐるので、鼻に病氣のある人は必ず腦が惡い。頭腦の不明晰の人、年中頭痛持ちの人等は調べて見ると必ず鼻の何処かに故障のある人である。早く根治の方法を講ぜぬと神経衰弱や憂鬱症に陥り遂には廢人同様となることさへあります。では如何にして之が根治をなすか、ドクトル湊謙治氏は多年苦心研究の結果之が治療に付き畫期的自宅療法の完成に成功するに至りました。一日一回三分間宛で、當住座臥何処でも出來ます。世の同病に惱む人々の爲め其方法を御知らせ致します。希望者は東京麹町區元園町一ノ五二明光社へ新聞名記入ハガキで申し込めば詳細説明書をお送りします。
『読売新聞』1933(昭和8)年5月19日、朝刊9頁。
左脳的な合理性と右脳的な直感とを組み合わせることがイノヴェイションにとっての鍵である。もっとも「デザイン」と「アート」を混同してはいけない。これらは異なるものであり、その違いは重要だ──デザイナーが生み出すのが「解決策(答え)」であるのに対し、アーティストが生み出すのは「問いかけ」である。解決策がわれわれを前進させる製品やサーヴィスだとすれば、問いかけは物事の目的や意味を深く追求していくものであり、時に進むべき道を見つけるために、われわれを後ろに引き戻したり寄り道させたりするものである。アーティストの問いかけは謎めいたものであることも多く、ある問いに対して、別の問いで答えるようなものもある。だからこそ、アートを理解するのは難しい。私が好んで言うのは、誰かがアートを理解するのに苦戦しているとしたら、アートはその役割を果たしているということだ。
ジョン・マエダの考える「デザインを超えるもの」 « WIRED.jp
Mating our left-brained technical wizardry with our right-brained humanizing intuitions is key to innovation, but don’t make the mistake of confusing “design” with “art.” I’d argue that there’s a difference, and it matters. Designers create solutions – the products and services that propel us forward. But artists create questions — the deep probing of purpose and meaning that sometimes takes us backward and sideways to reveal which way “forward” actually is. The questions that artists make are often enigmatic, answering a why with another why. Because of this, understanding art is difficult: I like to say that if you’re having difficulty “getting” art, then it’s doing its job.
If Design’s No Longer the Killer Differentiator, What Is?
赤ちやんの歌
うちの赤ちやんよい子供
につこと笑つてゐるばかり
イージー おしめ
でおぽんぽを つゝんで夜もよく寝ます
ほんに可愛いベビーチヤン
『読売新聞』1923年4月23日、朝刊11頁。
kokeshi pop──ポップでカワイイこけしの世界
2012/03/02~2012/03/12
PARCO MUSEUM[東京都]
こけしは泣いている?!
鳴子 投機の波 ここまで
こけしの“ふるさと”宮城県玉造郡鳴子町で七日から「第18回全国こけしまつり」が始まった。……開会前からすでに全国各地からこけしマニア約五百人がつめかけ、午前九時の即売開始と同時に主会場の同町体育館の展示会場になだれ込み、名前の知られた工人の作品を買いあさった。
……会場は熱気がムンムン。中には買い込んだいっぱいのこけしを段ボールに入れてさっさと乗用車に積み込む人たちもいる。
……”名作”をめぐってはかなりの投機性も帯びてきているようだ。
「……今じゃ木のワンや、お盆も使う家庭が少なくなり、こけしの方がよく売れるよ」と老工人は苦笑する。そして「わしのこけしを欲しがる人が多いのは、もう年で、あまり作れないのと死ねば値が出るってことかね——」と高く売れる陰でさびしそうだ。
……このまつり、昨年は三日間で三千本、今年は九日までの三日間に三千五百本を用意したが、初日並べた約二千本は午前中に七割方売れた。
『朝日新聞』1972年9月8日、朝刊、23頁。
投機ブームで即売に行列
素人・マニア・画廊
こけし”怪しい”魅力
北国の素朴ながん具として、値段も手軽で、子どもにも買えたこけしが、今では、古銭、絵画ブームのあとを追うかのように投資、投機の対象としての色合いが濃くなり、「株よりもうかる」と口にするマニアもいる。集めたこけしを売って、家を建てた、という話もあるほどだ。……希少価値の作品に狂奔するマニアたちの姿は、単なる趣味とは違った”異常”なこけしブームを浮き彫りにした。
「この工人は、右手が動かなくなったそうだ」「この作者は、もう年だし……」。会場で、こうささやくマニアたち。製作不能になったり、死ぬと、その工人の作品の値がピンとはね上がることを見越しての買い物なのだ。マニアたちの、工人についての情報収集は驚くほどという。
白石市やこけし評論家によると、ブームは四十五年の万国博覧会を境に爆発した。それまでも、国体が東北地方で開かれるたびに人気が高まっていたが、万国博会場に東北の代表的物産として展示されたことが火を付けたという。……
人気の裏では、……とっくに死んだ工人の名前を入れて、ニセモノを作ったり……。なかには、そんな人もでてきた、とある評論家。
美術品と同じようにセリ市が盛んになってきたのも最近。……古品になると何十万円という高値がつく。
『朝日新聞』1974年5月24日、夕刊、11頁。
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